知性を発展させる蜘蛛たちと軌道上の狂える神
読み応えのある本格宇宙SF。現代的センスの物理・情報ガジェットと、よく考えられた生物・生態系学の設定が噛みあい、緊迫した局面がつぎつぎに移り変わる。上下巻合わせて七百ページを超える長尺だが、停滞するところがない。アーサー・C・クラーク賞を受賞した作品。
つぎの三つのプロットがもつれあって物語は進む。
(1) テラフォーミング開発された緑の惑星。アクシデントで投下されたナノウイルスによって蜘蛛が進化をはじめ、やがて知性を持つようになる。
(2) 緑の惑星軌道上の人工衛星。テラフォーミングを進めていた科学者アヴラーナ・カーンは、妨害工作を受け(ナノウイルスの誤った投下もそのため)、地球からの救援が来るまで人工冬眠に入る。しかし、冬眠から醒めたときに、思わぬ事態に遭遇する。
(3) 地球からの遭難船ギルガメッシュ。カーンが人工冬眠に入ったのち、地球の状況は悪化し、そこから脱出したひとびとが乗っている。彼らは新しく住める惑星を求めており、アヴラーナの救難信号を受けて、緑の惑星の存在に注目する。
このうち、SF読者の興味をもっとも惹きつけるのは、(1)だろう。異様生態系における進化、人間と異なる知性や社会のありようが、長い時代にわたってのエピソードの積み重ねで描かれる。蜘蛛は知性の点で緑の惑星の頂点に位置するが、それ以外にも知性を発生させた種族がいくつか存在する。その種族間の衝突・共棲もさることながら、蜘蛛同士もコミュニティ間での葛藤があり、またひとつのコミュニティのなかでも格差や争いが絶えない。かなり生々しく、ときに凄惨な状況だが、それを描く筆致はかなりドライだ。作者チャイコフスキーは、学生時代に動物学と心理学を学んだという。
蜘蛛たちはアヴラーナの人工衛星の存在に気づいているが、人工衛星と認識はしておらず(そもそも彼らにはそういう概念がない)、神の使徒だと考えている。衛星の管理AIと情報的につながったアヴラーナが送ってくる信号を、天啓のように受けとめ、信仰と科学を発達させていく。
いっぽう、アヴラーナは、緑の惑星で蜘蛛が支配種族になっているとは予想だにしない。無線による不完全なコミュニケーションのために地上の状況を知ることができず、もともとのテラフォーミング計画どおり、緑の惑星では猿が知性を獲得したのだと思いこんでいる。そして、緑の惑星に尋常ならざる愛情を注ぐアヴラーナは、孤絶した環境ゆえ、また遭難船ギルガメッシュからの干渉も手伝って、精神を失調し、妄念を募らせていく。軌道上の狂える神として、蜘蛛たちを導こうとするのだ。
ギルガメッシュの状況もシビアだ。限られたリソースしかなく、かといって緑の惑星に入植しようとすれば、アヴラーナから問答無用の攻撃を受けることがわかっている。地球文明の絶頂期を知るアヴラーナと、文明崩壊後にかろうじて逃げだしてきたギルガメッシュとでは、テクノロジー・レベルに雲泥の差があるのだ。
そのうえ、ギルガメッシュ乗員たちは一枚岩ではない。立場や思惑によって意見が対立し、主導権を握るための権謀術策、先行き不透明のための不安と不信、ともに働いている相手がなにかを隠しているのではないかという疑心……。もうドロドロである。
それぞれ波乱含みの三つのプロットが、張りつめた縄のようにギリギリと縒りあわさっていく展開が凄まじい。果たして蜘蛛は安定した自律社会を築けるのか? そして、人類と蜘蛛との共存は可能か? そもそも、この宇宙において、地球文明――あるいは人間型知性――は存続されるべきなのか?
(牧眞司)
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