「さよなら電力足りる論」の論理的破綻

ryoko174の混沌日記「さよなら電力足りる論」の論理的破綻

今回は歌うペンギンさんのブログ『愛と苦悩の日記』からご寄稿いただきました。

「さよなら電力足りる論」の論理的破綻

大いに疑問のあるブログが『ガジェット通信』に取り上げられていたので、逐一反論してみる。

「さよなら電力足りる論」 (rokyo174の混沌日記 2012/07/22)
http://d.hatena.ne.jp/ryoko174/20120722/1342905433

このブログ記事の結論は、冒頭に書いてある。「『電力足りる論』は明白な誤りです」。

これを証明するのがこのブログ記事の目的のようだが、論理的に破綻している。

(1)無根拠な同一律の主張

まず、「『節電』や『計画停電の準備』を強いられている時点で『電力は足りていません』」とあるが、「節電」や「計画停電の準備」をしているのは電力会社である。

電力会社が「節電」や「計画停電の準備」の根拠にしているのは、電力会社が自ら算出した需給予測である。需要側の数値、供給側の数値、ともに第三者による検証はなされていない。電力会社と異なる試算を出している団体もある。電力会社の試算は信じられないと主張する人々もいる。

電力会社が利益を最大化するために(=燃料費の高い火力発電の比率を上げないために)、原発を再稼働したいと考えるのは経済合理的である。

その経済合理性のため、電力会社には、原発の再稼働が必要であることを説得すべく、真実がどうであるかとは無関係に、需給が逼迫しているという広報活動を行うインセンティブが働く。

その結果、「節電」を呼びかけたり、「計画停電の準備」を行うなどの内容の広報活動を行う。

これら広報活動はあくまで電力会社の経済合理性の追求によるものであり、本当に節電や計画停電が必要なのかとは無関係である。本当に節電や計画停電は必要なのかもしれないし、本当は不要なのかもしれない。それは誰にも分からない。

こんなことは言うまでもないのだが、なぜかこのブロクの筆者は、電力会社の広報の内容が真実であると信じている。これは「原発は安全です」という広報の内容を真実だと信じるのと同じくらい、根拠が薄弱だ。

この筆者は、なぜ自分が電力会社の広報内容を真実だと考えるのか、少なくとも電力会社と利害関係のない第三者による需給予測を使って、その根拠を示す必要がある。

そうしない限り、「電力会社が電力が足りないと行っているから、電力が足りないのです」という、ただの同一律を言っているだけになる。

またこの筆者は、「経済雇用リスクの発生が前提となっている時点で、『電力足りる』論には無理があります。もし本当に『電力が足りていたら』、経済雇用リスクは発生しないのです」と書く。

これも全く同じ理由でまともな反論になっていない。

「原発停止にともなって経済雇用リスクが発生する」という日本エネルギー経済研究所の試算や、各種メディアの報道が真実だと考える根拠が何も書かれていないからだ。

もちろんこういう意見を信じるのは個人の自由だが、それだけでは反対意見(電力は足りているという意見)を論駁できない。

(2)命題の裏も真だとする形式論理学的誤り

また、仮に節電が経済雇用リスクの一因であることを認めるにしても、「本当に『電力が足りていたら』、経済雇用リスクは発生しないのです」と主張するのは、形式論理学的に完全に誤りだ。

これは、形式論理学の基本である。ある命題が真なら、その対偶も真だが、逆と裏は必ずしも真ではない。

つまり「節電がなされれば、経済雇用リスクが発生する」が真であると主張するなら、その対偶、「経済雇用リスクが発生していなければ、節電はなされていない」は真であると主張して構わない。

ところがこの筆者は、「節電がなされていなければ(=電力が足りていれば)、経済雇用リスクは発生しない」という、元の命題の「裏」が真であると主張している。これは形式論理学の基本的なミスだ。

このブロク筆者は、形式論理学の真偽さえ明確に論じられないなら、自らの議論が合理的であると主張すべきではない。

(3)リスクを確率と混同する誤り

さらにこのブロク筆者は、「『原発抜きでも電力は足りる』論が、福島原発事故と同じ『安全神話』に陥っている点も問題です」と書く。

ここでもブログ筆者は関西電力の需給予測を、根拠を示さないまま正しい前提として論じている。

ここでは百歩譲って、関西電力が自らの経済合理性を犠牲にして、完全に公正で正確な需給予測をしているとしよう。

ブログ筆者は、「電力不足は起きない」という「想定の漏れや甘さ」は、「原発は事故を起こさない」という「安全神話」の「想定の漏れや甘さ」と同じであると論じている。

これは誤りである。リスクは不確実性であって、ある事象の発生確率そのものではない。

リスクとは、ある事象の発生確率が高いか低いかではなく、ある事象の発生確率が高いか低いかを、どの程度正確に予測できるかである。

ある事象が起こる確率が0%であれ、50%であれ、100%であれ、ある程度正確に予測できていれば、リスクは低いということになる。逆にその確率が何%なのか、よくわからない、それをリスクが高い状態と呼ぶ。

原発の「安全神話」が問題になっているのは、原発事故の発生確率が実は言われているよりずっと高いから問題になっているのではない。

原発事故の発生確率を正確に予測するのに必要な、電力会社内部の企業統治や、第三者機関による監視体制などが整備されていないから問題になっているのだ。

発生確率を正確に予測するための体制や制度が整備されれば、原発事故の発生確率は言われているよりずっと低いかもしれないではないか。

電力不足が起きる確率についても、それが高いか低いかが問題なのではなく、それを正確に予測するための電力会社内部の企業統治や、第三者機関による監視体制などが整備されていないことが問題になっている。

このように、確率が高いのか低いのかを正確に予測できない状態のことを、本来リスクと呼ぶべきである。

「原発抜きでも電力は足りる」論は、電力会社が自ら試算した需給予測に基づいて、電力不足を主張するという、電力不足の発生確率を正確に計算できないような、現在の企業内統治や社会制度、つまりリスクが存在する状態に対する異議である。

原発の「安全神話」は、それとは正反対で、電力会社が自ら試算した事故発生確率に基づいて、原発の安全性を信じてよいという、現在の電力会社の企業内統治や社会制度、つまりリスクが存在する状態を、それで良しとする意見である。

このブログ筆者が、「原発抜きでも電力は足りる」論を、誤って「安全神話」と同一視しているのは、リスクと確率の区別がついていないためだ。

もう一度書く。

「原発抜きでも電力は足りる」論は、電力会社が自ら試算した数値だけでは正しい予測(この場合は電力不足の発生確率の予測)はできない!という意見である。リスクが存在するので、確率をより正確に計算したいという意見である。

「安全神話」は、電力会社が自ら試算した数値だけで正しい予測(この場合は事故の発生確率の予測)ができる!という意見である。リスクは存在するが、確率はすでに十分正確に計算できているという意見である。

この両者は正反対のことを主張しており、このブログ筆者の言うように、決して同じ落とし穴に陥っているわけではない。

このブログ記事の残りの部分は、関西電力が自ら計算した供給力を根拠にして、電力不足の発生確率が高いと主張するにとどまっている。

つまり、上の2つのうち「安全神話」の方、リスクの存在を許容する意見に組みして、電力会社が自ら試算した数値だけで、すでに十分正しい予測ができるという意見を、さらに展開しているだけである。

よって、これ以上、新たに反論すべき点はない。

以上のように、このブログ記事は少なくとも次の3点で論理的に破綻している。

(1)電力会社の主張を、第三者の主張で根拠付けることなく、真実であると主張することで、同一律に陥っている。

(2)「節電がなされれば、経済雇用リスクが発生する」という命題が真であるという主張から、その命題の裏も真であるという形式論理の誤りを犯している。

(3)リスクと確率を混同した結果、「原発抜きでも電力は足りる」論と「安全神話」を混同してしまっている。

ただし、最後に一つ書いておくと、僕がこのブログ記事全体を誤読している可能性がある。

僕はこのブログ記事を一読して、読者を論理的に説得しようとしていると解釈した。なのでここで論理的な破綻を指摘させて頂いた。

しかし、もしかするとこのブログ記事は、初めから論理性を目指していなかった可能性がある。

論理的に破綻していても構わないので、とにかく、原発を再稼働して電力不足を避けるのが望ましい!!!!!と主張したかっただけかもしれない。

最初から論理性を目指していなかったのだとすれば、僕の誤読になるので、ブロクの筆者の方におわびしたい。

P.S.

僕は上記のブログ記事が形式論理的に破綻していることを指摘したいだけだが、「ではあなたはどう考えるのか」という質問にも答えておく。電力会社に対する第三者のチェックが働くような制度の整備は必須だと考える。それまでは電力会社の主張をそのまま信じるべきではない。ただ、日本社会で本当にそんな第三者機関が実現できるのかについては、かなり悲観的だ。

執筆: この記事は歌うペンギンさんのブログ『愛と苦悩の日記』からご寄稿いただきました。

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