【インタビュー】松岡充が語る、SOPHIA復活「僕が僕の人生を諦めたくない」

【インタビュー】松岡充が語る、SOPHIA復活「僕が僕の人生を諦めたくない」

結成20周年を目前にした2013年、日本武道館公演をもって活動を休止したSOPHIAが、2022年10月11日、同じく日本武道館のステージで活動を再開することが発表された。これにともなって、「SOPHIA活動直後、SOPHIAのDNAを引き継ぐ形で音楽活動を展開していた」と松岡充自身が語るMICHAELは、ツアー<MICHAEL LIVE 2022 最終章>をもって活動を停止した。
◆松岡充 (SOPHIA) 画像 / 動画
昨日、突如として発表されたSOPHIA復活のニュースは瞬く間に広がり、Twitterのトレンド入り。多くのファンが大きな期待に胸をふくらませ、ちょっぴりの不安をのぞかせている。BARKSは松岡充にインタビューを敢行。MICHAEL活動停止、SOPHIA再始動に到るまでの心境について、じっくりと話を訊いた。メンバー5人の気持ちが、今、ひとつとなっていることは間違いないようだ。
   ◆   ◆   ◆
■コロナ禍でMICHAELの活動が止まって
■自問自答したんですよ、“お前はどうなんだ?”って
──“MICHAEL活動停止”と“SOPHIA再始動”、どちらも突然の発表で、いま多くのファンは期待と不安で心が揺れまくっていると思います。このような決断に至るまでに、なにがあったのか。松岡さんの心境の変化を辿りながら紐解いていきたいと思います。
松岡:はい。“これを頑張ったらこうなれる”とか “これを続ければちゃんとしたものができる”、“そうなれるいつかのために今を頑張る”──そういうところって、みんなあると思うんですね。僕は昨年50歳になりまして。僕もそういう意識でずっとやってきたし、生きてきた。だけど、10年ほど前から身近な人の死や、SOPHIAメンバーの都(啓一 / Key)の病気を目の当たりにして、“人生にいつかなんてないな”ってことに気がつきまして。
──なるほど。
松岡:それでも僕はMICHAELをやりだした。いつか(SOPHIAが)復活するから、そのために何をすべきか、今を積み上げようと。SOPHIAのDNAを止めちゃいけないということで、9年前に僕はMICHAELを始めたんですね。
──松岡さん名義のソロやSOPHIAとはまったく関係ない音楽をやろうとは思わなかったんですか?
松岡:はい。僕は今でも他の選択肢を選ばず、MICHAELをやってよかったと思ってます。
──そもそもSOPHIAは、どうしてあのタイミングで活動を休止したんでしょうか。
松岡:長年やっていれば、SOPHIAを取り巻く環境もどんどん変わっていくし。それにともなってチームもメンバーもやりたいことができていって、変わっていく。それは各々の人生だから否定はできない。そのなかで、いよいよメンバーの人生の選択が変わっていった、というのがSOPHIA活動休止の流れですね。だけど、いつかは戻ると信じてました。
──というのは?
松岡:メンバーと「戻る」って話をしたから。それで、“じゃあ、俺は戻れるように変わっちゃいけないな”と思ったから、SOPHIAの旗を掲げ続ける意味で、MICHAELを立ち上げたんです。
──そこには、いつでもSOPHIAに戻れるようにという意味もあった。
松岡:そうです。そのためです。
──しかしMICHAELを立ち上げて、気づいたら9年も経過していて。
松岡:いつの間にか。途中コロナで2年間は活動が空いたので、<第零章>(2013年)から活動をスタートさせて、今回の<最終章>は本来なら<第七章>だったはずなので、実質丸7年ですけどね。7年も一緒にMICHAELと生きることができたので、本来はSOPHIAがなくなった後の穴を埋めるための存在だったMICHAELが、僕の人生のなかにちゃんと刻まれる存在になっていったんですよ。<第五章>ぐらいからは、それを実感してたと思います。そこは、歌詞にも表れてると思います。
──当初の目的を超えて、MICHAELがバンドとしてどんどん自立していったことについて、松岡さんはどう思っていたんですか?
松岡:嬉しかった。自分のなかで、そんな存在になっていったことが。だから、めちゃくちゃ大事で。自分の人生を年表にして飛鳥時代、安土桃山時代とか名前をつけるなら、SOPHIA時代、MICHAEL時代がちゃんとあって。各々で新たな文明が育ったような感覚ですね。
──実際、新たな文明というところでいうと、MICHAELでは主催フェスを開催したり、音楽と舞台を融合させた新感覚エンタテインメント<DAYDREAM BABYS*>を立ち上げたり。SOPHIAではできなかったことをやられました。
松岡:そこはSOPHIA時代よりも、湧き上がるパッションをどう形にするかという部分で、僕自身が様々なジャンルを飛び越えたものを1つのエンタテインメントとして表現できるようになったというか。そういうところが増えたからだと思います。
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──では、このようにバンドとして自立して新たな可能性も広げていたMICHAELを、このタイミングで活動を停止させた理由はなんだったんですか?
松岡:MICHAELの時計の針を止めた理由は、SOPHIAというものに、どういう形であれケリをつけなきゃいけない、このまま宙ぶらりんの状態はもう嫌だという気持ちに僕がなったからです。
──松岡さん自身が。
松岡:ええ。でも、その宙ぶらりんになっているものを動かすために、MICHAELをSOPHIAのようにまた宙ぶらりんにしてしまうのは嫌だったから。まずMICHAELの活動を停止させることを決めました。時計の針を止めて、時計に入っていた電池を抜いて。なぜなら、その電池は僕がSOPHIAを動かすために必要だから。僕のなかでは同じなんですよ。MICHAELの自分もSOPHIAの自分も、僕なんです。今は両方はできないので、SOPHIAをやるためにMICHAELの活動を一旦停止しました。
──松岡さんが“SOPHIAをこのままにしておくのは嫌だ”と思ったきっかけはなんだったんですか?
松岡:一番は僕の人生を俯瞰でみたとき、“お前もう50歳だぜ? モヤモヤしてんじゃねぇよ。やりたかったらやれよ”っていうことを自分に対して思って。“誰に気ぃ遣ってんだ、誰のこと考えてんだ。関係ねぇよ。お前がやりたかったらやれよ”って自分で自分に突っ込んだ。それが決定打かな。だから、きっかけはSOPHIAのメンバーとかファンとかではなく、自分に自分が突っ込んだこと。“なにをやってんだ。やりたいことをやってこその人生だろう”と。そこを強く思いました。
──なるほど。
松岡:あと、コロナもデカかったですね。コロナによっていろいろ問題があったけど、自分と向き合っていくなかで“情けねぇな”と思ってしまったんですよ。自分を含めて、なにもできてない表現者やアーティストに対して。“そこをやってこその表現者だろうっ”て。ゴメンなさい。これはカッコつけてるわけじゃなくて、本当にそう思ったんです。“今やらなきゃ表現者と言えないでしょ。アーティストなら、今こそ表現しろよ”って、ここでも自分で自分に突っ込んだ。今、目の前に弱ってる人たちがいるわけで、医療従事者の方々はそこにワクチンを届ける。だとしたらアーティストはなにができるのか。コロナで制作ができないとか、ライブをやっても動員が見込めないとか、もちろんそれも分かる。分かるけど、そうやって言い訳してる自分に突っ込みました。“なにお前は被害者ヅラしてるんだ”と。“あの「ALIVE」(1998年リリース/SOPHIA楽曲)を歌ってた松岡充はそれじゃあダメだろう”と。それもあって“よし、やろう”と思いました。
──「ALIVE」は“生きる”ということにひたすら向き合った楽曲だからこそ、いつしかそれが多くのファンの生きるためのスイッチや活力になっていったわけで。そんな楽曲を歌っていたかつての自分が、“弱っている人たちがこんなにいるなか、それを知りながら、なにタラタラやってるんだ”と喝を入れてきたという。
松岡:そうです。エンタメ業界がこれだけ疲弊して、夢を語ることが今や現実離れしてるという風に思われてしまう社会になってきていて。そこにおいてアーティストや表現者は何をすればいいのか。とにかく僕は、このコロナ禍でMICHAELの活動が止まっていた間、それを自問自答したんですよ。“お前はどうなんだ? 今、お前はMICHAELをやってるけど、このまま曲を増やして活動を続けていくことが、お前の本当にやりたいことなのか?”って考えたときに、俺は“SOPHIAをやらなきゃいけない”と思った。それが決め手ですね。やりたいことをやる人生でいたいし、そこを諦めたくない。それで俺は、もう待つのは嫌だからSOPHIAの時計の針を動かすぞと。MICHAEL始動のきっかけはSOPHIA復活のためだったから、一旦MICHAELの針は止めて、俺1人でも、SOPHIAを詩おうと思ったんです。
◆インタビュー【2】へ
【インタビュー】松岡充が語る、SOPHIA復活「僕が僕の人生を諦めたくない」
■9年ぶりに一緒に
■SOPHIAのライブ創りましょう
──松岡さんがSOPHIAを詩おうと決めてから、メンバーとはやり取りをしていったんですか?
松岡:はい。僕から直接、個々に声をかけました。「もう我慢できない。待つのは嫌だから、俺はSOPHIA松岡充として詩うよ」って、今話したようなことを伝えて。まずMICHAELを一緒にやってたジル(豊田和貴 / G)と話をしたんです。そうしたら「俺もやりたい」って言うから「一緒にMICHAELにケリをつけよう」と。ジルの次に、各々で活動していた都とトモ(赤松芳朋 / Dr)にも声をかけたら、彼らも賛同してくれて。クロ(黒柳能生 / B)は一度音楽から離れてたから、最後に会ったんだけど、「やりたい」と賛同してくれました。
──メンバー5人が揃った完全体でのSOPHIA再始動となるわけですね。
松岡:はい。これならちゃんと気持ちを一つにして、あの頃のSOPHIAとしてできると感じました。SOPHIAへの愛情を確かめ合って、5人で再始動することにしました。「ビジネスライクな形だけの5人が揃ってやっても、それは誰のためにもならないから、俺は嫌なんだ」とまずメンバーに伝えて。ちゃんと気持ちが通ってないと、あの曲を演奏できないし、気持ちがないメンバー達では一緒に日本武道館というステージには立てない。それは、ファンを騙すことになるし、ファンにもフェイクはバレるから。ここにくるまでいろいろあったけど、SOPHIAが活休したステージで僕が言った「それぞれが音楽に向き合う時間をとりたいと思う」というのは、嘘でもなんでもなくて。それが必要だったんですよ。
──9年前のSOPHIA、この5人に必要だったもの。
松岡:はい。要は、その“音楽”というのが“SOPHIA”で。SOPHIAとそれぞれが向き合う必要があったからこそ、一回離れた。期間としては9年間かかった。長かったけど、離れてみて、ようやくそれぞれのなかのSOPHIAの存在──自分がSOPHIAでありたいという想いとか、SOPHIAの名の下に集まってくれた人たちのいまだ色褪せぬ想いを感じて。だから、きっかけは俺が出したけれども、みんな同じ気持ちで集まることができた。それを感じられたからこの5人なんです。
【インタビュー】松岡充が語る、SOPHIA復活「僕が僕の人生を諦めたくない」
──そうして、5人揃ってSOPHIAが再始動する場所に、日本武道館を選んだ理由は、活動休止前のラストステージをここで行ったから?
松岡:そうです。たとえ以前のようにオーディエンスが集まらなくても僕はいいんですよ。それが、誰に対して恥ずかしいことなんですか?ってことなんです。それを、渋公(現LINE CUBE SHIBUYA)でやれば満員だとか、武道館でやってどうだったとか、そんなのどうでもいいんですよ。僕は9年前、武道館で「絶対戻ってくる」「帰ってくるね」ってみんなに約束したから、同じ武道館で「ただいま!」と言いたい。この場所に戻ってくることを目指して9年もかかったけど、「あのときの約束を果たしたよ」「帰ってきたよ」と言いたい。それだけなんです。
──この9年間、松岡さんと同じようにモヤモヤしながら、それでもSOPHIAを待っていたファンもたくさんいらっしゃると思います。
松岡:そうですね。時間はかかったけど、僕は音楽の力をすごく信じていて。この間にいろいろあったとしても、音楽に心を揺さぶられたときの記憶のほうが勝つと思うんですよ。音楽って、その人たちの想像する力だから。そのときに夢見た想いや、憧れ、願いをそれぞれが音楽に馳せて聴いてる。その音楽を聴くだけで、すぐにそのときの心のスイッチが入ってモーターが回り出すんですよ。そうすると“あれ、私はこういう人だったわ”とか“俺、まだこんなことできる”とか、そういう記憶が蘇ってきて。それが、その人の生きる活力になる。音楽の力とはそういうものなので、9年空いてようが、今でも活力になる自信があります。あとね、「昔、SOPHIAの音楽が好きだったんですよ」という台詞もこの9年間、散々言われて。もう聞き飽きた(笑)。
──ははは。想像がつきます。
松岡:そういう人には、“いやいや。まだ終わってないから、SOPHIAは”ってずっと思ってたんですよ。解散してるんだったら分かるんだけど、活動休止だから。僕の中では終わってないんで、「今度やるから観に来てよ」って、これからは言える。
──そうですね。
松岡:「昔、SOPHIAのあの曲が好きでした」とか「あの曲をライブで一度聴いてみたかった」と言ってる人たちの欲求って、考えたら当然なんですよね。そこに応えるのは、メジャーからCDをリリースして、それを買ってくれた人たちに対する僕らの責任だと思う。僕はその責任をうやむやにしたくないんです。“聴きたい”と思ってる人がいるなら、聴かせたいんですよ。そこも、SOPHIAをやろうと思ったときに考えたことでした。活動休止とか解散とかメンバーチェンジとか、そんなこっち側の事情はどうでもよくて。聴けないという状態が嫌だ。そういう人たちに向けて、誠意を見せるべきなんじゃないかと思いましたね。本当に、コアにずっと支え続けてくれた人たちや、「あの曲、俺すごい好きだったのに、今聴けないのは残念」という人たちも含めて、“聴ける”ように“届ける”のは、アーティストの責任としてやるべきことなんじゃないかと思いました。
──はい。
松岡:僕は作品というものを創って。それを不特定多数の僕とは違う人生を生きてる人にたまたま聴いてもらって。たまたまその人の人生に「マッチしたよ」って、そう言ってもらうだけしかできないので。そのたまたまの連続がチケット1枚につながって、ライブになっていくんですね。そのチャンスを最初から諦めてたらなんのためにやってるんだ?って話になっちゃうから。それしかできないんだったら、それを全力でやろうぜという感じです。
──SOPHIAを全力でやる日本武道館の再始動ライブに向けて、最後に松岡さんからファンのみなさんにメッセージをお願いします。
松岡:今回のいろんな決断からSOPHIA再始動に至ったプロセス、そのすべてを一言で言うと、僕が僕の人生を諦めたくないからです。人生、または生きるということの成功がもしあるとするならば、お金持ちになることでも超有名になることでもなくて。自分がやりたいことをどれだけやれたか、ということだと僕は思っている。その、やりたいことをやらないままにしていた自分に対して、このコロナという期間があったから向き合うことができた。だから、それをはっきりと表明しました。SOPHIAが好きだとかMICHAELが好きだとか、いろんな人がいると思うけど、“またSOPHIAやるんだ。行きたいな”という気持ちがあるのであれば、実行して欲しい。そう思わない人に来てくださいとは言わない。行きたいと思う人に来て欲しい。コロナを経た今、自分にとって必要だと思えるものに、その労力を使って欲しいから。“なに見せてくれるの? 行けば楽しませてくれるんでしょ”というのは、僕らのライブスタイルではないから。“一緒に創るよ、一緒に笑顔になろう”って人だけが集まる場所だから、SOPHIAのライブは。集まってくれた人たちは、9年ぶりに、一緒に、SOPHIAのライブ、創りましょう。あ、この日本武道館公演で、路上で炎上しちゃってニュースになった僕のコルベットも復活しますので(笑)。大事なところは全然死んでなかったんですよね。自らの車体を燃やして「お前、まだいけんだろ? 俺はまだいけるぜ?」って教えてくれたのかもしれないですね。当日は、復活した愛車のコルベットで日本武道館に向かいたいと思います。
取材・文◎東條祥恵

■<SOPHIA LIVE 2022 “SOPHIA”>

10月11日(火) 日本武道館
※詳細は4/22(⾦)にSOPHIAオフィシャルサイトにて発表
※オフィシャルファンクラブEternalは5⽉中旬に再始動予定


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