『にじみ』で初めて仏教を歌いました/二階堂和美さんインタビュー(2/3)
歌手でありお坊さんでもある、二階堂和美さん(以下、ニカさん)インタビュー第2回です。
今回は、2011年6月に発表されたアルバム『にじみ』についてお話を伺っています。『にじみ』は、人生のなかで経験した「いやー、まいった!」を通して、ふたたび仏教に出会いなおしたニカさんが、はじめて全曲を作詞作曲して作ったアルバム。シンプルに作りこまれた音、千変万化するニカさんの声。『にじみ』の曲には「仏さま」なんて歌詞は一度も出てきません。「仏教かどうか」関係なく、ほんとうにすてきな曲がつめこまれたアルバムだと思うけれども、聴けば聴くほどにどうにも仏教がしみこんでくるのを感じます。ニカさん自身はどんな気持ちでこのアルバムを作ったのでしょうか?
「絶対捨てないもの」ができて腹が括れた
――『にじみ』は、ニカさん自身がすべての作詞作曲を手がけた初めてのアルバム。「自分の曲だけでアルバムを作ろう」と思ったのはどうしてですか?
以前は、自分の作った曲で「愛がどうのこうの」とか、恥ずかしくて言えなかった(笑)。抽象的な風景を歌うことが多かったんです。でも、ライブの最後に『愛の讃歌』のカバーを歌ってみたら、なんだか反応がいいんですね。人が作った曲のほうが、割り切って存分に歌えるなあって。それで、もともと歌詞を書くのが苦手だったし、自作曲を作るのをパッタリやめたんです。カバーをしたり、曲を作ってもらったりして、歌手に徹するほうが自分には向いてる、と思って。
――だから、『二階堂和美のアルバム』では歌詞の提供を受けたり、カバーアルバム『ニカセトラ』を作ったりされていたんですね。
そうそう。それらのおかげで歌に対する手ごたえは格段に上がりました。でもまた、釈然としなくなってきた。ステージに一人で立って、弾き語りスタイルでライブをやっていれば、やっぱり人は、シンガーソングライターだと見るわけです。でも自分の言葉じゃない。だんだん嘘をついてるような気になってきて、人前で歌うこと自体、疑問に感じ始めて、ライブが苦痛になってきて。
――そこから、自分で歌詞を書いて曲を作ろうという気持ちに?
広島に帰ってから、広島FMで番組を持たせてもらったり、コラムの仕事をいただくようになっていたんです。それまで、自信がなくて自分の意見を表に出さないようにしていたから、歌詞を書くのもMCでしゃべるのもイヤだったんですけど、少しずつ”出し癖”がついてきたんですね。さらに2009年頃に原発の問題を知ってからは、ブログ等で発言しはじめました。自分の中であいまいにしておきたかったことに踏み込んだから、かなり勇気が必要でした。そうこうしてるうちに、ふと「こんなに書いたり、しゃべったりしているなら、私は歌詞が書けるんじゃないか」と思ったんですね。
そしたら、するするするーっと出てきた。自分で曲を作りはじめると、人前に立つ意味みたいなものもハッキリしてきました。「言いたいことなんかない」「恥ずかしいからぼやかしておきたい」と思っていたことを、腹を括って言えるようになってきて。出し癖ってこともあったけど、腹を括れた一番大きな理由は、やっぱり実家に帰ってきて「ずっとここで暮らすぞ」って決めたことだったと思う。それと僧侶として生きていくこと、この二つは絶対に捨てないと決めた。それをラジオやコラムで少しずつカミングアウトしていくことで、自分の中でも定着してきて、「案外悪くないかもな」って肯定できるようになってきて。自分のキャラクターというか、持ち味みたいなのを、良くも悪くも客観視できるようになってきたら、やるべき事も見えてきました。
『にじみ』というタイトルに込めた思い
――『にじみ』というアルバムタイトルはどんなふうに決められたんですか?
当初は、自分のやりたいように作ったので『十八番(おはこ)』にしようと思っていたんです。でも、録音が終わった翌日に東日本大震災が起きて、「この時期に出す意味」を考えざるを得なかった。
――震災直後の日本でアルバムを発表する意味はあるのかどうか、と。
そう。だけど、改めてできあがったアルバムを聴いてみると、案外自分だけの思いでできたものではないような気がして。この時期だけれども出してもいい、むしろ聴いてもらうことで何かの力になる可能性もあると思ったんです。このアルバムが、たとえ「二階堂和美」が忘れられた後にでも、曲だけが誰かの心にふっと届くってことも、出しておけば有り得るかもしれない、と。それなら出す意味があるんじゃないかって。それでタイトルも考え直しました。
そのとき読んでいた早川義夫さんの『たましいの場所』のなかに「音楽を手段としてではなく、音楽を目的にしている人だけが、悲しみを表現できる。悲しみは作り出せない。悲しみは張り付いてしまったものだ。染み付いてしまったものだ。隠すことも、ごまかすことも出来ない。にじみ出てしまうのである。」という箇所があって「あ、にじみだ。」と。そう、これは作ったんじゃない、にじみ出てきたものだった、って。私にとって染み付いたものだし、聴いてくれる人にもシミみたいにしっかり染み込んでいってほしい。内面からにじみ出るものと外側から染み込んでくるもの。ハッキリ重ねるというよりは、人と人とが、事柄と事柄とが、バンドのメンバーの音もそうだったし、お互いの色がにじみ合っていく水溶性の感じ。いくらでも溶けあって混ざりあえる寛容さというか、むしろ濁ることで出てくる深みとか、そういう味わいのものでありたいと思ったんです。
――『にじみ』のなかで歌うニカさんと聴いている私たちもまたにじみ合う。
震災で傷ついた人の痛みがきれいさっぱりなくなるなんてことは絶対にないんだけど、当て布みたいに吸い取れたら、それで少しでも楽になってもらえたらいいなって。歌を聴く、音楽に触れることで外に出してもらえたらって。
――歌詞やメロディはどんなふうに生まれてきたのでしょうか?
ここ数年、おばあちゃんたちとNHKの歌番組を見たり、父が揃えてる昭和の流行歌CDを聴いていて、流行歌ってよくできているなあと思って。さりげない応援歌があったり、暗い時代に明るい歌が流行ったりとか、すごく勉強になったんです。『にじみ』の曲は、そういう昭和初期や戦後の流行歌に影響を受けていますね。
ただ、サウンドに関しては、昭和歌謡というよりはワールドミュージック的な感じになってると思います。自分の大好きなミュージシャンたちに集まってもらって一緒に作ったので、自然とジャズとかラテン系のアレンジになりました。
――たしかに。どこかで聴いたことのあるような、しっくりくる曲調なのにジャズっぽかったりサンバになっていたりしていて。
昭和の流行歌のすばらしいところはその骨組みのところにあると思っているので、そこを継承していきたいんです。サウンドのアレンジではなくて、歌詞やフレーズとかですね。『にじみ』を出した後に、小泉今日子さんや『おかあさんといっしょ』への曲提供のお話などを頂けたのは、そういうところを面白がってもらえたのかなと思っています。
これだと思った道をやってみることで、前に進めるんだなって、失敗を重ねてようやく少しずつわかってきたような。恥をかきながらも、進んでみるもんだなあって。
一世一代のワンマンツアー『にじみの旅』で
――『にじみ』は本当に評価が高くて各方面から大絶賛でしたね。以前のアルバムと比べて、ニカさん自身の感触はどうでしたか?
ほんとにありがたいことでした。私も今までで一番届いている感じがしています。10年もやっているのに、全部自分の作詞作曲で作って「自分の作品だ」と言えるアルバムは初めてだったから、評価されてもされなくても自分のなかでは達成感があるというか。でも、正直言うともっと話題になってもいい、「紅白歌合戦」くらい行ってもいいと思っていました(笑)。
去年の秋におこなった発売記念ツアーも、私は母親世代の人たちにも聞いてもらえるような大きめの会館を回りたかったんだけど、こういうツアーって、発売前に組まなきゃいけないから、発売後にどれだけ話題になるか、その時点ではいまいち読めないんですよね。結局100人前後の小さいところをたくさん回ることになったんです。そうなると、バンドも全公演フルメンバーで揃えるのは無理だったし、設備も整ってないから場所ごとにいちいち工夫が必要で。最初は「こんなはずじゃなかったのにな」と思っていたけど、いざツアーが始まってライブを重ねていくうちに、だんだん「すごくありがたいな」と思うようになってね。そこに集まってくれた人は一人残らず感動してくれているのがわかるから、すごい勇気と励ましをもらって。
――私が行けたのは、その半年後にソウル・フラワー・モノノケ・サミットといっしょにニカさんが京都に来た時のライブでしたが、ほんとに一人残らずニカさんに惹きこまれていくのを感じました。みんながすごくいい顔をしていて。
ありがとう。でも、その一世一代のワンマンツアーだった『にじみの旅』の実情は、ふた月かけて30カ所回ったんだけど、その半分以上は体調を崩しちゃっていて声もボロボロで、すごく悔しくってね。「明日声が出るかわからないけれど、命削って今日は歌います」みたいな感じで精一杯やるという繰り返しでした。お寺のこともあるし、どこかで「このツアーが終わったら引退だ」「このツアーが最後」みたいな感じもあったから、「また二度とは来れないかもしれないのに。私はもっとちゃんと歌えるのに!」ってもどかしくもあって。申し訳なさと無念さと、ふがいなさで、ずっと泣いてました。
でも、小さいところを回ったからこそ、終わった後にお客さんとサイン会をしたり、直接お話したりできたんですね。それで体力も消耗するけど、もらうものもたくさんあって。「確実に届けられたな」っていう手応えがあって、最後の頃にはもう「紅白に出たい」なんて思いも吹き飛んでしまっていました。
100人ずつだとしても、30か所回って3000人の人が確実に私のことを迎え入れて、自分に取りこんでくれて「元気が出た」とか言って帰ってくれた。通じ合えたことがすっごい幸せなことだなって思います。
まずは「ニカさんが言ってた」でもいいと思う――『にじみ』の歌詞はどういうふうに書かれたんですか?
お寺という環境は人の生死に接することが身近だし、おばあちゃんと一緒に暮らしていると「死にたくない」「迷惑をかけるだけだから、早く死なないといけない」「死にたいけど、死にたくない」という葛藤を抱えているのがよくわかる。そういう葛藤って、この先ずっとつきまとってくるんだよなあと思うし、自分も家族も明日生きているかどうかはわからない。そんな日常のなかにいると、どうしたって「自分はどう生きるか」がテーマになってくるし、出てくる言葉もそこに引っ張られていくんですよね。
でも、達観したようなことを言ってもしょうがないし、迷っていることをそのまんま出したらいいかなと思って。状況を説明する歌詞は好きじゃないから、思いの真髄みたいなところを言葉にしたいなと。生活のワンシーンでふと口ずさみたくなるフレーズを作りたいなと思いました。「いつの間にやら、いまでした?」とかね(笑)。
――私は『にじみ』を聴いて、「なんて仏教なんだろう」ってビックリしました。「とつとつアイラブユー」なんてせつないラブソングなのにすごく仏教だなあと思ったし。
あはは!「とつとつ?」にまで仏教を読みとってくれる人は本当に稀だと思う(笑)。嬉しいな!『にじみ』は全部根底に仏教の教えがあるんだけど、「とつとつ?」は特に具体的な引用もしたしね。親鸞聖人が法然上人に「だまされてたってかまわない。この人について行く」と思ったところに重ねてもいるんです。
――そうなんだ! それは考えてなかったです(笑)。一曲ごとに、ニカさんの仏教がしみていて。もしかしたら、何かあったときに「ああ、ニカさんが歌っていたなあ」というふうに仏教のエッセンスが伝わるんじゃないかなと思うんです。
それでもいいと思ったんですよ。「ニカさんが言ってた」でいいと思うんだ(笑)。仏教だと意識しなくても仏教が伝えたかったことが伝われば、まずはそれでいいんじゃないかと思って。興味を持ってくれた人が「この歌詞の裏には仏教があったんだ」と行きついてくれたとしたら、同志を得たって感じがして単純にすごく嬉しいけど、別に布教が目的で歌を書いているわけではないしね。
――「めざめの歌」は、”「愛」とか「好き」みたいな言葉は使わないラブソング”みたいな感じで、仏教の言葉は出て来ないけれどすごく仏教を歌っているなあと思いました。
「めざめの歌」は、はじめて仏教的なものの見方を自覚的に歌の中に入れた曲なんですよ。2009年に作ったのかな。「あ、言っちゃった!」みたいな。「この世のすべてはどうにもならない それでも生きる」って。その後の「女はつらいよ」の「悔やんでもこのバカは同じ過ち繰り返す」とか、「いつのまにやら現在(いま)でした」の「気づいたような気になって 案外それも的外れ」とか、どんどん言いはじめちゃった。
でも震災後の日本で、「『めざめの歌』はもっと届けたかったね」っていう感じがあるんです。おごりかもしれないけど、この曲をより多くの人に届ける義務があったんじゃないかと。売り込みたいっていうんじゃなくて、みなさんの心の中に仏教を伝えたいっていうのと同じように「今日のこのひとときはもう二度と返らぬ」「この世のすべてはどうにもならない」「それでも生きる」っていうのを、ふと「ニカさんが言ってたな」でもいいから思ってほしい。たぶん、一仏教者として、一歌手として、1人でも多くの人に希望を持ってもらいたいっていう使命感みたいなものから、「紅白に出たい」って言ってるんだと思います。まあ、「紅白に出たら、堂々と音楽続けられるなあ、そしたら少々お寺を留守にしてても許してもらえるかなあ」とかが現実的な理由なんだけど(笑)。(さらに、来週へと続く)
プロフィール二階堂和美/にかいどうかずみ
http://www.nikaidokazumi.net/
1974年広島生。浄土真宗本願寺派僧侶。高校時代よりバンド活動を開始、1997年からギターを弾きながら歌うスタイルでソロ活動を開始。1998年、山口から東京へ移住。1999年ファーストアルバム『にかたま』以後、5枚のアルバムと2枚のミニアルバム、国内外のミュージシャンと数々の共作アルバムをリリース。2004年に広島へ帰郷する。天使のようなやさしい歌声から力強くソウルフルな歌声まで自由自在にあやつり、天真爛漫なステージでは聴く人の心と身体を和ませる。2011年、全曲を自ら作詞作曲したはじめてのアルバム『にじみ』を発表、高い評価を受ける。『mina” perhonen(ミナ ペルホネン)』の2011 秋冬の映像モデルにも抜擢された。
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