いつか親孝行を。青空が映える別所温泉で、母を想う

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いつか親孝行を。青空が映える別所温泉で、母を想う

旅の途中、その土地が気に入ると、つい「次はここに母を連れて来たいな……」という思いをよぎらせてしまう、最近の私だ。

30代も半ばを迎えて、これまでを振り返ると、親孝行らしいことをしたことがまだ一度もない。いい加減、国内旅行くらいプレゼントしたほうがいいわけだが、しかしどうにも二の足を踏んでしまう自分がいる。1泊2日の道中、はたして間がもつのか、不安なのである。これまでに母親と2人きりで旅行をしたことなどないわけで。もし親子で連れ立って旅をしたとして、そこでどんな会話を交わせばいいのか。

地味な旅行先、たとえば「トンビがたくさん飛んでいる」ということくらいしか売りのない土地を訪れてしまっては、親子の会話は必ずや途切れがちのものとなるだろう。
私「ほら、母さん、トンビが飛んでいるよ」
母「ほんとだ、いかにも猛禽類、って感じね」
私「そうだね……」
母「うん……」

ダメだ、トンビだけでは親子の会話を広げられる自信がない。猛禽類以外にも、色々とトピックのある場所でなければ、間がもたない。どこか、トピックの多い旅行先はないのか。

というわけで今回、母親孝行旅行のシミュレーションを兼ねて、私は長野県上田市の「別所温泉」に向かった。かの地であれば、親子旅でも確実に間がもつだろう。

東京駅

上田駅の近くにある非日常うどん

北陸新幹線

JR東京駅から北陸新幹線「あさま」で約1時間半、別所温泉にほど近い、JR上田駅に到着する。短い移動時間、これがまず、私たち親子旅にとっては、ありがたいものとなるはずだ。
「あら、上田駅って、あっという間に着くのね」
「そうなんだよ、母さん!」

これが半日の移動とかだったら、たぶん親子の間はギクシャクする。「次の法事の予定は来年だ」みたいな話を6回ほどリピートしたあと、お互いに無言となり、じっと車窓を眺め続ける、みたいな状況になりかねない。ああ、だからこそ、北陸新幹線の時速には感謝である。

駅前ロータリーに出れば、そこでは真田幸村の銅像が出迎えてくれる。

上田駅 真田幸村像

信州の青空が目の前に広がり、「旅に来たなあ」という感慨にしみじみと浸る。どこまでも澄んでいて、雲も軽やかに浮かんでいて、普段眺めている青空とは異なる趣だ。駅前からいきなり旅情に触れることができて、きっと母親も気分を高揚させることだろう。

そこからすぐに、駅から徒歩3分ほどの場所にある食堂へと移動したい。地元に愛される老舗「中村屋」である。

中村屋

多くの人が注文するのは、店の看板にも掲げられている「肉うどん」だ。「肉うどん」と聞けば、豚肉か牛肉を想像するかもしれないが、中村屋のそれに使われているのは、信州の名物としても知られる馬肉である。

肉うどん

独特な甘みと、ほのかな野性味が混ざる汁。喉を通り抜けていく柔らかい麺の食感。日常ではなかなか味わえないローカルなうどんが、旅情をさらに掻き立ててくれる。最近、食の細くなっている母親にも優しい一品だ。

いいぞ、上田駅。真田幸村からの、抜けるような青空からの、ご当地グルメ。息もつかせぬ展開で、親子旅行の間がもつことが十分に予測されるぞ。

上田駅

情緒だらけの駅舎

さあ、いよいよこの旅の本丸である「別所温泉」へと移動しよう。利用するのは、上田電鉄「別所線」だ。

別所線は、2019年10月の台風19号の被害により、上田駅から城下駅間は不通となっており、現在は代行バスが走っている。2021年春ごろの全線開通に向け目下復旧作業中だそう。

別所線

上田駅から城下駅まで代行バスで約8分、城下駅から牧歌的な雰囲気の溢れる列車で約30分、終点の別所温泉駅を目指す。道中、車窓からは実に信州らしい山と田園の景色を見渡すことができる。

別所線 城下駅と別所温泉駅間の車窓

このパノラマに目を細めてさえいれば、あっという間に移動時間は過ぎていく。間をもて余す心配など、する必要もない。母と子を揺らしながら、別所線はレールを穏やかな速度で駆けていくだろう。

別所温泉駅 案内看板 別所温泉駅 待合室 別所温泉駅 駅舎

やがて到着する「別所温泉駅」。この駅舎が、またレトロで可愛らしい。エメラルドグリーンを基調とした柱、案内看板の古めかしい字体、こじんまりとした待合室。どこを切り取っても絵になるスポットで、ホームに降り立つなり、胸が躍ること請け合いである。

私の母親は、こういうのに弱い。最近、趣味としてカメラも始めているから、きっと夢中でシャッターを切ることだろう。ばっちりだ、この旅程、温泉に浸かる前から、ばっちりである。

駅舎から徒歩1分ほどの場所には、かつて別所線を走っていた、側面に丸窓を持つ通称「丸窓電車」が展示されている。こちらもあわせて見学しながら、親子で旅情をぐんぐん加速させていきたい。

別所線で使われていた車両、通称「丸窓電車」

花屋

大正時代からの歴史が詰まった旅館

さて、駅前での寄り道を経て徒歩6分ほど、辿り着くのは「旅館 花屋」である。

旅館 花屋

大正6年創業という、長い歴史があるこちらの旅館。100年余りにわたり継承されたその木造建築の宿は、ほぼ全館が登録有形文化財として指定されている。慣れない親子旅の緊張も、重厚な風格をたたえた玄関をくぐりさえすれば、広がる優美な空間にほどけていくことだろう。

旅館 花屋 装飾 旅館 花屋 ロビー 旅館 花屋 渡り廊下

そしてまた、温泉が素晴らしい。風情の異なる3種類の浴場が用意されているのだ。ステンドグラスが輝く大理石の大浴場「大理石風呂」に、広いガラス張りの窓から陽が降りそそぐ「若草風呂」、それから木々に囲まれた「露天風呂」。もう、親子の会話に悩んでいる暇などない。いますぐ浴衣に着替えて、次から次へと湯船に浸かるべきである。

大理石風呂

大理石風呂

露天風呂

露天風呂(写真提供:旅館 花屋)

館内のあちこちには、味のある柱の彫刻や、年季の入ったレリーフなど、大正時代からの歴史を感じさせるアイテムを見つけることができる。文化と様式美が密に詰まっていて、なんとも目に楽しいではないか。
「素敵な彫刻ね」
「本当だね、母さん!」
「あら、部屋の柱に、かたつむりがあしらわれているわ」
「可愛いね、母さん!」
ああ、果てしなく間がもってしまう。トンビの何百倍も、間がもってしまう。

柱にあしらわれている「かたつむり」の彫刻 鶴のレリーフ

もちろん、食事だって期待していい。会席スタイルでゆっくりと提供される夕食、目移りするほどに小鉢が並ぶ朝食、そのどちらにも信州の食材や旬の食材がふんだんに使われている。ひとつひとつの膳の美味しさにため息を漏らしているだけで、親子の時間はきっと満たされていくに違いない。

もち豚すきしゃぶ鍋

もち豚すきしゃぶ鍋

なめこの入った汁

なめこの入った汁が嬉しい

朝食 白飯は長野県産こしひかり

朝食(白飯は長野県産こしひかり)

安楽寺

「椎茸」のごとき塔

さて、旅館で1泊を過ごしたわけだが、これで親子旅を終了させるのはもったいない。別所温泉界隈には、まだまだ親子旅を豊かにしてやまないスポットが点在しているのである。

花屋から温泉街のちょっと外れの方まで徒歩10分ほど、なだらかな山道に建てられた、長野県が誇る木造文化財である国宝「八角三重塔」と「曹洞宗 安楽寺」が現れる。お寺ほど、旅行中の親子の時間を適度に埋めてくれるスポットはない。どの年代層でもそれなりの観光体験を得ることができる、実に懐の深い場所、それがお寺なのである。

本堂へのお参りとあわせて、八角三重塔も拝観する。

八角三重塔

遠くから全体を眺め、その荘厳な姿を味わうのもいい。
しかし、私がおすすめする、この塔の真の醍醐味を得られる鑑賞法は「近づいて見上げる」である。

八角三重塔を真下から見上げる

その屋根の裏を見れば、きっと誰もが思うことだろう……めちゃくちゃ、椎茸っぽいな、と。(※)
そう、国宝「八角三重塔」は、椎茸感が半端ない建築物なのである。
「まあ、椎茸みたいね」
「そうだね母さん、椎茸みたいだ」
「こんなに椎茸だとは思わなかったわ」

「僕もだよ、母さん!」

そんな感じで、親子の会話は弾むこと間違いなしだ。八角三重塔が椎茸に似ていて、本当によかった。

※編集部注:ライターの私見です

北向観音

どこまでも間がもつ温泉街

安楽寺から、温泉街の中心方面へ徒歩で5分ほど、「北向観音」への参道が現れる。

北向観音への参道

食堂などが並ぶ、なんとも温泉街らしい通りだ。近くを流れる川からは、硫黄の匂いが立ち昇る。その川沿いには、かつてお土産屋さんだった建物を改築したカフェ「ハレterrace(テラス)お多福」があるので、休憩がてら、立ち寄ってみたい。

もうこの頃には、旅の非日常的なリズムにすっかり身をゆだねているはずなので、「親子で並んでクレープを食べる」といったシチュエーションに気恥ずかしさなど覚えないと思われる。なかなか母親と店で甘味を楽しむ機会もないので、きっといい思い出となることだろう。

ハレterraceお多福

ハレterraceお多福

休憩を済ませて、参道から階段を上っていけば、そこが「北向観音」の本堂である。

北向観音 北向観音

その名の通り、北側の方角をむいて建立されている北向観音の本堂(このようなスタイルは全国でもほとんど例がないという)。本尊は千手観音で、現世の幸せを願っている。

長野県には、長野市に有名な「信州 善光寺」があり、そちらでは未来の幸せを願う阿弥陀が南側の方角を向いている。つまり、北向観音と善光寺、その両方をお詣りすることで、初めて完全なご利益がもたらされるといわれているのだ。

などといった事前に得ていた知識を、親子旅の最中に惜しげもなく披露する。そうすればきっと母親は、
「この子も立派な大人になったのね、小さい頃はただ匂い付き消しゴムをかじるだけの子どもだったのに……」
などといった感慨を胸に沁みさせること、必至である。
別所温泉、パーフェクトではないか。

別所線 上田行き

参拝を終えて別所温泉駅へ徒歩10分ほど、再び別所線に揺られて帰路につく。私の頭の中の「母親孝行旅シミュレーション」もつつがなく終了する。

ああ、こんなにも間がもつとは。この地はやはり、親子旅に最適な土地であった。
いつか、然るべきタイミングが来たら、私は全力の自信をみなぎらせながら、母親を別所温泉へと誘おうと思っている。それまで母親には、元気でいてほしい。
信州の青空には、親孝行がよく似合う。

東京駅

掲載情報は2020年6月19日配信時のものです。現在の内容と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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