チョビ髭男につけ回される〜安田純平の戦場サバイバル

シリア-イラク国境の検問所で荷物検査をされ、写真データを消された後に隠し撮り=2005年7月23日

フリージャーナリストの安田純平さんがシリア取材や戦地取材にまつわる話をやわらかく伝える連載です。冒頭写真は安田さんがシリアーイラク国境の検問所で荷物検査をされ、写真データを消された後に隠し撮りしたもの(2005年7月23日)

チョビ髭男につけ回される

十数メートル離れたあたりをずっとついてくる男がいたので、次のブロックまで急ぎ足で歩き、角を曲がったところで待ち構えた。小走りで角を曲がってきたのは、薄くなった頭にチョビ髭のずんぐりした男と10歳前後の男の子だった。こちらの顔を見て驚いた様子の2人は、ばつの悪そうな顔をしてそのまま通り過ぎていった。親子連れなら怪しまれないと思ったのだろうか。

2005年にシリアを訪れた際に、ムハバラート(秘密警察)につけ回されたときの話だ。イラク政府がビザを出さないので周辺でイラク戦争関係の取材をしようと、シリア側の国境の町アブカマルを訪ねた私は、町に一つしかないホテルに部屋を取った。しかしそのホテルはムハバラートのたまり場になっていて、到着した瞬間から監視が始まった。

03年に開戦したイラク戦争は特に04年以降、反米武装勢力による米軍への襲撃が相次ぎ、泥沼化の一途をたどっていた。米国は、隣国のシリアから「テロリスト」が侵入していると非難し、シリア政府はこれを否定しながらもアブカマルの国境検問所を閉じ、国境沿いに約3メートルの土塁を並べて警備を厳重にした。

04年、イラク駐留米軍のスナイパーがシリア側に向けて発砲し、家の屋上で遊んでいた16歳の少年と、モスクに礼拝に行こうと道を歩いていた40歳の男性を殺害した。いずれもシリア人だ。05年にも戦車と戦闘ヘリからの攻撃でシリア側の家屋12棟と学校が破壊された。死者はなかったが負傷者が出たという。

これらは、国際法に基づいて当時のブッシュ米大統領とラムズフェルド同国防長官を訴えた被害者の代理人である弁護士から得た証言だった。遺族らから詳細を聞き、米軍を撮影できれば記事になるだろうとのもくろみで私は取材を進めていた。

シリアからイラクへと流れていくユーフラテス川で魚釣りをするシリア人=2005年7月23日

へたくそな尾行がばれたチョビ髭はその日の夕方にホテルへ来て、「実はわし、警察なの」とホテルの受付を通訳にカミングアウトしてきた。「アブカマルは反米感情が激しいので、日本人は米国のスパイと思われて襲われるかもしれないから守っている」と説明した。

英仏によって引かれた国境線は一帯の部族の生活圏を分断したが、シリア政府も把握できない人や物の行き来が日常的に存在するようだ。激しい攻撃にさらされていたイラク側の町に家族がいる人も多く、イラク人への同情が広がっているようだった。弁護士もチョビ髭が言った通りの解釈をしていたのでこちらも油断してしまった。

アブカマルに着いて4日目、いよいよ現場を見ることになり、通訳に雇うことになっていた英語のできる現地人とホテル近くのカフェで打ち合わせをしていた。そこへ、盗み聞きをしていたらしいチョビ髭とは別の男が横にやってきて、アラビア語のメモなどが書いてあるノートをあからさまにのぞき込み、緊張した面持ちで黙って立ち去っていった。

すぐには何も起きなかったが、ネットカフェに入ったとたんに回線が切れ、仕方なくしばらく外をうろついてから戻ってもまたすぐ切れた。店員に聞くとネットを使わせないよう警察から指示があったらしい。弁護士には「余計なことを話すな」と脅しが入っていた。ホテルに戻るとすぐに砂漠仕様のランドクルーザーが横付けされ、警察署まで連行されて尋問された。

フリー記者の私にはジャーナリストビザはなかなか出ないし、そもそもジャーナリストビザとは取材を管理するためのものなので、海外取材の際には基本的に観光ビザを取るようにしている。捕まったときはひたすら「観光に来た」と言うしかない。このときもイラクや弁護士のことはいっさい口にせず「観光」と約1時間言い続け、なんとか逮捕はされずに町からの強制退去ですんだ。

シリア政府の狙いは情報管理であり、恐らくジャーナリストビザがあっても結果は同じだっただろう。特に戦争取材は当局とのだまし合いの部分が多いのだが、かなりの技術と運がなければ危険なうえに私のように撃退されることが多い。

米軍の攻撃でシリア人が犠牲になったのだが、米国を刺激したくないシリア政府としては伏せておきたい事件だったようだ。08年にはイラク側から米軍が市内へ越境攻撃を行い、「国際テロ組織アルカイダ」の幹部を殺害したと報じられた。

これに対し、シリア政府側はいずれも一般市民の8人が死亡したと発表したが、「実は事前に攻撃を了解しており、現地の住民に、家族を殺されたくなければ何があったか話さないように、と秘密警察が釘を刺した」といった報道もあった。生き残りをかけてシリア政府はさまざまな駆け引きを行っていたことがうかがえる。

激しい内戦状態となった2012年の7月、アブカマルの国境の主要な検問所は反政府側武装組織が制圧した。かつてシリアからイラクへと反米武装勢力が侵入していたとされるシリア-イラク国境は、シリア政府へのイランからの武器輸送ルートであり、反政府側への武器と外国人戦闘員の流入ルートになっている。

【写真説明】
(写真1)シリア-イラク国境の検問所で荷物検査をされ、写真データを消された後に隠し撮り=2005年7月23日
(写真2)シリアからイラクへと流れていくユーフラテス川で魚釣りをするシリア人=2005年7月23日

安田純平さんが出演するオフラインイベントが開催されます。
「ライターはなぜ取材し続けると貧乏になるのか2 海外・戦場取材編」
9月26日(水)19時〜東京都新宿区新宿5丁目11-23「LiveWire」
取材に熱中するあまりふと気づいたら貧乏になっていたというフリーライター・ジャーナリストの皆さんが集まり、面白トークを展開。
今回の出演者は3名中2名が海外拘束経験あり…海外取材での貴重な経験談、質問コーナーもあり。
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=48637488
出演:安田純平さん、常岡浩介さん、中島麻美さん

安田純平(やすだじゅんぺい) フリージャーナリスト

安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト

1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei

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安田純平

1974年生フリージャーナリスト。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』

ウェブサイト: http://jumpei.net/

TwitterID: YASUDAjumpei

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