青木さやかが抱いた母への確執、抵抗しながらも迎えた最期のとき。多くの女性が悩み共感する母娘の関係性とは

青木さやかが抱いた母への確執、抵抗しながらも迎えた最期のとき。多くの女性が悩み共感する母娘の関係性とは
タレントの青木さやかさんが、長年母親との関係に苦しんでいたことを告白。価値観を押し付ける母親に反発してきたものの、母親の晩年になってようやくその距離を縮めることができたという言葉に、多くの女性から共感の声があがっています。

以前、過剰な期待や干渉、またはネグレクトに近い扱いをして、子どもの人生を生きづらくさせる母親を「毒親」と呼び、話題になりました。決して「毒親」というわけでもなく、他人から見ると仲良し親子や、しっかり者の母と優等生の娘に見えても、その近すぎる関係性に身動きが取れず苦悩しているというケースもあるようです。

そんな関係性のまま、親が晩年期にさしかかると、娘が親の介護に直面しても素直に面倒をみる気持ちになれない自分に嫌悪感を抱き、さらに新たな苦悩を抱えてしまうという事態にも。

同じ女性として、深い絆で結ばれていながら、抑えようもない嫌悪感にとらわれてしまう娘の心理には、どのような理由があるのでしょう。実の母娘であるがゆえに、お互いに反発し傷つけ合ってしまう母と娘の関係は、どうすれば穏やかなものになるのでしょうか。社会の中で自分らしく生きる女性を応援する生き方・働き方カウンセラーの鵜飼柔美さんに聞きました。

「親は子どもに愛情を与えるもの」「親には優しくするべき」という固定観念を捨て「優しくなれない」自分に嫌悪感を抱くなかれ

Q:子どもが親に反発するのは、成熟した大人になるための成長の過程と思われていますが、母娘の場合に確執が長引いてしまうのはなぜ?
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青木さんはちゃんと反発ができていたようですが、むしろ、思春期にきちんと親に反抗しなかった、できなかったという娘の方が、いつまでも確執を引きずることが多いと思います。娘が成長とともに自分の価値観を持つようになり、心の中で母親に対する違和感を抱いたとします。しかし、それを母親にぶつけることができないままでいると、長い間、それを持ち続けてしまいます。

娘が迷ったりつまずいたりしたときに、母親に慰めや助言を求めても、価値観の違いから満足な対応が得られないだけでなく、否定されてしまう場合があります。
すると娘の方は、心のどこかで求めつつも、「この人には相談しても無理」とあきらめてしまったり、またそう思いながらも、つい受容を求めてしまったりを繰り返してしまいます。そうして長引いてしまうことが多いのです。

また、そういった体験もなく、違和感に気付くこともなく成長してしまうと、母親からの支配状態から抜け出さないまま大人になってしまいます。
母親が求めるように生きるということは、自分自身の人生を歩んでいるとは言えません。
職場でも、パートナーと作る新しい家庭でも、他人軸に合わせて生きてしまい、いつも本当の自分を出せない人生になってしまいます。

Q:姉妹のように仲良しだった母娘が、のちに険悪になるケースも多いようです。その関係性が変わるきっかけは?
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娘が成長し社会性を学んで、母親以外の人、たとえば友人、先輩、後輩、上司、部下などと良好な関係を築いていく過程で、ありのままの自分を受け入れてもらえる存在を得たとき、自分と母親との関係を客観的に見ることができるようになります。

それまで最優先にしていた母親よりも、自分と親密な人との関係を優先したくなったとき、母親にとっての「良き娘」から卒業するきっかけとなるでしょう。

たとえ母親が望んだ通りの生き方をしなくても、十分に承認される関係が増えてくると、今度は母親とも、自然に新しい関係性になることがあるのです。

Q:青木さやかのように、子育てをしながら社会で活躍する女性が、自分の母親との関係性に悩むことはよくあるのでしょうか?
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多くの場合、私たちは家庭という社会の最小単位から人生をスタートさせます。そういう意味で、母親は娘にとって最も身近で最も長く影響を受ける「女性の先輩」であり、ロールモデルと言えます。職場などでお手本になる先輩や女性上司などが複数存在したとしても、子育てに関しては、自分の母親から受けた方法しか知らないわけです。

我が子には母親のような育て方だけはしたくないと思っているのに、母親とは違う子育てのしかたがわからないと悩み、「同じことをしてしまうのではないか」と不安になるなど、さまざまな葛藤が生まれてくることもあります。

あるいは、母親と同じように子育てをしようとしているはずなのに、自分の子どもが自分のように母親に従順でなく、反発したり問題行動を起こしたりすることもあるかもしれません。そうした場合に、母親から「育て方が悪い」と責められて、順調だった関係性が悪化することもあります。

Q:青木さやかは、自分の生んだ娘を母親が抱いた際、嫌悪感を覚えたが、そんな自分にも嫌気がさしたと語りました。この嫌悪感とは?
——–
それまで価値観を押し付けてきた母親に、愛娘がまた祖母として支配されてしまうように感じたのではないかと思います。自分の生んだ娘を母親である自分が守りたい、娘には否定されず愛されて育ってほしいという気持ちから、祖母である母を拒絶したい心境にあったのではないでしょうか。

そしてまた、祖母に抱かれる無垢で無抵抗な娘の姿が、かつて幼い頃の青木さん自身のように感じられたのかもしれません。

Q:年老いた母親に優しくなれない娘が、そんな自分に嫌悪感を抱いてしまうという声があります。立場が逆転した親に戸惑う気持ちをどう整理したらいいでしょう。
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まず、「母親とは愛情を与えるもの」「親には感謝するもの」という固定観念が自分の心の中にあるなら、それに疑問を感じてください。そうすれば「優しくなれない」自分に嫌悪感を抱くこともないのです。

「親は子を愛するもの」と思うから、愛されないことに不満を抱き、「親には感謝するもの」と思うから、自分の心に葛藤が生まれるのです。

物理的な距離を置くのもひとつの方法です。そばにいると、何かと目につき、手を出すことができます。その母親の関与から距離を置くのです。
そうすれば、少し客観的に「母親も自分という人間を初めて育てた初心者なのだ」と思え、自分自身を尊重しない未熟な子育てにも納得することができて、許すことができるようになります。

そうすれば、「子どもの成長と共に、自分自身も母親として育っていけばいいのだ」と楽に思えるようにもなります。その先には、年老いて保護すべき対象に逆転してしまった母親に優しくできたり、愛することができたりということもあるでしょう。

たとえ、親だからといって「必ず愛さなくてはならない」ということは、ないにしてもです。

Q:「母といえど人間と理解できるようになり、老いた母親を穏やかな気持ちで見送ることができた」と言う青木さやかの告白に賛同する声があがっています。共依存を断ち切るために娘にできることは?
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前述のように、必ずしも老いた母親に「優しくしなければならない」と思う必要はありません。「自分の人生の主役は自分」とよく言われます。言い方を変えれば、他人の人生において、自分は脇役に過ぎません。

どんなに親しく関わってきた人でも、他人の人生の舞台をプロデュースするかのように自分の価値観を押し付けたり、親切の押し売りをすることは、傲慢だと知るべきです。

古い価値観に縛られることなく、自分自身の人生を生きることにエネルギーを注ぎましょう。

組織の中のリーダー像であれ、家庭での父親像、母親像であれ、ひとつの完成形、理想形があるはずもなく、誰も彼もが探りながら、その役割を務めている途中なのです。「こういう立場の人はこうあるべきだ」「母親なら子どもにこう接するべきだ」というイメージを捨てれば、もっと楽に物事を見ることができるでしょう。

誰に対しても、もちろん母親にも優しくなれるはずです。

なにより、あなたが自分自身の人生を生きましょう。その姿を見て、親も子どもも周囲の人も、それを認めたくなるほどに「自分らしさ」を磨いていきましょう。

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