胡散臭いのもいる戦場シリア〜安田純平の戦場サバイバル

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キリスト教の教会敷地内には迫撃砲の着弾跡が残っていた=2012年6月23日

戦場は胡散臭い奴らばっかりだ。しかしその胡散臭い奴らに乗っからなければ何も取材できないのも戦場だ。その中で何かやってやろうというのが戦場取材であり、反政府側だろうが政府側だろうが、どんな立場で入ってもそれは同じことである。

胡散臭いのもいる戦場シリア

シリア側のレバノン国境近くにあるキリスト教の教会に人影はなかった。敷地内の何カ所かに迫撃砲を撃ち込まれた跡があり、その衝撃によるものか、室内のイコンなどが破損していた。事務所内は徹底的に略奪されつくしており、美しかったであろう観葉植物は半ば枯れ果てて痛々しい姿をさらしていた。

「政府軍が砲撃して略奪していったらしい」

案内してくれた反政府側の男が言った。しかし、シリアのクリスチャンには、少数派を庇護してきたアサド政権の支持者が多いといわれている。

腑に落ちないと思いながら事務所内を歩いていると、食堂らしき部屋があった。空になったウイスキーなどのビンが残されており、床にはガラスの破片や何かのビニール袋とともに、紙製のシリア国旗が散らばっていた。もちろん後から置かれた可能性もなくはない。しかし、はっきり言って胡散臭い。

略奪された教会の食堂にはシリア国旗も散乱していた=2012年6月23日

彼らにウソを言っている感じはないが、断片的な情報が伝言ゲームのように伝わる中で、自分らの都合のいいように解釈して話している可能性がある。例えば、彼らとは別の集団が略奪して占拠しているところを政府軍が攻撃して追い出したはずが、「攻撃したのは政府軍。後から見たら略奪されていた。だから政府軍がやったに違いない」という具合に。

シリアではいろいろな集団が活動しており、国境を越える前に「自分たちとは違う集団もいるから、安全のため単独行動はしないように」と注意された。同じ反政府側であっても彼ら自身、把握しきれていないようだ。反政府軍が一枚岩でないことは、各方面から指摘されている。まともな集団も胡散臭い集団もいそうだが、全てどちらかだと言うこともできない。

クリスチャンは首都ダマスカスかレバノンへと離散している場合が多く、反政府側と一緒にいざるを得ないシリア国内で彼らに接触するのは面倒だ。この教会についてはシリアを出てからレバノンで取材するつもりだったが、レバノンに戻れなかったのでそれもできなかった。クリスチャンのネットワークをたどれば当事者を探し当てることは恐らく可能だが、恥を忍んで告白すると、この原稿を書いている時点ではまだそこまで進んでいない。

だが、ここで言いたいのはこの件の真相ではない。

政府からのビザが出ない状態で騒乱のシリアを取材する場合、日々変わる現地情勢を把握できる反政府軍に密着しなければ移動すらままならない。密入国という罪を犯している以上、政府側に接触はできないし、自分を受け入れている反政府軍が連携を持っていない他の集団にも接触は困難だ。ビザをとって入国できたとしても、政府側を取材したあとに反政府側に接触するのは、信用されない恐れがあるので安全面から自分は避けたい。

紛争地の取材は様々な制約があり、あらゆる情報に一定のバイアスがかかっているものと、メディアでの発信側も受け手側も認識しておく必要があるということだ。反政府側を取材した場合も政府側を取材した場合もである。

※連載「安田純平の戦場サバイバル」の記事一覧はこちら

【写真説明】
1枚目:キリスト教の教会敷地内には迫撃砲の着弾跡が残っていた=2012年6月23日
2枚目:略奪された教会の食堂にはシリア国旗も散乱していた=2012年6月23日

安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト

安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト

1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei

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安田純平

1974年生フリージャーナリスト。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』

ウェブサイト: http://jumpei.net/

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