捨て鉢はどんな「鉢」?由来には修行中のお坊さんがかかわっていた?!
何もかも投げ出して自暴自棄になったりヤケになったりすることを指して「捨て鉢」という言葉を使うことがありますよね。
この「捨て鉢」の鉢とはどういう鉢を指しているのでしょうか。
これに関しては修行中のお坊さんに関係しているとされており、お坊さんが途中で修行を断念したことから生まれた言葉とされています。
ここでは、そんな捨て鉢という言葉についてご紹介します。
捨て鉢とは
「捨て鉢」とは投げ出すこと、つまり何かをやっている途中でやめてしまうことを意味します。
捨て鉢の意味
「捨て鉢」とは、自分の思い通りにならない状況からやぶれかぶれな気持ちになることを意味します。
頑張ってはいても、耐え難い苦痛などによって途中で投げ出してしまうことを捨て鉢と言います。
簡単に言えば「もうどうにでもなれ」という投げやりな心境のことを意味する言葉というです。
捨て鉢の類義語
捨て鉢の類義語としては「自暴自棄」や「ヤケ」などがあります。
後先を考える余裕もなく、とにかく逃げ出してしまうような状態を捨て鉢と表現します。
その対象は相手や他人ではなく、自分に失望してやぶれかぶれに振舞うような様子を表す言葉です。
捨て鉢の由来はお坊さんから?
そんな捨て鉢ですが、そもそもなぜ「捨て鉢」という不思議な言い回しの言葉となっているのでしょうか。
これに関してはお坊さんが関係しているとされています。
捨て鉢の「鉢」とはお坊さんなどが持っている托鉢を指しており、修行が辛くて断念してしまうことを「鉢を捨てる」と言います。
それが転じて、物事を諦め投げ出すことを捨て鉢と呼ぶようになったとされています。
もともとはお坊さんに限定して使われていた言葉だったんですね。
仏教から生まれた言葉
「捨て鉢」だけではなく、実は仏教から生まれた日本語はたくさんあります。
その中でも特に日常生活でも使いがちなのが「三昧」。意外にも仏教用語です。
また「阿吽」の呼吸も仏教から来た言葉ですし、諸悪の権現と悪い意味で使われる「権化」もそうです。
ここからはこの3つの言葉についてご紹介します。
ぜいたく「三昧」
「三昧」とは熱中したり思う存分何かに没頭したり、思う存分にふるまう様子を指す言葉です。
周りの音が耳に入らないくらい集中して読書することを「読書三昧」と表現するのは前者となります。
「ぜいたく三昧」は贅沢を思うが儘する様子ですので後者となります。
この三昧という言葉はもともと仏教から生まれた言葉であり、「瞑想により心を1つのことに集中することで同様しない安定した精神状態になること」を意味しています。
現在の意味はこの仏教用語が転じたことで生まれ、周りが見えなくなるほど物事に集中している状態や周りの声が聞こえなくなるほど熱心になっている様を指す言葉として使われるようになったとされています。
「阿吽」の呼吸
「阿吽」とは、「何か共同で物事を進める際にお互いの気持ちをぴったりと一致させる」こと、もしくは「息を合わせて行動する」ことを指します。
これも仏教から生まれた言葉で、「阿」が世界の始まりを表しており「吽」が世界の終わりを表しているとされています。
最初と最後が組み合わさったことで、終始呼吸などが合っている関係などを意味する言葉として使われるようになったのだとか。
諸悪の「権化」
「権化」も仏教から生まれた言葉です。
如来や菩薩と呼ばれる現世から乖離した存在である仏が人々を救うために、この世に仮の姿となって現れることを意味します。
また、形のない概念や思想が具体的な形となって現れたかのように思える人や物のことも指したりするのが特徴です。
近年では「悪の権化」など悪い意味で使われることも多いですが、仏教の世界では神や仏や菩薩などを表すので、本来は良い意味で使われるべき言葉という事です。
まとめ
何かを投げ出して投げやりになっている人のことを「捨て鉢」と表現することもありますよね。
この言葉には事実、自暴自棄やヤケなどの意味が含まれています。
その語源や由来は仏教にあり、もともとはお坊さんが修行を諦めて托鉢を捨てたことにちなんでいるそうです。
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