『千日の瑠璃』482日目——私は灯台だ。(丸山健二小説連載)

 

私は灯台だ。

海の幸をはるばる山国まで運んで売り歩く清楚な娘、彼女が少年を相手に平易に説明するところの、灯台だ。ひと仕事すませて口が軽くなった娘は、私のことを丘の上の家に準えて言う。いくらか面窶れした彼女は、少年の家を指差して、あれで灯りが回転すれば私にそっくりだ、と言う。少年がまったく聞いていないのを承知で、彼女は尚もつづける。近頃なぜか車窓越しに私を見るのが辛くなってきた、などと言い、あとは言いにくそうに口ごもり、やがて黙りこくってしまう。

健やかな娘はそれから私を胸のうちにしまいこみ、痼疾に苦しむ少年の震える手に、ひと束のスルメと三枚の干鱈を釣り銭といっしょに渡す。少年は鈍重な仕種でそれを袋に詰めこみ、肩に担いで雪の坂道を登って行く。その後を娘のむせび泣きが追う。けれども、そう長くはつづかない。ボンネットバスが彼女を涙ごと拉致してどこかへ連れ去り、もぬけの殻となった停留所に、ミカンの皮。

丘の家に戻った少年は、二階の窓から懐中電灯を突き出し、ゆっくりと回す。頼りなくてもまほろ町の隅々まで届くその光に乗って私は丘を離れ、バスに揺られて海辺のわが家へと帰って行く娘の胸のうちを照らす。持ち前の明るさで苦境を乗り切ってきた彼女は、首をねじ曲げて、いつまでも丘の上の光を見ている。葛折れの坂道を行くバスのヘッドライトが、ときおり天の一角を照らし出す。
(1・25・木)

丸山健二×ガジェット通信

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