大谷翔平の活躍で度々名前が出る“ベーブ・ルース”ってどんな人?

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メジャーリーグ、ロサンゼルス・エンゼルスで活躍する大谷翔平投手。投手、野手の二刀流の活躍は連日日本でも報道されています。その際に「ベーブ・ルース以来〇〇年ぶり~」と書かれているのを目にしませんか?今回は大谷翔平投手の活躍で度々名前を目にするベーブ・ルースについて調べてみました。

ベーブ・ルースは1895年、ボルチモアで生まれます。1914年に当時マイナーチームだった地元のボルチモア・オリオールズに入団し、その年の7月にレッドソックスにトレードされます。
トレード後のベーブ・ルースはローテーションの一角を担う先発左腕としてレッドソックスの中心選手となり、1915年には18勝、1916年には最優秀防御率のタイトルも獲得しました。同時に1915年から毎年ホームランを打っていました。

ベーブ・ルースの本格的な二刀流挑戦は1918年。1917年からアメリカは第一次世界大戦に参戦し、メジャーリーガーの出征も相次ぎました。選手が少なくなる中、バッティングも良いベーブ・ルースは打者としても起用されるようになったのです。戦争の影響でシーズンが短縮される中で、投手として13勝、打者として11本塁打を放ちホームラン王に輝きました。

1919年はほぼ野手として出場し、MLBのシーズン本塁打記録を塗り替える29本塁打を放ちました。1920年に年俸が折り合わず、ヤンキースにトレードされてからのベーブ・ルースは野手に専念し、前年のほぼ倍増となる54本塁打を放ちます。1920年はMLBでの八百長問題でホワイトソックスの8選手が永久追放になるというスキャンダルがありましたが、ベーブ・ルースの活躍でMLB人気は高まっていきました。1934年には日米野球のアメリカ選抜の一員として来日し、沢村栄治らと対戦しています。

プロ22年間で首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回。通算714本塁打はメジャーリーグ歴代3位の記録です。1948年にがんのため53歳という若さで亡くなっています。

(Written by 大井川鉄朗)

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