『千日の瑠璃』158日目——私は草だ。(丸山健二小説連載)
私は草だ。
植物に造詣の深い連中にもほとんど名を知られていない、しかしどこにでも生えている草だ。私のまわりには依然として汚れた雪が点々と残っているが、すでに抑圧の力を失いかけている。実に形のいい片丘の上をゆったりと流れてゆくのは、暖かい雨を降らせてくれるはずの雲で、その些かの瑕瑾なしとしない丘の斜面に沿ってゆるやかに昇ってゆくのは、木の芽立ちを促さずにはおかぬ、願ったり叶ったりの軟風だ。
この冬もまた無事に乗り切った私の終極の目的、それはただただ叢生にほかならない。つまり、ひたすらこの丘を覆い、埋め尽くすことにあるのだ。いつかきっと私は、ほかの土地はともかく、ここだけは征服するつもりでいる。そしてもし可能ならば、丘のてっぺんの一軒家をも攻め立てて、そこでちまちまと暮らす四人を追い落としてしまいたい。
かれらこそが私の天敵だ。かれらは年柄年中私を踏みにじり、寸断し、出鼻を挫く。かれらさえいなければ、数年以内にこの丘をわが物にできるだろう。私には時間などいくらでもあるのだ。かれらの時間には限りがある。現に去年の秋には祖父が消えている。いずれは父親と母親がそのあとを追うことになる。長女は結婚できるかどうかわからない。長男に至っては、成人に達するかどうかも極めて疑わしい。要するに、かれらの血統は廃絶の道を辿っている。この丘は遠からず私の物になるだろう。
(3・7・火)
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