食の境界線でまたも違う!?関東と関西の卵焼きを徹底解説!
関東と関西では、全く違う食文化があることは周知のことです。そして、多分に漏れず、卵焼きにも、関東と関西の違いがありました。特に、卵焼きは、関東と関西での違いは味だけには留まりません。関東と関西の卵焼きの違いを、徹底的に解説します。
関東と関西の卵焼きはどう違う?
関東と関西の卵焼きの違いは、3つあります。
関東と関西の卵焼きは、味が違う
関東と関西の卵焼きは、見た目が少し違う
関東と関西の卵焼きは、卵焼きを作る道具が違う
詳しく解説します。
関東と関西の卵焼きは、味が違う
関西の卵焼きの味が違うのは、知っているという人も多いかもしれません。関東は、砂糖を入れた甘い卵焼き、関西は出汁と塩分の強い薄口しょうゆで仕上げた塩味系の卵焼きです。
関東と関西の卵焼きは、見た目が少し違う
砂糖を沢山いれて、一気に仕上げる関東の卵焼きは、厚焼き玉子ともいわれます。しっかり焼かれることから、表面にうっすらとした焦げ目ができるのも特徴です。
関西の卵焼きは、出汁をたっぷり使っていることから、出汁巻き卵といわれます。出汁を沢山入れて、何度も重ねて焼くため、形がかまぼこ型だったり、楕円形だったりするのが特徴です。
関西の卵焼きは、卵焼きを作る道具が違う
関東の卵焼きは、一気に入れた卵液を厚く焼くことから、東型とか角型といわれる、ほぼ正方形の卵焼き器を使います。
対して関西は、卵液を何度も分けて入れ、それを巻いて作るため、長方形の卵焼き器が主流です。
関東と関西の卵焼が違うのはなぜ?
関東と関西の卵焼きが、こんなにも違う理由はなんでしょうか?
食の境界線として知られる、京の朝廷文化の影響や、出汁の違いが、関西の卵焼きに影響を与えたことが考えられます。
良質なだし昆布が手に入りやすかった関西は、出汁を大切にし、食材の色合いや味を活かすことに主眼がおかれた食文化が発達してきました。それが、卵焼きの作り方にも一貫して表れています。
塩分を感じる関西の卵焼きは、ご飯のおかずというポジションを確保しているのは間違いありません。
一方、関東の卵焼きは、味が濃く、特に甘さが強いという特徴があります。卵焼きの味の濃さは、関東の料理全般に言えることです。
肉体労働に従事する人が多かったことや、何事にもせっかちといわれる関東人の性質を考慮した味付けだったのでしょう。
また、卵焼きは江戸前寿司の寿司ネタである、玉(ぎょく)としても使われました。寿司ネタの玉は、甘くて当たり前というものだっため、これが広がって甘い卵焼きが定着したともいわれています。
卵焼の歴史に関東と関西の違いはあるの?
卵焼きにも歴史があるはずです!と思って、調べてみました。卵焼きの歴史にも、関東と関西の違いはあるのでしょうか。
卵焼きより生卵が先だった日本の卵文化
生卵には、サルモネラ菌という食中毒を起こす菌が繁殖しやすく、世界的には、生卵を食べるという食文化は、珍しいともいえます。
しかし、日本では、卵を焼いて食べるより先に、生卵としてご飯にかけて食べることの方が先だったようです。
日本に鶏が伝わったのは、神話の時代だったようです。そのころ、鶏は神聖なものという位置づけでした。
天照大神が、天岩戸に隠れてしまったとき、神の使いである鶏が、「コケコッコー」と鳴いて太陽を呼び出したという記述が、日本書紀にあります。
今でも伊勢神宮では、神の鳥として、鶏を飼っています。また、日本各地の神社の中には、鶏を境内で放し飼いにしているのを見かけることがありますが、こうした話が由来しているのでしょう。
天武天皇の時代、西暦675年に、犬、鶏、牛、馬などを食べてはいけないという法令が発出されています。これは、仏教的な意味合いで、動物も人間もみな平等の命という教えからきています。
ただ、当時の日本人は、神様の使いである鶏を食べることは、恐ろしく、罰が当たると考えていました。鶏卵も同様に、食べてはいけないものと思っていたようです。
卵を食べるようになったのは、ずっと後の、室町時代も終わろうかというころになってからでした。
きっかけは、南蛮から伝わったカステラです。卵を沢山使って作られるカステラの美味しさに驚き、卵を使った料理を美味しそうに食べる南蛮人をみて、卵を食べても良いことに気が付いたようです。
江戸時代になると、卵を食べることが一般的になり、身体が弱ったときは生卵を飲んだり、炊きたての熱いご飯を一気にかき込むために、卵掛けご飯を食べたりしていたようです。
卵の調理法が色々と工夫され、様々な卵料理が普及したのもこのころです。江戸時代におきた天明の大飢饉のころ出版された本に、「玉子百珍」というものがあり、卵料理のレシピを、100個紹介しています。
卵の歴史からみる関東と関西の卵焼きの違い
関西の出汁巻き卵は、明治になってからと考えらえます。なぜなら、出汁巻き卵を売りにする多くの老舗が、明治創業とあるからです。
卵が商業ベースに乗って流通するようになったのが、明治になってからでした。手に入りやすくなった卵を使って、関西人好みの、出汁をたっぷり使った卵焼きが考案されたものと推察できます。
東京を中心とする甘い卵焼きが一般的になったのは、戦後になってからだったようです。それまで、砂糖は貴重品であり、卵は病気見舞いなどで使われるような、高級品だったためです。
江戸前寿司のギョクは、本来は卵に砂糖と魚や海老のすり身を混ぜ、スポンジのように焼いたものでした。今でいうと、正月料理の伊達巻のような作り方です。
これは大変手間がかかるため、砂糖と卵が安定的に供給されるようになった昭和30年ころから、卵に砂糖と出汁を入れただけの甘い卵焼きが主流になりました。それが、一般家庭にまで普及し、現在にいたります。
関西の出汁巻き卵は、明治期に商業化され、関東では戦後になってから一般化したということが分かりました。
卵焼きの歴史、やっぱり、関東と関西では違っていたようです。
おわりに
関東と関西で違う食文化。今回は卵焼きにスポットをあてて紹介しました。なんとなく違うのは知っていた、自覚していたという人も多いでしょうが、驚くほど違いがあることを楽しんでいただけたら嬉しいです。
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