縄文人さん、「竪穴住居」でどんな暮らしを送っていたんですか?
1万年以上も平和が続いたとされる縄文時代。人々は狩猟、採集、漁労を生業とし、竪穴住居を建てて集落単位の定住生活を始めた。この「竪穴住居(我々の時代は「竪穴式住居」と習ったが、現在は「竪穴住居」という表記が一般的らしい)」、社会の教科書で見たことはあるが、一体どんな家だったのだろうか。
調理場は? 収納スペースは? ベッドは? 山梨県北杜市の梅之木遺跡で竪穴住居の復元にあたっている21世紀の“縄文人”を訪問して詳しい話を聞いた。
縄文ガールは「使いやすい複式炉」がお好き
ある日、面白いフリーペーパーを見つけた。その名も『縄文ZINE』。縄文時代のあれやこれやをさまざまな角度から取り上げている。しかも、デザインワークから記事の切り口まで何しろポップなのだ。
この編集長なら竪穴住居での暮らしについて何か知っているに違いない。
最新号の表紙はラップユニットの「ENJOY MUSIC CLUB」(写真撮影/石原たきび)
「(架空の)縄文人同士のガールズトーク」という記事では「『一緒に貝塚をつくろう』と言われたらグッときちゃうかな」「集落のいちばん日当たりのいい場所にふたりだけの可愛い竪穴住居をつくって」などの発言が飛び出す。
「炉は使いやすい複式炉」がいいそうです(写真撮影/石原たきび)
このイカしたフリーペーパーをつくっているのは、株式会社ニルソンデザイン事務所代表の望月昭秀さん(48歳)。縄文関連の書籍も何冊か出版している。
手にしているのは最新刊の『縄文人に相談だ』(写真撮影/石原たきび)
望月さん、なんでまた縄文時代なんですか?
「僕は静岡県生まれで、子どものころから近くの登呂遺跡を自転車で見に行ったりしていて。当時から遺跡は身近な存在だったんです。決定的だったのは、10年ぐらい前に長野をドライブしている途中でふらっと入った尖石縄文考古館。そこで、縄文の土器や土偶が持つ造形の面白さを再認識しました」
「竪穴住居を復元している人をご紹介しましょうか?」
すっかり縄文にハマった望月さんは、2015年から『縄文ZINE』をつくり始める。現在、11号目を配布中だ(不定期刊行)。
公式サイトでは縄文グッズも販売している(写真撮影/石原たきび)
そうそう、今回は縄文時代の家について聞きに来たのだ。いわゆる、竪穴住居ですよね。
「竪穴住居の屋根は茅葺のイメージでしたが、最近の研究では土盛りが多かったという説が有力になりました。当時の庶民の生活って記録が残っていないから、分からないことだらけなんですよ」
残念ながら、『縄文ZINE』では竪穴住居の特集を組んだことがないという。しかし、ここから意外な展開が待っていた。
「山梨県で竪穴住居を復元している人がいるので、ご紹介しましょうか? 何度か現場を見学しましたが、山を背景に炊事の煙が上がっていたりして、かなりいい雰囲気ですよ」
おおお、21世紀の縄文人だ。よろしくお願いします。
縄文時代中期の環状集落跡「梅之木遺跡」
12月上旬、新宿駅から特急あずさに乗り込んだ。約1時間半で山梨県の韮崎駅に到着。
山から吹き降ろす風が冷たい(写真撮影/石原たきび)
ここから車で20分ほどの場所に目指す「梅之木遺跡」がある。
約5000年前、縄文時代中期の環状集落跡で北杜市が管理運営している(写真撮影/石原たきび)
標高は約800m。気温はさらに下がった。敷地内は公園として整備され、自由に見学できる。正面には標高3000mに迫る甲斐駒ヶ岳を含む南アルプスの連山を望む。
斜面に点在しているあれが竪穴住居?(写真撮影/石原たきび)
肌寒いが冬の日差しは柔らかい。聞こえるのはとカラスの鳴き声のみ。のどかだ。まさしく縄文日和ではないか。
北杜市が立ち上げた竪穴住居復元プロジェクト
縄文人はすぐに見つかった。
満を持してご登場(写真撮影/石原たきび)
こちらは東京・杉並区で造園業の「熊造園」を営む黒田将行さん(44歳)。現代美術作家という別の顔も持つ。
ちなみに、いかにも縄文スタイルのコートは猟師が獲った鹿の皮を黒田さんがなめして毛皮にしたものだ。
2016年、北杜市は梅之木遺跡内の竪穴住居を復元するプロジェクトを立ち上げた。復元にあたっての条件は、できるだけ縄文の道具と資材だけで建てること。そこで白羽の矢が立ったのが、造園技術に長けていて木と石を使った立体物の制作も得意な黒田さんだ。
挨拶もそこそこに、まずはガイダンス館を案内してもらった。
遺跡の解説パネルや遺跡出土品が展示されている(写真撮影/石原たきび)
1万年以上続いたとされる縄文時代。この遺跡でも長期にわたって人々が生活したのだろう。
「いえ、じつはここで人が暮らしたのは500年間ぐらい。150軒ほどの住居跡が見つかっていますが、縄文時代中期に地球規模の気候変動が起こったことで、ちょっと先にあるエリアに移動したようです」
カナダの先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目
竪穴住居の中からは土器や石器も出土した。
調理のための深鉢型土器や伐採用の石斧など(写真撮影/石原たきび)
出土品の中でも最も貴重なのは香炉型土器だという。
縄文時代特有の文様で装飾が施された香炉型土器(写真撮影/石原たきび)
「焦げた跡があることから、燭台として使っていたんじゃないかと言われています。ロウのように加工した鹿の油とかを入れてから、真ん中のふちに縄を通して火を灯していたんだと思います」
なお、竪穴住居の復元にあたってはカナダ・ブリティッシュコロンビア州の先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目した。日本とほぼ同じ緯度に位置し、狩猟・採集で暮らしていた彼らの住居は、縄文人の住居を考える際に参考になるのだ。
ちょっと広めのワンルームといった風情
黒田さんはこれらの情報をもとに現代版の設計図を作成した。
円錐形の土屋根で、排煙・採光用の天窓を設けるのが特徴(写真提供/黒田将行)
東京で造園業の仕事をしながら、週末は梅之木遺跡に通う生活が1年半続いた。何しろ、住居を建てるための縄や石斧をつくるところから始めたのだ。数々の苦労を経て竪穴住居は完成した。
さて、室内を拝見しよう。
予想以上に広かった(写真撮影/石原たきび)
「30平米ぐらいですね。中央の炉の灰の中に土器を立てます。ここで料理をしたりお茶を飲んだりしていたと思われます。周囲の段差はいわゆる収納スペースです」
床は土に石灰とにがりを混ぜて固めたもの。
排煙・採光用の天窓もちゃんとある(写真撮影/石原たきび)
木と木をつなぎ止めるのは藤の蔓でつくった縄だ(写真撮影/石原たきび)
玄関、キッチン、収納、天窓。ちょっと広めのワンルームといった風情だ。ところで黒田さん、肝心のベッドはどこですか?
「あくまでも推測ですが、枝や丸太を横に渡して、その上に寝ていたんじゃないでしょうか。それだけだと背中が痛くて無理でしたが、さらに草やゴザを敷いたら寝心地は結構よかったです」
体を張って試行錯誤中です(写真撮影/石原たきび)
収納スペースには手づくりの石斧があった。
握りやすいようにグリップを削っている(写真撮影/石原たきび)
「明日、ジビエを食べながら土器を焼くイベントがあるんですよ。だから、今日は薪をたくさん割っとかないと。やってみます?」
案内されたのは資材や道具類を保管している「事務所」。
竪穴を掘らない“平地式”タイプ(写真撮影/石原たきび)
「薪はこの辺りから伐り出してくるコナラ、カエデ、クヌギなどです」
一発で仕留める黒田さん(写真撮影/石原たきび)
なお、石斧では時間がかかりすぎるため、イベント用の薪割りはさすがに文明の利器に頼るそうだ。
へっぴり腰ながら僕も何度目かで成功(写真撮影/石原たきび)
樹皮を土で覆う屋根で断熱性アップ
現在、遺跡内には計4棟の竪穴住居がある。順番に見せてもらった。まずは、2棟目(1棟目はタイトル画像のもの)。
こちらも1棟目と同様、樹皮を敷いた上にこれから土を被せて土屋根にする(写真撮影/石原たきび)
3棟目の屋根は樹皮の上から土で覆う構造。
これによって断熱効果が高まるそうだ(写真撮影/石原たきび)
入口の高さの感覚が分からず、頭をぶつけるのでのれんを下げた(写真撮影/石原たきび)
縄文人は我々と比べて身長もずいぶん低かったのだ。
4棟目は現在建築中。初期の骨組みがよく分かる。柱の根元を焦がすのは腐食防止のためだという。
奥に見えるのは子どもたち用の竪穴住居製作体験キット(写真撮影/石原たきび)
きれいなサークル状の敷石はサウナ跡?
敷地内には国指定天然記念物の「山高神代ザクラ」の子孫樹もあった。春になると花を付ける。
樹齢2000年の古木の種子から育てた1本(写真撮影/石原たきび)
地球を4100周して還ってきた種子(写真撮影/石原たきび)
同じ囲いの中では「ツルマメ生育実験」も行われていた。植物性タンパク質が豊富なツルマメはダイズの原種で、縄文時代から食用として利用されていた。ここでは、その利用の実態を解明するために育てられている。
最後に、遺跡のすぐ下の小川に連れて行ってくれた。「面白いものがあるんですよ」と黒田さん。
きれいなサークル状の敷石を復元したもの(写真撮影/石原たきび)
小川の脇でも縄文人が使っていたと思われる遺跡がいくつか発見された。このサークル状の敷石もそのひとつだ。
「ここで何が行われていたかは分からないんです。儀式や出産のための場所とも言われていますが、個人的な妄想としてはサウナだったらいいなあと(笑)。下が土だと汗をかいてドロドロになるので石を敷いた。このスペースで火を焚くとかなり熱いでしょ。限界がきたら下の小川の水で体を冷やす。縄文時代の交互浴ですよ(笑)」
火が点く日と点かない日は半々ぐらい
縄文ツアーもいよいよクライマックス。そう、ラストを飾るのは竪穴住居内での焚き火だ。黒田さんが説明する。
「着火剤はよく揉んだよもぎの葉っぱと麻縄。あとは、全力で棒を回転させます」
しかし、苦戦する黒田さん(写真撮影/石原たきび)
「バトンタッチしましょうか」の一言で、初の火起こし体験。
これはかなりしんどいぞ(写真撮影/石原たきび)
15分ほど挑戦したのちに「今日はあきらめましょう。火が点く日と点かない日は半々ぐらいですね。ゲストの日ごろの行いに左右されます(笑)」。黒田さんは潔くライターで点火した。パチパチという心地よい音、枝の水分が蒸発するジューという音が竪穴住居の中に響く。
縄文人もこうして同じ光景を見ていたのだろう(写真撮影/石原たきび)
屋根の角度「30度」は山の傾斜とほぼ同じ
「竪穴住居をつくっているうちに分かってきたことですが」と前置きして黒田さんが語り出す。
「『め』『き』『て』といった単音節、つまりひとつの音節だけでできた言葉に縄文語が潜んでいるんじゃないかと思うんです。例えば住まいは『す』で、つまりは巣。竪穴住居の天井を見上げると蜘蛛の巣みたいでしょう」
さらに、「光(ひかり)」は「火(ひ)」と「狩(かり)」ではないかという持論も飛び出した。
それ、すごい発見なんじゃないですか(写真撮影/石原たきび)
なお、今日見た竪穴住居の屋根の角度は約30度。これが高さを確保しながらも土が崩れにくい最適な角度なんだそうだ。
「山の傾斜もだいたい30度なんですよ。土砂が崩れない角度が自然にできているんだと思います。縄文人もそういうところからヒントを得て住居をつくっていたのでは」
週末限定の縄文人として暮らす中で見えてきた縄文人の生活や価値観。今回の取材では、その片鱗に触れることができた。
炎が安定してきた(写真撮影/石原たきび)
そういえば、望月さんからは「せっかくなので泊まっていってはいかがですか?」と言われた。黒田さん、ぶっちゃけ泊まれますか?
「冬の朝は軽く氷点下になるし、一晩中火の番をしなければいけなくなるのでやめたほうがいいですね。そもそも、施設自体が17時に閉まってしまいます(笑)」
とはいえ、竪穴住居の中でぼんやりとたたずむだけで縄文人の感覚に少し近付けた気がした。
●取材協力
『縄文ZINE』 元画像url https://suumo.jp/journal/wp/wp-content/uploads/2021/01/77868_main.jpg 住まいに関するコラムをもっと読む SUUMOジャーナル
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