お坊さんも総選挙の時代?
お坊さんになって驚いたことの一つが所属する宗派の僧侶資格を得た後、いわゆる免許の更新のような仕組みがないということです。
もちろん、これは宗派として強制的な資格更新のための仕組みがないというだけで、全国各地で毎月のように教学に関する研修会や法式に関する講習会が開催されています。このような講習会に出て、検定試験を受けることでさまざまな認定をいただく仕組みもあります。地域レベルでみれば、熱心なお坊さんによる自主的な勉強会なども積極的に行われています。手前味噌ながら、彼岸寺が運営する「未来の住職塾」も宗派が提供しない視点でお寺の未来を考える研鑽の場といえるでしょう。
そもそも「お坊さんとは自ら修練の道を歩むもの」という前提でいくと、強制的に免許更新する必要はないともいえます。
しかしそのような前提はもはや崩れ去っていることに多くの方が気づいていることでしょう。問題は、能動的に動くことに任せる仕組みだけでは、お坊さんの質が保てないということです。
僕の修行時代の同期生の中にも、師僧であるお父様から「すぐにお寺を継がなくてもいいからとりあえず資格だけは取っておけ!」といわれて仕方なく道場に来たという若者も沢山いました。いろいろな事情や背景がありますので、一概にこのような状況を否定することはできませんが、資格をとってしまえばそれで終わりという気持ちの人と一緒に修行するのはとても悲しかった思い出があります。
また諸先輩上人にも僕が道場で仕込まれた、決められた作法をまったく無視した我流のお勤めをされる方がおられ、「なんてフリースタイルなんだ…」と目が点になることもあります。そんな作法では儀式の意味が正しく伝えられないのでは…と不安になってしまいます。
先日、AKB48の総選挙が行われました。他に伝えることがあるだろうというツッコミもありましたが、全国的なニュースとしてその動向が注目されました。
僕自身はAKB48のCDを買ったり、投票したりということとは無縁の生活を送っていますが、彼女たちの夢を追う姿は純粋に素敵だなと思いますし、彼女たちと比較して、なんとお坊さんはぬるい世界にいるんだ!と感じます。
AKB48には様々な戦略が内包されています。その中でも関係性に関するマーケティング戦略は我々お坊さんにとっても大いに参考になるものだと考えます。
企業と顧客が良好な関係を築くために必要なアプローチとして、経済的な関係・社会的な関係・構造的な関係の三つがあるといわれます。
経済的な関係とは「有料ファンクラブ会員になると、オリジナルグッズや先行予約などの権利が得られる」というような関係で、ファンにとっても希少価値が高い特典を得ることできるメリットのある関係をいいます。
お寺の場合、経済的な関係というとお布施の話が出てきそうですね。しかし、お布施は決して金銭だけに限ったものではありませんのでこの話には当てはまらないと考えます。(もっとも、お布施による関係を経済的な関係として捉えてしまっていることで、いわゆる高額なお布施や戒名料の問題が出てきているのでしょう)
お寺でいう経済的な関係とは、観光寺院などでは「◯◯寺友の会」や「◯◯寺奉賛会」などと呼ばれる有料の会員組織があてはまるかもしれません。会員特典として会報誌が送られてきたり、普段は見ることができないお堂や仏像を拝観することが出来るというものです。このような会員組織によって、お寺が運営維持に必要な資金を獲得できるメリットがあります。
二つ目の社会的な関係とは、常設のAKB劇場や握手会などを通じて直接ファンとメンバーが触れ合うことのできる関係をいいます。ファンとメンバーが一体感を醸成し、ファン同士でもコミュニティが形成される関係です。
お寺の場合、毎月の月参りやお盆・お彼岸の法要などで直接お坊さんとお檀家さんが接することが社会的な関係といえるでしょう。AKB48は「会いにいけるアイドル」「ファンとともに成長する」というキャッチコピーを使っていますが、いつでも困ったときに会いにいけるお坊さんであり、お檀家さんと一緒に仏道修行に励むことは理想的な関係といえるのではないでしょうか。
そして、最後の構造的な関係とは、まさに今回の総選挙です。新曲を歌うメンバーを決める権利をファンが持っているということです。
この関係こそが今、お寺やお坊さんとお檀家さんの間に欠けている関係といえるのではないでしょうか?お寺を離れる人々が増えてきた今、その原因は外部環境の変化にだけあるのではなく、お寺やお坊さん自身にあるのではないでしょうか。
今、現実に起こっているお葬式の簡素化や先祖代々つづく墓地を手放す人が増えるなどの流れから想像すると、これからは今まで以上に積極的にお寺やお坊さんを選ぶ人々が出てくる時代になるでしょう。様々な情報が容易に手に入る情報化時代、私たちは多様化する選択肢の中から日常的にいろいろなものを選んでいます。そのような時代を生きてきた人たちにとって、仏教やお寺、お坊さんを比較検討し、選ぼうとすることはアタリマエのことになっていくと思うのです。お坊さんがAKBのように選ばれる環境におかれることで、半ば強制的に修練する環境に自分を置くことができ、お坊さんにとっては厳しくも良い機会になるかもしれません。
修行の敵は怠慢(たいまん)と驕慢(きょうまん)です。怠慢とは修行を怠ける気持ち、驕慢とはもう自分は十分修行をしていると驕り高ぶる気持ちのことです。
さあ、選択の時代を意識しながら怠慢心と驕慢心と戦っていきましょう。
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