子供たちに愛され続ける”あの人”の伝記『サンタクロース少年の冒険』
サンタクロースは存在する。この本を読めばわかる。「サンタクロースはいる」派vs.「いない」派の長年に渡る論争にようやく終止符が打たれたといえるのではないか。
本書の著者は、『オズの魔法使い』シリーズの生みの親でもあるライマン・フランク・ボーム。訳者あとがきによれば、ボームは第5巻にあたる『オズへ続く道』で、サンタクロースをオズの統治者の誕生会に賓客として登場させたとのこと。その当時オズ・シリーズを終わらせたがっていたボームは、前書で次巻をシリーズ最後の作品とすることを示唆していた。「悲しい予告の入った第五巻の幕を引く間際に、いつまでも子どもに尽くすサンタクロースがひととき休み、仕事へ戻る姿を書き込んだのだ」と訳者の畔柳和代氏は考察されている(結局、シリーズは14作まで続いたそうだが)。
それほどまでに子どもたちに愛され、大人たちからも尊敬を集めたサンタクロースとはいったい何者か? 本書は彼の伝記なのだ。ボームはファンタジー作家にしては比較的理詰めで押してきがちな作家だというイメージがあるが、ここでもみられる傾向だ。不死の者たちが住むバージーの森で、人間の赤ん坊が発見される。ニシルというニンフが彼を育てたいと希望し、森の住人たちの協議の末、彼女の希望は認められた。ニシルをはじめ愛情に満ちた住人たちに囲まれて、クロースという名を得たその子はすくすく育つ。
しかしあるとき、世界の樵(きこり)の長であるアークがバージーの森を訪れ、クロースを世界をめぐる旅に連れて行くと言い出した。自分以外の人間がいない森で育ったクロースは、世界には同類が数え切れないほど存在することを知って驚く。また、彼らの暮らしぶりがさまざまであることにも。旅を終えたクロースはバージーの森に戻るが、自分の務めは「人間の子どもの世話に打ち込んで、幸せにするよう努めること」だと考え、ホーハーホーの笑う谷で暮らしていくことを決める。不死の者たちの力を借りながら暮らす一方で、クロースは何人もの人間の子どもたちとの出会いを求めて出かけていった。しかし、雪が降り積もり自由に外出できなくなった冬の日、何もすることがないクロースは木片からおもちゃの猫の像を作り出す。それが、サンタクロースとしての第一歩だった…。
クロースには力強い味方がたくさんいる。家を建ててくれ、新しい生活に必要なものをすべて用意してくれ、食べ物まで補充してくれる。ご都合主義といえばご都合主義の極みなのだが、読者に否定的な気持ちを抱かせないのは、不死の者たちの献身がクロースとの間の愛情や友情に基づくものだからだと思う。意味もなく気まぐれに与えられる類の恵みではないのである。そして、クロースは骨惜しみすることなく人間の子どもたちのために働く志を持つ者だ。
途中なかなかに血なまぐさいパートもあったり、古い時代の物語だけに性別や子どもの有無について型にはまった見方もあったりと、現代の価値観には必ずしも沿っていない部分もある。それでも子どもたちは貧富の差などにかかわらず等しく愛情を注がれるべき存在であること、そのためにはサンタクロースひとりの力だけではなく大人たちの力が必要であることを、切々と訴える文章には胸を打たれる。子どもは未来につながる存在であり、いまは大人になった私たちもかつてはみな子どもであった。クリスマスであろうがなかろうが、ぜひお読みいただきたい一冊。『大家さんと僕』の矢部太郎さんのイラストもめちゃかわですよ〜!
(松井ゆかり)
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