技術力、ソフトウエア発想共に最もアップルに近かったシャープ…X1/X68の思い出

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技術力、ソフトウエア発想共に最もアップルに近かったシャープ…X1/X68の思い出

この記事はえふしんさんのブログ『F’s Garage』からご寄稿いただきました。

技術力、ソフトウエア発想共に最もアップルに近かったシャープ…X1/X68の思い出

SHARPが大変な危機というのはニュースで流れている通り。

会社の状況がよろしくない時に、急に公式アカウントが活発になると言うのは、かつてのカトキチ始めTwitterではたびたび起こることですが、今はSHARPアカウントの方が頑張っておられるようです。

ツイッターにアクセスしたらシャープのアカウントの人が、X1やX68の写真をアップされていたのに影響されたので、僕のシャープ製品との付き合いについて書いておこうと思う。

■パソコンテレビX1の革新的なテープドライブ

中学生の頃、パソコンテレビX1というシャープのパソコンを買ってもらった。

僕が買ったのはX1Fと言う廉価な機種で、その中でも一番低いグレード。カセットテープが外部記憶装置になっていました。カセットテープを知らない人もいるでしょうが、そこは省略。

最近は外部記憶装置はせいぜいUSBメモリやSDカードで、主流はネットからデータを全て落とす時代になってるけど、当時はカセットテープやフロッピーディスクでデータを保存したり読み込むものだった。

カセットテープをランダムアクセスできる命令が用意されていたのは、世界で唯一シャープだけ。本当に目の付け所がシャープだった。
(同じシャープのMZ80Bが元祖だそうです。)

実際、日本ファルコムのザナドゥ(というゲーム)がテープ版で出せたのは、ランダムアクセスができたから。

ランダムアクセスと言ってるのは、テープの無音部分を区切りとして、何個のブロックを飛ばすか?!を制御できる機能のこと。テーブが何本目のテープで、しかも、どこにいるかを把握できることで、何ブロック飛ばせば必要なデータがあるかを把握できるし、ユーザーにテープの入れ替えを指示することができた。

それまでのテープは、パソコンのメモリに格納されたプログラムをただバックアップするだけの存在だったのに、ランダムアクセスがあることでフロッピーディスクのように大きなデータを扱えることになった。正真正銘の「外部記憶」としての存在に昇格させたのがシャープのイノベーション。

ただしボスキャラに遭遇して、20分テープを読み込んで、さぁようやく戦うぞと敵にあたって10秒で死ぬと、またセーブポイントに戻るために20分ロードするという素敵仕様。要するにアイディアは優れていても、そこに外部記憶装置としての合理性はないわけです。こち亀に出てくる発明みたいなものかもしれません。

それでもお金より時間が有り余っている中学生にとっては、ゲームが遊べないよりは全然ありがたいわけです。

その後、X1 turboのmodel20をツクモのアウトレット製品で手に入れるものの、これは割とすぐに売ってしまって、しばらくNECのパソコンの方に浮気していた。

そして高校に入って、X68000を買う。

■伝説のX68000を手に入れた話

X68000が発表されたのは中学二年生の頃だっただろうか。この頃パソコンを知ってる人なら、この製品が持つ強烈さを覚えているだろう。なにせ初代機はグラディウスが同梱されているのである。ゲーセンそっくりのゲームがついている。

ハード面でもアップルのパクリではなく、Macの良い思想を新しいアレンジでインスパイアしていた。個人的に好きだったのは、電源のオンオフの動作や画面フェードアウト制御、何よりソフトウエア発想が優れていた。電源制御がソフトウエアで制御できタイマーでパソコンのオンオフが制御できる。しょうもない話だが、フリーソフトで、マシンの電源on/off時に好きな声優さんの声を喋らせることができた。そういうことが可能なハードも凄いし、そういうのをうまく活用する開発者も素敵だった。

例えて言うなれば、ニコニコ動画の作りこみやコミュニティ感が好きな人は、絶対に好きになれるハードだと思う。

僕もずっと欲しかったが、なにせ初代X68000は、変態解像度の専用モニタとセットで50万円もするので金持ちか変人しか買えない。

僕も高校入学のタイミングのお祝い的なものを利用して買った。製品としては二台目の廉価版のX68000ACEというのを買う。それでもアウトレットで30万円だった。全然安くない。

X68を使い始めて、ゲームをやりまくった。ゲームセンターのゲームがほぼ見たまま動く30万円のゲーム機というのが現実的な欲望だったのである。

しかしすぐにパソコン通信というものに興味を持つ。

雑誌にパソコン通信の話や、フリーソフトの存在を知り、そういうのを手に入れるべく動いた。

当時のパソコン通信は、今みたいな携帯電話もADSLも存在せず、電話回線にモデムをつないで音で通信する。ISPにダイアルアップするというよりは、先方のサーバーに直接電話して回線をつなぐ感じ。(niftyなどの商用BBSの人ではない)

パソコン通信を初めて、本当にびっくりした。

目の前の部屋にある鉄の箱から、知らない人と話すことができたのはものすごく感動だった。今でもその感動は忘れない。

オフ会にも行って、社会人の人はもちろん、開成中学の子とか、東大の学生さんとか、普段出会わないようなエッジの人々と会えて、普通の高校生には、とても新鮮だった。

チャットや掲示板の書き込みにハマり、X68000のゲームなどのフリーソフトがダウンロードできるサイトに遠距離アクセスをして、ソフトダウンロード中に寝てしまったりして、月の電話代が10万円を超えたのが、高校一年の夏休み。

実際は、請求の関連で二ヶ月で18万円ほど電話代を使う。今でいうパケ死状態。

さすがに親に怒られて、パソコン通信は大学生でお金を自分で稼ぐまで休むことになりました。(電話代はバイトして返しました)

大学に入ってパソコン通信に復帰。

バイト代で電話代を払うようになり、新しいサイトで仲間を見つけることに。X68のユーザーが集まるサンデーネットというBBSに入り浸っていました。

ここは、かつてテレビでやっていた「パソコンサンデー」という番組からスピンアウトした掲示板サイトで、X68のユーザーが集まっていた有名な草の根サイトの一つです。

とくだねの小倉さんが司会をやっていたというのが有名なエピソードです。

このネットではさまざまな経験をしました。今でもつながる友達もできたし、恋愛観のいくつかは、ここで出会った人に教えてもらいました。また、今の奥さんとも出会ったので、間違いなくX68000があったからこそ、今の生活があるんだと思います。

■X68000を支えたのはユーザー開発者

当時の国産パソコンは、今のパソコンと比べると相当貧弱なのですが、今当たり前にできて、あの頃できなかったこととの代表的なものとして、

1.文章中の文字フォントや印刷フォントを高品質なものに自由に変えることができなかった

2.JPEGの画像なんてまだない!

というのがありました。

X68000は、言ってもマイナーパソコンです。一太郎やロータス1-2-3がビジネス分野をリードして圧倒的シェアを持っていたPC98とはユーザー層が全然違い、マニアの趣味のパソコンです。

しかし、X68フリーソフト文化にあった「ないものは自分たちで創る」という熱い信念の元、上記2つを有志が解決します。

まずフォントについては、Unix系アプリであるLaTeX(読み方は、らてふ、らてっくす、など)という論文作成ソフトが移植されました。

しかし、文字フォント自体が存在しないので、文字フォントをX68の漢字ROMから吸い上げて、フォントサイズが変えられるようなアウトラインフォントを生成するプログラムを動かす必要があります。

当時の貧弱な環境では、この文字フォントの生成に30時間ぐらいかかりました。

フォントを作成し、LaTeXの文法で論文を記述すると、綺麗な数式が生成され、印刷することができます。

大学の実験のレポートは、これで書いていました。

しかし、すでに大学にはWindows3.1とMS-Office5が存在しており、レーザープリンターで最終アウトプットが優れた形で出せたのですが、自分は意地でLaTeXで書き、家のインクリボンのプリンタで出力していました。

正直、レーザープリンターの方が印刷品質が高いし、WORDの方が生産性も高いです。

そもそもLaTeXは数式の文法を正しく記述しないとエラーになるので、レポート提出前夜に徹夜でデバッグをしているという状況でした。

なおエディタは、emacsクローンのμEmacsというエディタで入力していました。

目的と手段の混同というのはまさにこういうこと。LaTeXとEmacsを使うこと自体が楽しい!中二病だったと思います。

で、もう一つのJPEG。これも凄かった。

当時は、写真なんてものはネットに流れるデータとしては存在していませんでした。

PIC形式だとかmag形式などというフォーマットで、いわゆるイラストデータが全盛の時代。ネットにpixivのイラスト画像しかないような状態です。

パソコン通信は、パソコンか鉄道かアニメや漫画が好きな人がアーリーアダプターとしてメインユーザーを張る時代ですから、それで十分だったのです。

しかし、カメラのマニアの人が、オフ会で取った写真を、スキャンして(当時のスキャナは20万円はすると思う)、そのデータをJPEG形式というデータで送ってきたのです。

X68000には既にJPEGローダーのベータ版というのがあり、それで展開してみたのですが、なんと一枚の画像を開くのに40分以上かかる。

でも展開された画像は、まさしく集合写真でした。

パソコンのモニタに写真が表示され、うわ、こんな時代が来たのか!と驚いたのを覚えています。

今、アダルトの画像や動画は、ほいほい取得できますが、当時は、そんなことはできなかったのです。そりゃパソコン、まだ売れないですよね。

X68000は、結局7年以上使っていて、その次に買ったのがWindows3.1のPC98でした。
インターネットのパラダイムシフトが起こって、Webブラウザを使い始めるまでは、必要なアプリがフリーソフトで提供されていたので買い換える必要がなかったんですよね。

一応言っておきますと、この頃は既にシャープの製品としてのX68000は既に死んでいました。

プロプライエタリのパソコンがメーカーの手を離れて一人歩きしていたことを良しとするか、メーカーがユーザーをうまく巻き込めていなかった(プラットフォームビジネスの発想がなかった)と考えるかで評価は別れるでしょう。

■技術力、ソフトウエア発想力共にアップルを追従できていたシャープ

かつて「目の付け所がシャープ」というキャッチコピーがかつてのシャープにはありました。

しかし、これが許されたのはガラパゴスの日本の中での特殊性だったのかもしれません。よく考えてみたら、X68なんて完全に亜種も良い所。PC98という当時のメインストリームに対して、独自性で突っ走ったニッチ製品でしかない。

またパソコン以外にも、今の液晶テレビシフト前には、液晶ビューカムだとか、PDAのザウルスだとか、液晶+応用製品での独自性を発揮していたけど、液晶にクローズアップしなければ、パイオニアに近い、アーリーアダプターをうまく利用するイノベーション企業だったハズ。

それが気がついたらテレビや家電で顧客ターゲットをアーリーアダプターからレイトマジョリティの方へ市場をシフトさせた。それは彼らが投資してきた液晶が市場のメインストリームに移ってきたからだと思う。

Windows95の頃はメビウスなんてノートパソコンもあったけど、結局、コモディティ化する製品の流れの中ではシャープのパソコンは存在が徐々に薄くなっていく。OSがハードを生かせない世界じゃ、液晶がいくら優れていても勝負にならないと言うことを、ここで気がついていたハズです。

実はX1にせよX68000って、実はテレビを面白くするパソコンという立て付けだったようなのです。だからXシリーズは、パソコン事業部の仕事じゃなくて、亜種のテレビ事業部(AVシステム事業本部)の仕事だったんですね。パソコン事業部(情報システム事業本部)には別にMZというビジネス向けの製品ラインがあった。MZは、早々にIBM/PCに移行しましたが、テレビ事業部のX68000は、完全にコンシューマー向けだから独自仕様。

丁度、今起きていることでiPadやスマホなどのコンシューマー向け製品がビジネス領域を食い始めることなど誰も想像しきれない時代に、コンシューマー向け事業部とビジネス向け事業の葛藤を経験していたというのが、目の付け所が(ry…だったと思う。

その後、液晶のおかげで確固たるブランド価値がつき、テレビ以外にも冷蔵庫や洗濯機などの白物家電も一流ラインの製品として並ぶことになった。僕が家電量販店でバイトしていた頃は、シャープ製品、とりわけブラウン管のテレビは、もっと安売り製品のイメージだった。

しかし本質的に彼らは、アーリーアダプターの心を掴むニッチを作る力こそが、次の血や肉になったからこそ成長したのが妥当で、イノベーションの力を液晶品質にシフトした結果、サムソンに追撃されるというのは相当不運だったと思う。

液晶の部材ビジネスだと、結局、アップルに買ってもらうようなグローバルな商品調達の流れでは、サムソンLGと横並びで、独自性が生かせないし、新しい技術にチャレンジしても歩留まりも悪く利益も出ない、というのでは、彼らの力は全く生きない。

とはいえトヨタの86みたいに、もし今更、X68000を出したところで僕は買いません。何故なら一部のユーザーが期待していたX68の進化系は、アップルがBSDベースで出したMac OSXとその後のiOSだったからです。

当時からX68ユーザーは、アップルに対する憧れというのが無視できませんでした。CPUが同じモトローラ系だったので、将来使いたい憧れの存在がMacだったからです。今は、そのアップルのMacやiPhoneを格安で使えているわけなので、今更、乗り換える必要はありません。

また、製品としての進化が止まった後のX68000の世界は、あくまでも優れたユーザーベースが魅力だったと思います。それは、まさしく今のオープンソースの文脈に近い。

それがX68の衰退とIBM/PC互換機の勃興、Webへの移行に合わせてバラバラに散っていったわけですが、もし、アップルのように、X68030の後にちゃんとUnixの文化に移行しておけば、LinuxやBSDの流れの中で特異なポジションを得ていたかもしれないし、ザウルスのテクノロジとあわせて、アップルのようなモバイルプラットフォーマーの一角にいたかもしれない。

X68が今のインターネット+オープンソースコミュニティのようなものを先取りしていたと考えると、結果としては20年早かったということなのかもしれませんね。

「たられば」を語るには、もう時間が経ちすぎているけど、「あの時、もしも」というのは元68ユーザーとしては考えざるを得ないですね。

よく日本企業は何故iPhoneを作れなかったか?!と言う話がありますが、そりゃもう覚悟も歴史も違いますよね。アップルはずっとMacOSのプラットフォームを守りながら、どうにか生き残り、製品を発展させてきた延長線に今がある。

でも、シャープは惜しかったと思います。パートナーとOSを作り、言語を作り、GUIのイベントドリブンなウインドウシステムも作り、高品質なハードを作り、モバイルもやり、ザウルスの頃はネットサービスも運営していました。後に技術者のエースとなる若いユーザーベースも沢山いた。製品の要素は持っていたと思います。アップルにはなれないまでもAndroidよりは良い物を作れた可能性はある。それはソニーも同じなんでしょうけど、エンタメを軸にコンピューターを使うという発想は、間違ってなかった。でも歩みを止めた瞬間に、積み上げてきたものはなくなった。ここはシリコンバレーではないので、代わりにベンチャーが出し抜いてくれるわけじゃない。だから日本のメーカーにiPhoneは作れません。

なおX68000のOSを共同開発したのは今はなきハドソン。高い技術力はゲームだけを作る会社じゃなかったんです。残念です。

シャープにはベンチャースピリットを取り戻し、X68のようにニッチでもワクワクする製品を作って欲しいと思うところです。時間はかかるし即効性のV字回復できる話ではないので辛いでしょうけど。

執筆: この記事はえふしんさんのブログ『F’s Garage』からご寄稿いただきました。

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