新幹線の開発に込められた思い〜まはら三桃『零から0へ』
かつて日本は戦争をしていた。そのために命を落としたのは老若男女問わずであったが、中でも多くの若い人々が主戦力として戦地に送られた。数え切れないほどの若者たちが落命し、未来を断たれた。人々の暮らしをよりよくするはずの技術の進歩は、戦没者の数を増やす要因にもなり得た。戦争は、残された家族のみならず、戦闘機の設計などを手がけた技術者たちの心にも深い傷を負わせた。
1945(昭和20)年の初冬、本書の主人公・松岡聡一が鉄道技術研究所に初出社するところから物語は始まる。父親が戦死したとの知らせが届き、入学したばかりの大学を辞めての就職だった。祖父や2人の弟もいる生活で、郵便局勤務の母・登喜子の収入だけに頼るわけにはいかないと決心したためである。また、大学時代に兵役に志願したものの、視力が悪かったせいで叶わなかったことに対する負い目のような気持ちもあった。「一刻も早く世の中の役に立ちたい」という気持ちが、聡一を物を作る仕事へと向かわせたのである。
鉄道技術研究所では、設計班に配属された。設計班班長の木崎は、戦時中には抜群の性能を誇った「銀花」や人間爆弾と言われた「桜」などの軍用機の設計を手がけたという人物。物づくりの意欲に満ちあふれて入社した聡一の初仕事は、しかしながら研究所の裏庭の芋畑でとれた芋を蒸かすこと。しばらくは畑の手入れや芋の収穫・調理に明け暮れる毎日だったが、少しずつ研究所の内情がわかってくる。研究所には2つの派閥があってそれぞれを構成しているのは、これまで鉄道総局で働いていた者と旧日本軍出身者。安全を第一と考える鉄道人と、性能こそが大事と考える軍出身者では、発想からして異なる。現に意見の衝突はたびたびで、新しい電車、しかも時速200キロ級のものを作るという軍出身の班長たちのアイディアを一笑に付す古参の社員は多かった。しかし、自分が設計した軍用機によって多数の人々を死なせてしまったと悔いる木崎は、「飛行機や船では他国との戦争に使うことになりうる。だが、国内の陸を走る鉄道ならば、その心配はない。私は平和な乗り物をつくりたかった。戦いを生み出さない、美しくて安全な乗り物をだ」と切望する。その思いに打たれた聡一もまた「平和を運ぶ乗り物をつくりたい」と考え、新幹線の開発に携わっていく…。
書名の『零から0へ』は、「零戦」と「0系新幹線」を表しているかと思う。零戦が飛び交う日々がようやく終わりを告げ、新幹線が各地を結ぶ時代がやってきた。技術革新というものはだいたいにおいてありがたいものだが、新幹線という新しい時代の象徴のような発明が技術者たちの悔恨によって生み出されたことに、私は思い至らなかった。
戦場で戦えなかったことを恥じたり、自分の生み出したものが多くの人々の命を奪ったと悔やみ続けたりするのは、生き残った自分を責める気持ちの表れに違いない。しかし、彼らだって戦争というものの被害者だ。聡一や木崎をはじめとする開発者たちが生き延びて、世の中のために、平和のために働こうと考えたことには大きな意味があったと思う。それは、夫が帰らぬ人となった登喜子や、満州で悲惨な光景を目の当たりにした聡一の同僚・越川寧子の希望の光ともなったであろう。主に児童文学の分野で活躍されてきた著者だからこそ、誰の心にも存在するピュアな部分を鮮やかに描き出すことが可能だったのではないか。史実に着想を得て、そこから取材を重ねられたことで厚みを増した物語をご堪能いただきたい。
(松井ゆかり)
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