『千日の瑠璃』440日目——私は岩だ。(丸山健二小説連載)

 

私は岩だ。

少年世一の期待を一身に背負って、突風が吹くたびに丘の上の崖っ縁ぎりぎりのところで揺れる、岩だ。世一は二色のクレヨンを使って私の表面に拙劣な鳥の絵を描き、これでもうオオルリになれたのだから飛べるはずだ、などと言い、風に合せて私をぐいと押した。そんな暴挙を諌止する者はひとりもいなかった。籠のなかの本物の鳥までが二階の窓越しに、「飛べ、飛んでみろ!」と煽った。

私が飛べたら、次は自分が飛ぶ、と世一は言った。私は言ってやった。鳥が鳥でしかないように、人間が人間でしかないように、岩もまた岩でしかないのだ、と。すると世一は、ふたたびクレヨンを振りかざして私に迫り、絵の鳥にもう一対の翼をつけ加えた。私は言った。おまえが飛べたら、私も飛んでみせる、と。世一は黙って私を押しつづけた。

そのときぐらりと傾いたのは私ではなく、世一でもなく、真正面に聳えるうつせみ山の俗臭芬々たる、私の亜流にもなれない岩のひとつだった。それは、来春のために葉を落とした木々を薙ぎ倒して転がって行った。地変と錯覚した老人が竹林の草庵を飛び出し、危機一髪で難を免れた。熱り立つその岩は尚も落ちて治山工事に携わる連中の四輪駆動車をペしゃんこにし、炭焼き窯を破壊し、禅寺の山門を滅茶苦茶にしてようやく停まった。私は世一に言った。「見たか、あのざまだ」と。世一は私に言った。「でも、あいつは飛べたぞ」
(12・14・木)

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