イメージに内臓を与える。泉太郎 個展 「電源」




泉太郎の個展「電源」がカプセルにて開催。
本展は泉の最初期のビデオ作品(約40点)を中心に構成されたアーカイブと、展示に関するスケジュー リングのシステムが回路のように交錯し、展開されていくもの。
泉太郎が初めてビデオカメラに触れたのは、通っていた大学で古いテープ式のカメラを借りた時だという。内臓までも自作した人型モデル(素人モデルと名付けられた)に人間の日常生活におけるタスクを体験させ続け、ホームビデオのように記録した。生活の様子が映像に収められるとともに、素人モデルの表面には日々の生活の跡が残っていく。現実を切り取り再生され続ける映像と、日々の体験の蓄積をあらわす生々しい痕跡、次元の異なる記録方法により人間を人間たらしめている要素を複層的に浮かび上がらせるとともに、日常に侵食し、消費し続ける映像メディアについての批評となった。
泉は以前、内臓のようなシステムについて触れている。複数の臓器がそれぞれ関係しあいながらも異なる機能で生命維持を担っているような、作品間の流動的な繋がりについて。あるいは建築という骨組みの内臓を作るように展示を作るという空間への意識について。また、「イメージに内臓を与える」という近作についての言葉は初期作品との繋がりを示す。
今回の展覧会では映像と人間や生物を同じシステム上に並列し、一見不条理な考察のプロセスを提示している。人間が作り出した時間、人間の社会を規定している計画や予定の中に組み込まれた展覧会の「整えられた機能不全」についての観察の場を設けていると考えられる。入れ代わりながら身 体を支え続ける内臓のような構成はアーティストのキャリアについてのヒントを示すことになるのだろうか。


「展覧会が器だとしたら、その器の内側には縄文土器の文様ような凸凹(でこぼこ)とした凹凸(おうとつ)が入り組んでいて鍾乳洞のよう。人の目に触れる時間とそれ以外の時間の落差がまずは凸凹の正体だろう。平坦に滑らかに、光が引っかかったり影が染み付いたりしないように均された器の中で作品が浮かび上がる。
今日、あの展覧会に出かけることにした。休みの私が働いている作品の様子を見学に行く。OFFな人間が楽しむためのONな状態について、道すがら考え込んでしまう。そうするとやはり道に迷って Googleマップで仕切り直し、離れたり近付いたりしながらの道程は間延びして考えごとのチャンスとなり、ここから数回はマップを開くことになると思う。このまま私がたどり着けなくても作品はそこにあるのだろうか。今日は散歩に切り替えて展覧会は明日にしようという選択肢はない。明日は休めない。というか、今日は本当に休みなのだろうか、そして明日は本当に休みではないのだろうか。休みか休みではないか、まずはそれを決めようと上の空、道選びを疎かにしながらさまよって細かな凸凹に何度か躓く。液晶上のマップに目を落とすとS駅の路地裏にいるようだ。細かな凸凹は記されていない」


泉太郎 個展 「電源」
[会期] 2021年2月27日(土)ー 5月30日(日)
[開廊時間] 12:00-19:00
[会場] CAPSULE(カプセル)東京都世田谷区池尻2-17-2 B1F
[協力] 株式会社東京スタデオ / Wonderstock Photo / ⻑瀬夕子 / Art Center Ongoing /
高村瑞世 / 国立奥多摩美術館 / ASAKUSA / Take Ninagawa
土・日のみオープン


泉太郎(いずみ たろう)
1976年奈良県生まれ。作品の展開と研究は同軸で行われ、その過程で発生する摩擦や矛盾も含んだ 作品は、隠されたルールや人間を形作る環境についての批評となる。身体と映像や画像、音響など のメディア間の往来についての問いは、パフォーマンスや映像、写真やドローイングなど、様々な メディアにより提示される。
近年の主な個展に、Pan (2017年、パレ・ド・トーキョー、パリ)、突然の子供(2017年、金沢 21世紀美術館、金沢)、とんぼ(2020年、Minatomachi POTLUCK BUILDING、愛知)、コンパクト ストラクチャーの夜明け(2020年、タケニナガワ、東京)、ex(2020年、ティンゲリー美術館、バーゼル)など。

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