今の小学生は『ごんぎつね』が読み取れない!? 子どもたちの国語力をめぐる最前線をレポート
若者の国語力の低下が叫ばれて久しい日本。その最前線の現状について記した書籍が、今回ご紹介する『ルポ 誰が国語力を殺すのか』です。
著者は、国内外の貧困、事件、災害などをテーマに取材・執筆活動をおこなっている作家・石井光太さん。同書の序章で紹介しているのは、最近ネットでも話題となった「『ごんぎつね』の読めない小学生たち」というエピソードです。都内にある公立小学校の講演会に招かれた石井さんは、四年生の国語の授業を見学。そこでは、教科書に載っている『ごんぎつね』の一節を読んだ生徒たちから「耳を疑うような発言が飛び交いだした」(同書より)というのです。
場面は、狐の「ごん」が兵十の母親の葬儀に出くわすところ。兵十の家に村人たちが集まり、家の前では村の女たちが大きな鍋で何かをぐずぐず煮ています。常識的に読めば、これは参列者にふるまう食事を用意しているのだと想像できるでしょう。けれど、生徒たちを班にわけて「鍋で何を煮ているのか」について話し合わせたところ、八つの班のうち五つの班から「兵十の母の死体を消毒している」「死体を煮て溶かしている」との回答が出たそうです。
石井さんはこれについて、「こうした子たちに何が欠けているのかといえば、読解力以前の基礎的な能力なのです。登場人物の気持ちを想像する力とか、別の事を結び付けて考える力とか、物語の背景を思い描く力などです」(同書より)と指摘します。
同書は石井さんの数々の取材や調査を通し、今の学校教育や社会のあり方が本当に子供たちの国語力を上げるためのものになっているのかという問題に真正面から向き合った一冊。一章~三章では家庭や学校で国語力が脆弱になっている実態、四章~六章ではフリースクールや少年院でおこなっている国語力再生の取り組み、七章~八章では小学校や中学校における国語力育成の最先端教育についてがレポートされています。
同書を読んで痛感するのが、社会に大きく横たわる家庭格差、教育格差です。精神疾患を持つ親や暴力をふるう親のもとで育った子どもたちと、経済的にゆとりある親のもとで教育熱心な私立校に通う子どもたちとの間では、語彙力や読み取る力に差が出るのはある意味当然のことかもしれません。けれどこうした力は、人との関係性を築いたり適切な思考や表現をしたりする上で、あらゆる子どもたちに必要となるものです。
「すべての子供には『羽の生えたことば』を身につける権利がある。その機会を等しく提供するのは、私たち大人の責任だろう」(同書より)
未来ある子どもたちのために、「国語力再生」は家庭や学校、日本社会において、これから大きな課題となることは間違いないようです。
[文・鷺ノ宮やよい]
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