マズローの欲求段階と仏教
もう食べられなくなってしまった生レバーが食べたい。キレイな女性とデートがしたい。もっともっとお金がほしい。煩悩をどうしたら無くせるのか、これはお坊さんとして生きていく上で悩ましい問題の一つです。今回の記事では人間の欲求を心理学のアプローチから整理したマズローの欲求段階説を取り上げながら、人間の欲求に対して仏教はどのように機能するのか考えてみたいと思います。
組織作りや消費者行動を考える場合など、人間の行動心理を把握するために引用されるのが心理学者マズローの欲求段階説です。人間が持つ欲求はさまざまですが、それを段階的に意味付けし整理されたものです。
■マズローの欲求段階説とは?
生理的欲求…生きていくために必要な食事や睡眠、排泄などの本能的、根源的な欲求
安全の欲求…命の危険や経済的不安、健康状態の悪化などを回避したい欲求
所属の欲求…何らかの組織や人間関係に所属していたいという欲求
承認の欲求…自分は価値のある存在であると認められ尊重尊敬されたいという欲求
自己実現の欲求…自分の可能性を把握し、その能力を最大限に発揮し、自分がなりたいものになりたいと思う欲求
■欲求段階説の捉え方
これらの欲求は段階を示す表現がピラミッドになっているため、下の欲求が満たされたあとに、上の欲求を求めるという誤解がありますが決してそうではありません。人間はこれらの欲求をそれぞれに持っており、その達成度や満足度が上にいけばいくほど低い状態である、達成するのが難しくなると解釈するのが正しい理解です。
数字は感覚的なものですが、僕の今の欲求満足度をイメージ化してみました。
現代社会を生きている我々は、基本的な欲求に関してはある程度満足しているが、同時にある程度満たされていないという状態でにいるのではないでしょうか。
これらの欲求を満たすための商品やサービス、制度や仕組みが次々と企業や自治体から提供されています。しかしながら、多くの人が物質的な向上を図ることで欲求は満たされないということに気づき始めています。
我々の欲求はどのようにして満たされることが出来るのでしょうか?僕は仏教がそれを担う時代がいよいよやってきたと感じています。
■仏教では欲求を否定
仏教で欲求とは、つまり煩悩や執着であり苦しみの原因となるものです。あまり歓迎されるものではありません。煩悩を滅することが仏教が目指す悟りの状態です。
しかしながら、そのような状態に至ることの出来る人間はほとんどいません。生きている限り煩悩と付き合っていかなければならないのです。
「足るを知る」という言葉があります。簡単に言うと、今あるもので満足するという意味です。
マズローの欲求段階で紹介されている下四つの欲求は足りないものを手に入れたいという欲求です。この欲求は度を過ぎると貪り(むさぼり)の煩悩となってしまいます。それぞれの欲求が満たされるためにはどうすればいいのか?という問題に対して、そもそもの欲求を減らすことで欲求を簡単に満たすことが出来るのではないでしょうか。
またこれらの基本的な欲求を十分に満たしたことのある人は、その欲求が満たされない時でもある程度は我慢できるようになります。ストレス耐性が身についたともいえますがまさにこれは「足るを知る」状態ではないでしょうか。そのような人は、100%満たされない状況であってもより自分が成長できる欲求を実現するための行動を起こすようになります。僕の周りにも寝食を忘れ自分の夢にむかってもがいている友が沢山います。
足りないものを手に入れたいという欲求を少なくすることができれば、より実現度が難しい「自己実現の欲求」を満たすために時間を費やすことができるのです。
■欲求の仏教的終着点
マズローは晩年、「自己実現の欲求」のその先に「自己超越の欲求」があると想定していたそうです。自己を超えた欲求とは、自分が所属するコミュニティが発展してほしいという欲求です。しびれますねぇ!
悟りを開いたお釈迦様は、暫くの間その悦びに浸っておられました。そして自分の悟りはあまりにもレベルが高すぎて他の人に説いても絶対にわかるはずがない。と葛藤されました。そこに梵天(ぼんてん)があらわれ、こう忠告されます。「あなたが悟りを開いたのは何のためだったのか?教えを説くことは難しいかもしれないが、多くの人々を救うために、あなたは法を説くのです」
これは梵天勧請という仏教説話ですが、これがきっかけとなり、お釈迦様は80歳で入滅されるまで布教の旅を続けられたのです。
まさに、悟りを開くという「自己実現の欲求」から「自己超越の欲求」、仏教を広めていくという「コミュニティ発展の欲求」へと高次に展開されたのです。
マズローが当初示した五つの欲求は自分のため、つまり自利の欲求と考えられます。それに対し、晩年に示した「自己超越の欲求」は他人のため、つまり利他の欲求と考えることができます。
自己を超越して、他人のため、社会のために役に立ちたいと思うことはもはや、欲求というよりも、仏教で言うところの慈悲のこころ、利他の精神といえるのではないでしょうか。
■終わりに
人間が成長していくために必要な欲求をマズローは欲求段階説で示してくれました。これを煩悩をなくすという仏教的思考でアプローチしていくことは、欲求を満たすことと一見真逆のようで、その実現のための近道であると思います。皆さんも是非、煩悩を抑えつつ、よりよいコミュニティ発展のために思考し、行動していきましょう。
お坊さんとして仏教を広めていくこと、それが世界をより良くしていくことにつながっていくと信じて精進して参ります。
合掌 南無阿弥陀佛 松島靖朗拝
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