ベトナム戦争前後まとめてみた【後編】
パリ協定
米 「じゃあ俺は南ベトナムから完全に撤退するわ」
北べ「外部からの援助も禁止な。俺はアメリカの捕虜を解放するわ」
ベトナム諸国「北緯17度線は南北ベトナムの国境じゃなくて、今後統一選挙をするまでの停戦ラインね」
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米 「これからはソ連とのデタントやアポロ計画で忙しいわ。オイルショックも起きちゃったし」
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北べ「アメリカは忙しそうだからもう介入してこないだろうし、やっぱ南ベトナム攻撃するわ!」
南べ「は!? いやおかしいだろ! もう米軍も殆どいないし物資もないから戦えんわ! アメリカ助けて!」
米 「えー……いやもうそっちでやれよ、俺関係ねーから」
南べ「きたないなさすがアメリカきたない」
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北べ「アメリカいなきゃ楽勝www サイゴンはもう目の前や!」
米 「南ベトナムに残されたアメリカ関係者は死ぬ気で救助するわ(キリッ」
日本「あのー……日本人も取り残されてるんです。救助してもらえませんか」
米 「参戦してなかった奴のことなんか知らねえよ。日本の航空会社にでも頼めば?」
日本「で、ですよねー! 日本航空さん頼みますよ!」
日航「そうだな……だが断る。危険が危ないので組合の答えは“ノー”だ」
日本「ゲェェーーーーーz_____ッッッ!?」
韓国「ウリは一緒に戦ったから、救助してくれるに決まってるニダ」
米 「アメリカ関係者の救助だけで手一杯だからお前の相手してる暇なんてねーよ(@w荒」
韓国「」
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南北ベトナム統一
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1975年4月、北ベトナムによって南ベトナムの首都サイゴンが陥落。
それとほぼ同時期、ポル・ポト率いるカンボジア民族統一戦線(クメール・ルージュ)が
クメール共和国(ロン・ノル政権)首都プノンペンを占領。
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時間は少し遡る。
ロン・ノル政権のクーデターによってカンボジアの王位を追われ
中国を頼って北京に亡命していたシアヌーク。
ノロドム・シアヌーク
シアヌーク「アメリカめ……」
中国「シアヌークさんに会わせたい人がいるアルよ」
シア「誰?」
ポル・ポト「俺やで」
シア「あってめぇ、この野郎! ここで会ったが百年目だ!」
中国「まあ待つアル、あんたがかつてクメール・ルージュとモメてたのは知ってるアル」
シア「じゃあ何でこんな奴連れて来たわけ!?」
中国「あんたも悔しいアルよね? 何も悪いことしてないのにアメ公に追われて、侘しい亡命生活アル」
シア「ぐぬぬ……」
中国「いま中国がイチオシしてるのがポルちゃんアル。仲直りして返り咲く気はないアルか?」
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シア(ポル・ポトの力と中国の支援を利用してカンボジア国王に返り咲くのも悪くないか……)
ポル(旧体制の国王シアヌークを盾にすれば、クメールルージュによるカンボジア支配の正当性を主張できる)
中国(我々の手先がカンボジアを取るなら誰でもいいアル。ソ連とソ連の支援を受けてるベトナムへの牽制にもなるアル)
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シアヌーク「……オッケー! いい感じ☆」
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時間は戻って、クメールルージュによるプノンペン占領後。
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シアヌーク「うっはwww カンボジアの大統領に返り咲いたったwww」
クメールルージュは国名を民主カンボジア(カンプチア)に改称。
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ポル「金や軍事力は中国、政治力はシアヌークの力を利用してロン・ノルを追い出した」
ポル「用済みのシアヌークは宮殿に軟禁して24時間監視。子供や孫は殺してやった」
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シア「次は私が殺される番なのか……? もう耐えられない、海外で療養されてくれ……」
ポル「シアヌークももう限界だ。利用価値もないし大統領辞めさせて宮殿に幽閉しておこう」
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ベト「中国の息のかかったカンボジアが隣で調子に乗っててウザイ」
ポル「ソ連の支援を受けているベトナムは脅威だ。早めに手を打つためにも攻撃をしかける」
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ベト「え、あいつらマジで攻撃してきたん? アホなん? あと、なんかカンボジアからいっぱい避難者がきた」
避難民「ポル・ポトマジでキチガイ」
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ポル・ポト政権による虐殺
1975年4月にポル・ポト率いるクメール・ルージュが、クメール共和国を廃し、民主カンボジア(後に民主カンプチア)
を建国してからほんの4年の間に行われた、人類史上稀に見る、大規模かつ冷酷な虐殺。
クメール共和国崩壊時およそ800万人ほどいた国民が、1979年に政権崩壊するまでの間に2〜300万人ほども殺された。
(被害者の人数については精確なことは分かっておらず、諸説ある)以下に、一例を挙げる。
・アメリカの空爆があるから、または物資がないからなどの荒唐無稽な理由をつけて、農村へ強制移住させた。
その際、腕や足がない瀕死のけが人や、輸血がないと生きていけない重病人、老人、赤子も区別なく
強制的に徒歩で移動させた。ついてこれない者は殺された。
・医者、看護師、教師、技術者、留学中の学生、僧侶、前体制時の将校などの知識階級の国民に
「新国家建設のためには君たちの協力が必要だ。一緒に理想の国家を作ろう」と呼びかけ
それに共感して集まってきた人々を、銃殺したり崖から突き落とすなどして全員殺した。
・音楽、映画などの娯楽は全て封じられ、歌手や舞踏家は全て殺された。ある有名女性歌手は
「知っている歌を全部歌え」と命じられ休みなく歌を歌わされ、歌える歌が無くなったらその場で処刑された。
・眼鏡をかけていただけで、知識階級と見なされて殺された。
・まだ何も知らない子供達が重用された。教育は全て廃された。兵士、医者、看守、技術者などの要職は全て
子供に従事させた。専門的教育など当然施されていない子供が傷の手当てや薬の処方、時には手術すら行った。
また、子供はスパイとしても使われた。現体制への批判や不満を子供に聞かれたら通報され、殺された。
やがて子供たちは完全に政府によって洗脳され、命令とあれば誰でも殺す冷酷な集団となった。
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ベト「表向きは、カンボジアからの避難民を主軸にしたカンプチア救国民族統一戦線(FUNSK)
に、ポル・ポト政権からのカンボジア解放を名目に攻撃させる。でも実際にはベトナム軍が主力として戦う」
ポル「ぼくがかんがえたさいきょうの子供兵士がいればまけるわけがないのだ!」
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ポル「負けた……いや、もとい! これはジャングルに敵を引き込んで一網打尽にする作戦なのだ!」
ベト「論破されて釣り宣言っすかw 顔真っ赤www」
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FUNSK「プノンペン占領して、カンプチア民主共和国(のちに、現在のカンボジア国)を成立させた!」
ソ連「よっしゃベトナムちゃん、よくやったでぇwww」
中国「おいベトナム……久しぶりにキレちまったよ……(⇒後に中越戦争に発展)」
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ポル「何とか、タイの山中に逃げ込んだ……タイの人、助けてくんね?」
タイ「国内の共産主義勢力を追い出したいところなのにお前らの面倒なんて見るかよ」
中国「ほう、なら俺がタイ国内の共産勢力支援から手を引けばクメール・ルージュを支援するな?」
タイ「それなら……片目つぶってやるよ」
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米 「タイはアジアにおける反共産主義の最後の砦だ!」
英 「中ソベトナムに対抗するため、タイとクメール・ルージュを全力で支援する!」
米英「クメール・ルージュを国連におけるカンボジア代表として支持、承認する!」
米英(そのためにはクメール・ルージュによる虐殺の事実は隠しておこう……)
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ポル「ぬふふ、今のうちにゲリラ戦法でベトナムと戦うぞ。安くてメンテ不要で殺傷力の高い
『完璧な兵士』地雷をカンボジア国境付近にバラ撒いたったwww」
この後カンボジアはベトナムの介入もあり、泥沼の内戦状態が持続。
中国はクメール・ルージュ攻撃への報復としてベトナムと戦争へ。
ソ連は一貫してベトナム支援を続け、ベトナム・カンボジア対立はやがて中ソ対立の代理戦争へ。
タイはベトナムからのポル・ポト派への攻撃にさらされ、さらに大虐殺者を匿ったことに対して
世界からの批判を浴び、折からの不況もあいまって幾度もの政変やクーデターを経験。
そしてベトナム・カンボジア・タイの国内には、アメリカによる空爆の不発弾や、クメール・ルージュが
残した地雷を未だ数百万発も残し、全ての除去には200年以上の年月が必要とされている。
※この記事はGAGAZINEさんよりご寄稿いただいたものです
ウェブサイト: http://gaagle.jp/gagazine/
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