安田純平の戦場サバイバル~戦場シリアの入り方
戦場シリアの入り方
一列になって小走りに歩を進める20人ほどの無言の男たち。アンズ畑の間を抜け、平屋の家屋の影に身を潜めた。再び走りだすと、体中に包帯をまいた重症患者を担架に乗せた男たちとすれ違った。カラシニコフを持った数人の男たちが周囲をうかがっている。
私が反シリア政府組織とともにレバノンからシリアに密入国したルートは、フェンスも塀もない一見して国境とは気づかない場所を通っていた。付近にシリア政府軍は駐屯しているらしく、途中に止めてあったトラックに荷物を乗せ、エンジンをかけずにみんなで押していったのは音を立てないためだろう。しかし、正直いって、国境を越えたことすら気づかないうちにシリアに入っていた。
不思議だったのは、このときすでに朝になってすっかり明るくなっていたことだ。前の晩、アンズ畑の間に広げたテントで時間をつぶしている間は、夜陰に紛れて国境を越えるのだとばかり思っていた。
「なぜこんなに明るくなってから国境越えするのか?」
と彼らにたずねると驚きの答えが返って来た。
「だって兵士が寝てるから」
いいのかそんなんで……。現場に入ったばかりの私は、彼らがどれだけ本気で殺し合っているのかつかみきれないでいた。
【写真説明】
1枚目:レバノンからの国境越えを前に時間をつぶすシリア人=2012年6月22日
2枚目:アンズ畑で反シリア政府軍ファールーク旅団のメンバーと記念撮影=2012年6月22日
安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト
1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei
1974年生フリージャーナリスト。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
ウェブサイト: http://jumpei.net/
TwitterID: YASUDAjumpei
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