電気ショックで拷問される日々〜安田純平の戦場サバイバル

政府軍の砲撃で負傷し、隣国で治療を受けるシリア人。妻子を失ったという男性の思い 詰めたような目が気になった=2012年6月14日

フリージャーナリストの安田純平さんがシリア取材や戦地取材にまつわる話をやわらかく伝える連載です。

電気ショックで拷問される日々

目隠しをされて後ろ手に縛られ、十枚以上の紙に指紋を押させられた。これでいくつもの罪を犯したと認めたことになったらしい。殴られ、焼きごてで足を焼かれ、電気ショックを当てられる拷問の日々が始まった。

行方を突き止めた家族が2000ドルの裏金を払ったことで約8カ月後に釈放されたが、日々の拷問で妻のことも、車の運転の仕方も、インターネットの使い方もすべて忘れてしま
っていた。牢屋では金を払えば薬が手に入り、やはり拷問を受けていた仲間のささやかな治療をしていたために、医師としての知識と技術だけは残っていた。

シリア西部出身のこの40代の医師は昨年4月、秘密警察に「テロリスト協力者」として拘束された。
住んでいた地区では反政府デモは行われていなかったが、ある日の夕方、突然銃撃が始まったという。ある知的障害者の青年は、ウェディングパーティの途中で外へ出て踊っていたところ、右足を打ち抜かれて近くのモスクに運び込まれた。たまたま近くを通っていたこの医師が応急措置をしたが、周囲はスナイパーの銃弾が飛び交い、病院へ連れて行こうにも外に出ることすらできない。近所の人々が医薬品を持ってきてくれたが、助けることはできなかった。その日、その町では10人余が死亡したという。

医師は、モスクにやってきた警察官に「こいつはテロリストだ。なぜ助けるのか」と厳しく追及された。

昨年3月以降、反政府運動がシリア国内各地で展開され、デモ隊への発砲やスナイパーによる通行人への狙撃が行われるようになった。反政府運動の参加者は政府から「テロリスト」と見なされ、負傷して運ばれた病院に治療を拒絶されたり、拘束されるのを恐れて家族が病院へ連れて行かなかったりして、そのまま命を落とすケースが頻発したという。
上記の事件の直後、海外メディアの取材に対し「スナイパーに撃たれるので医薬品を仕入れることもできず、できるのはただ止血することだけだ」とコメントした医師は、数日後、秘密警察に家に踏み込まれ、そのまま行方知れずになった。

医師と一緒に捕まった同僚は、兄弟のように育ち、ともに医学を学んだ一心同体ともいえる親友だった。両手を鎖で縛られ、殴られて薬も与えられなかった親友は、すっかり衰
弱した状態で医師よりも1カ月早く釈放された。

「恐らく反体制側として何人かの名前を適当に言って釈放されたのだろう。かなり衰弱していたから、思わず話してしまったのではないか。その後、あいつはすべてしゃべったぞ、とさんざん誘導尋問されたが、自分は何も知らないと言い通した。本当に何も知らないのだから。最後は、お前は危険だ、覚えておけよ、と言われて釈放された」と医師は言う。

昨年末、医師が約8カ月ぶりに自宅に帰ってみると、診療所も自家用車も破壊されて
いた。政府側民兵が踏み込んで荒らしていったという。修繕して診療を始めたものの、
秘密警察に「あいつの治療を受けた人間はテロリストだ」と言いふらされ、あからさ
まに家の周りを見張られた状態で、患者は一人として来なかった。生活は困窮してい
った。

1カ月ほどがたったころ、先に釈放されていた親友が、拷問による衰弱から回復することなく死亡した。葬儀で親友の棺を担ぎながら、医師は初めて反政府デモを行うことを決意した。周囲からは物静かな男と言われていたが、この日、彼は「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)!」と叫んだ。

地域のリーダー的存在だったこの医師の呼びかけにそれまでデモなど行ってこなかった地区の人々が応じた。その後に訪れるだろう厳しい状況を知りながらも人々は通りへと繰り出し、反政府の声を上げた。

アサド政権の中枢を握るイスラム教アラウィ派の集落に囲まれたこの町ではその後も武装闘争はなく、戦闘や爆撃はないものの、デモの参加者は尾行され、盗聴され、拘束されたり行方不明になったりする人が出始めた。やがて生活ができなくなり、町の人々は離散した。

隣国に避難した医師は、シリアから運び出されて入院している負傷者や難民生活を送っている家族らを見舞って毎日を過ごしている。物静かな男だったとは想像つかないほど、常に冗談を言って周囲を笑わせている。貯金はほぼ底をつき、生活費は医師仲間からのカンパだけ。家を空ければ政府側民兵などに奪われる恐れがあるため、家族はまだ町に残ったままだ。

「毎日忙しいけど、家族は大変な状況のままシリアで暮らしているので、自分だけ休むわけにはいかないから。自分は以前、大きな家に住んでいて裕福で、患者たちと話すこともなかったが、ほぼすべてを失った今では大変な暮らしをする彼らの気持ちが理解できる。こんなときこそ明るくすごさないといけないから、いつも新しい冗談を考えているんだよ」

焼きごての跡が残るくるぶしのあたりをさすりながら、医師はにこやかにこう語った。

空き店舗を借りて生活するシリア人難民=2012年6月10日

【写真説明】
(1枚目)政府軍の砲撃で負傷し、隣国で治療を受けるシリア人。妻子を失ったという男性の思い
詰めたような目が気になった=2012年6月14日
(2枚目)空き店舗を借りて生活するシリア人難民=2012年6月10日

安田純平さんが出演するオフラインイベントが開催されます。
「ライターはなぜ取材し続けると貧乏になるのか2 海外・戦場取材編」
9月26日(水)19時〜東京都新宿区新宿5丁目11-23「LiveWire」
取材に熱中するあまりふと気づいたら貧乏になっていたというフリーライター・ジャーナリストの皆さんが集まり、面白トークを展開。
今回の出演者は3名中2名が海外拘束経験あり…海外取材での貴重な経験談、質問コーナーもあり。
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=48637488
出演:安田純平さん、常岡浩介さん、中島麻美さん

安田純平(やすだじゅんぺい) フリージャーナリスト

安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト

1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei

  1. HOME
  2. 政治・経済・社会
  3. 電気ショックで拷問される日々〜安田純平の戦場サバイバル

安田純平

1974年生フリージャーナリスト。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』

ウェブサイト: http://jumpei.net/

TwitterID: YASUDAjumpei

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

記事ランキング