快進撃を続けるホラーコメディ映画『ゴーストマスター』 ヤング・ポール監督の頭のなか[ホラー通信]
キラキラ“壁ドン”映画の撮影現場が阿鼻叫喚の地獄絵図に姿を変えるホラーコメディー映画『ゴーストマスター』。
12月6日の公開以来、快進撃を続ける本作は、2020年2月に開催されるポルト国際映画祭コンペティション部門・OFFICIAL FANTASY SECTIONに選出、上映が決まった。これで世界三大ファンタスティック映画祭(シッチェス、ブリュッセル、ポルト)を全て制覇することとなり、日本の新人監督としては異例の快挙をなし遂げた。年明けには台湾での上映も決定している。
観る者に「究極の映画愛」を突きつけると話題の本作に込められた監督の思いとは? ジャンル映画の枠を超えてあふれ出す監督自身の映画への愛と憎しみ、「野望」について語ってもらった。
<あらすじ>
とある“壁ドン”映画の撮影現場で、監督やスタッフからこき使われる、助監督・黒沢明。名前だけは“巨匠”で“一流”だが、断れない性格で要領の悪い、B級ホラーを愛するただの気弱な映画オタクだ。いつか自分が監督として撮ることを夢見て、書き温めていた脚本「ゴーストマスター」が心の支えで、常に肌身離さずに持ち歩いていた。しかし、あまりに過酷すぎる撮影現場でうっ積した黒沢の不満と怨念のような映画愛がこの“脚本”に悪霊を宿し、撮影現場 を阿鼻叫喚の地獄へと変えていく……
究極の映画愛みなぎる現場が生んだモンスター『ゴーストマスター』
――80年代映画好きには懐かしい響きのタイトルの由来はなんでしょうか。
もともとは『ゴーストマスターズ』でした。サブタイトルも超B級映画っぽくつけていて、「呪いのビデオができるまで」。ホラー映画を撮っている人たちの話だったんですよ。「ゴーストを自在に操る人」を集めた映画なら「ゴーストマスターズ」だなということで、84年の映画『ゴーストバスターズ』に引っかけたようなB級感につられて軽い気持ちで入ると、予想もしないものが待ち構えているという仕掛けです。いい意味での裏切りから驚きを生みたかったんですよ。だから、「えっ?」と聞き返したくなるようなタイトルにしました。ただ、企画を進めていく中で、ゴーストマスターたちの話ではなくなっていき、「ゴーストマスター」が劇中劇の脚本のタイトルになるという変遷はありました。
――ご自身にも予想外の展開となったわけですね。
脚本を20稿も重ねましたのでね。自分の書き上げた初稿に脚本家の楠本さんが合流して、アイデアを出し合うなかで成長していったというか、とんでもないモンスターを生み出してしまいました。
「自分が理想とする現場は、台本を自由に膨らませられる場」
――撮影は短期間で行われたと伺いました。
6月の熱海で2週間、苦労しかなかったです(笑)。撮影期間に対してやることが山盛りてんこ盛りの映画だったんですよね。特殊造形はあるわ、CGはあるわ、アクションはあるわ、時間とお金がかかって当たり前の要素がたくさん入っている台本だったので、それを限られた予算とスケジュールに落とし込んでいくのがまず大変でした。現場では文字どおり「駆け足」で、こっちが終わるとダッシュであっちに向かって一日が終わる。そんなギリギリの状況でも、スタッフや出演者たちが自分の考えていた以上の力を発揮してくれたので、「短期間でなんとか成立させました」以上のものになったと思います。
撮影は2週間ずっと同じ廃校で行いました。ある意味、合宿状態なんですよね。みんなだんだんハイになってくる。その現場のノリや雰囲気は映画にかなり反映されていると思います。
――フィクションでありながらライブ感を覚える理由はそこにあったんですね。
自分が理想とする現場は、台本を自由に膨らませられる場なんです。役者もスタッフも、そこにいる全員が、書いてあるとおりにやる、ではなくて、こんな解釈をしたらさらに面白くなるんじゃないかと意見を出し合えるのが一番豊かな気がします。映画って、監督が一応、役割として表に出るんですけど、正直、監督のイメージだけでできているものじゃなくて、現場でのキャッチボールのなかで完成していく部分があると思うんですね。僕自身、撮影しながら発見していくことももちろんあります。ときには思いも寄らない球が返ってきて驚かされ、そこからまた新しいものが生まれたり。そうして自分の予想を超えるものがどんどん増えていったときに、それをいかに集めてどう形に残すかが重要だと思っています。
本作も、自分の最初のイメージからはどんどん変わっていったところがたくさんあって、それが本当によかったです。自分の思ったとおりにできてしまうと、結局、それ以上にもそれ以下にもならないんですよね。自分の中の根っこというかな。コアの部分だけはぶらさずに、そこからはみ出ない描写をもっと広げていくことができたら最高です。その意味で、本作の現場は幸せな場所だったと思います。よいスタッフ、よいキャストに恵まれました。
――キャストといえば、ホラーのイメージがない三浦貴大さんの起用には驚きました。
確かに三浦さんの今までのイメージとはまったく違う役どころですよね。三浦さんのことは前から存じ上げていて、僕が「黒沢明」を演じる三浦さんを見てみたかったんです。だから、引き受けてくださったときはすごくうれしかったし、現場で起こるであろう化学反応を期待して胸が躍りました。実際にすごかったですよ。プロフェッショナルとして持ってくるものが圧倒されるほど面白くて、撮影しながら、僕の書いたものがこういう演技になるんだ、こういう出方になるんだとひたすら感動していました。
――そのほかの登場人物たちもクセのある者ぞろいですが、現場での「膨らませ」の部分もあったのでしょうか。
実はモデルがいます!もちろん一部、誇張して描いていますが、超ドキュメンタリー、リアルなところもあります。僕もある低予算映画の現場にいたことがあって、そこでクレイジーな人たちをたくさん目撃したんです。なんだこれ、面白すぎるだろう!という、その破天荒さを映画にしたら、とんでもない作品になるんじゃないかと思ったんですね。ただし、ネタとして笑って消費して終わりではなく、その人がクレイジーになってしまうまでの過程というか、バックグラウンドまでも取り込んで描きたかったんです。
「もう未来ないじゃん!という危機感を形にしたかった」
――それはなぜでしょうか。
映画の現場って、やりがいだけで成立しちゃっているところが少なくないんですよ。勤務時間や待遇を考えると、職場としてはブラック過ぎて完全にアウトです。映画が好きな人たちが身をすり減らしてなんとか支えている。それではもたないです。事実、現場には若いスタッフが足らなくて、人の取り合いが起きています。業界に人が来なくなってしまったんですよね。人口が減っているっていうのも一因としてあると思いますが、それならなおさら、職場としてちゃんとしないと、もっと人を大切にしないと駄目だ。極端な話、べつに映画が特別に好きでないという人でも普通に働ける職場にしないと、もう未来ないじゃん!という危機感を抱いています。その思いを形にしたかったというのが、そもそもの始まりなんです。
――日本映画界に向けての警鐘が込められているということですね。
とはいえ、僕自身、この現場に対しては反省があります。スタッフ、キャストみんなが頑張ってくれ「過ぎた」んです。与えられた予算やスケジュールにはとても見合わないほどの熱量でぶつかってきてくれた彼らに、僕はどこかで歯止めをかけなければいけなかったかもしれない。そもそも向こうが持ってくるものも、僕が暗に要求していたところもあったんじゃないか。そこのせめぎ合いというのはすごく難しいですね。無理はさせたくない思いがある一方で、一体となった現場から生まれるシナジーの力に魅せられてしまった。すべてのシステムをいきなり変えることはできませんが、監督という立場でできることはあると考えています。自分の現場レベルで、小さくてもいいから変革を起こしていくのが課題です。
「『意図せずとも目立ってしまう息苦しさ』を救ってくれたのは『笑い』だった」
――映画のなかに垣間見えるユーモアはどこからきているのでしょう。
子ども時代の体験が影響しているかもしれません。僕の子ども時代ですか? くりくりした可愛い子どもでした(笑)。僕は栃木県の益子町出身で、父親はアメリカ人なんですが、陶芸家だったんですよね。そういう家に生まれ育って、地元の公立の学校に通うという日々を送っていました。文化的要素とは無縁で、木登りをしたり、その辺を駆け回ったりの山育ちです。
今でも鮮明に覚えているのが、小学校1年生の初登校の日、学校の門をくぐったら、いきなり校舎の2階から「ガイジンが来たぞ」って声が飛んできたんです。「えーっ!初日から?」とげんなりしました(笑)。中学校のときは、隣町の中学校の全然知らないやつに、いきなり「ヤング・ポールだ!」と指をさされて、「おまえ、誰だよ!」みたいな(笑)。田舎の本当に小さな町だったから、自分が意図せずとも目立ってしまう息苦しさがありました。かといって、わかりやすくグレると、「あいつグレたな」みたいにいじられるのは目に見えているし(笑)。なんだよ、グレるにグレられないじゃないか、みたいな大変さはあったかな。
そんな状況を救ってくれたのが、ユーモアだったんですよ。向こうがいじめというか、からかうような感じできたときに、真面目に正面からぶつかることはせずに、笑いではぐらかしていました。自分を笑い者にするいわゆる自虐ネタとか、誰かをおとしめてとるような笑いではなくて、その場にいる人間を楽しませることで自分の立ち位置を確立しようとしていた記憶はあります。この映画を観てくれた地元の友達から、「きみらしい映画だね」と言われたんです。彼いわく、ユーモアの感覚が僕らしいということのようです。あの当時の僕の心情をちゃんとわかってもらえていたんだなという軽い驚きとうれしさとがありました。
「人のおかしみと本気が同時に存在する状況を描くのにはホラーが最適」
――初長編作でホラーというジャンルを選ばれたのはなぜですか。
ホラー映画って、撮影現場でやっていることはバカみたいなことも多いんですが、完成したものは怖い。その距離感とジャンプの仕方はとても映画的だと思うし、そもそもホラー映画自体が好きなんですよね。本作について言うと、命の危機に瀕した人たちがとる本気の行動のおかしさみたいなものを描きたかったというのもあります。はだしでドラ猫を追いかけるサザエさんを、引き画で撮ると面白さがまず来ますが、アップで撮ると今度は鬼気迫って見えると思うんです。サザエさん自体に必死さがある一方、その状況そのものを引いて見るとこっけいである。ホラーって、人のおかしみと本気を同時が存在するシチュエーションをつくりだすのに最適だと思うんです。映画の過酷な撮影現場にいる人々の悲喜の両方を描けるんじゃないかなと思って、ホラーという設定で考えてみることにしました。
――ホラー映画はいつごろからご覧になっていましたか。
ホラー映画を観たぞという一番古い記憶は、高校1年のときなんですよね。友達がレンタルビデオ屋でジャケットだけで選んだ3本をまとめて観ようと言いだしたんです。3本中2本は覚えています。1本がサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』で、もう1本がピーター・ジャクソン監督の『ブレイン・デッド』。両方過剰じゃないですか。非常に印象に残っていますね。特に『ブレイン・デッド』で、ゾンビであふれかえる家に主人公のライオネルが草刈り機をブーンと振り回しながら「パーティは終わりだ!」と乗り込んでいく。あのセリフにはもう本当に打たれましたね。そのあと、血で滑って逃げられないとか、バカじゃないのっていう笑いがやってくるところも衝撃だったんです。自分がホラー映画に対して抱いていた、ただ怖いだけとか、人の死体が好きな人たちの見るマニアックなものというイメージとかなり違ったんですね。あっ、こんな世界があるんだという気づきを得たのがこの二作でした。
――そこから映画の作り手になろうという気持ちが芽生えていったのでしょうか。
実は、映画を作る人になろうと思ったきっかけは、池袋の新文芸坐なんですよ。ほぼ日替わりで二本立てのプログラムじゃないですか。東京に出てきてから新文芸坐で浴びるように映画を観て、映画って本当に面白いなあとあらためて思ったんです。さらに大きなきっかけになったのは、そのなかの特集で観た中島貞夫監督の『893愚連隊』や『脱獄広島殺人囚』、『懲役太郎 まむしの兄弟』といったやくざ映画でした。中島監督って1960年代後半から70年代にかけて50本の映画を撮ったプログラムピクチャーの巨匠なんですが、あのころのプログラムピクチャーって、技術もスタッフもレベルが高いし、演出も素晴らしいんですよね。かつ、脚本としても深みがあってグッと来てしまうものが描かれている。やくざ映画なんて、古くさくて暴力的で、安っぽいんでしょと思っていたら、全然違いました。商業性とある種の芸術性の、高いレベルでの融合というのを、いわゆる芸術映画ではなくてプログラムピクチャーの中でできてしまう。映画ってなんてすごいんだ!とその懐の深さを感じさせられたのは、中島監督の作品でした。あの出会いは大きかったと思います。
ちなみに、20歳の誕生日を迎えたのも新文芸坐だったんですよ。「クレヨンしんちゃんオールナイト」を観ている最中に成人になりました(笑)。新文芸坐は今でもよく行く映画館の一つです。
「映画愛とは『呪い』。一度味わってしまうと逃れられない呪縛」
――本作には『スペース・ヴァンパイア』だけでなく、80年代ホラー映画の要素がたくさん見てとれますね。
理由は二つあって、一つは、主人公の黒沢明というキャラクターは、80年代ホラーが大好きな男という設定なんですね。その彼の書いた80年代ホラーへオマージュを捧げる脚本が、キラキラ映画の世界を乗っ取っていく。だから、そこで起きる出来事はおのずと黒沢の台本から影響されたもの、つまり80年代ホラーを連想させるものであるという物語の必然がありました。
もう一つ、質感をともなった表現をしたいという思いもありました。これは自分の映画的な趣味なんですが、CGもリアルにすればするほど透明になっていくというか、CGであることがわからなくなっていきますよね。そうではなく、CGも使うのなら味わいのあるCG、質感のあるCG、そこに情感があるCGにしたかったんです。造形物に関しても、ギリギリのところで人が作った手触りを残したかったんですよね。やはり80年代の映画って、今観ても面白いと思えるのは、人が作ったモノ感があるからだと思うんです。僕はそういう感覚が好きなので、そこにこだわりたかった。実際にモノのある現場って面白いですよ。CGだと結局、それこそグリーンバックじゃないですけど、役者さんもスタッフも、撮った画がどうなるかの最終形を明確に把握できないまま撮影を進めていく部分が大きい。ただ、モノがあると、これはこういうものなんだなという納得のもと進んでいくので、役者さんの反応が全然違うんです。
――謎かけのようなラストシーンには監督のどんな思いが込められているのでしょうか。
ラストシーンは、こういう意味だという限定はせず、オープンエンドにしたいと考えていました。宣伝では「究極の映画愛」といっていますが、僕個人としては「映画への愛憎」だと思っています。それは自分の映画に対する思いと同様で、黒と白が混ざり合っている状態。その間を行ったり来たりするカオスなんです。だから、ラストも純粋なハッピーエンドでもなく、純粋なバッドエンドでもなく、観る人によって捉え方が違ってもいいし、僕のなかの混沌、愛憎をそのままぶつけたいと思ったんです。あまり断言するようなものにしないほうが誠実な気がしたんですよね。それでああいう形になりました。成海さんにも、僕の意図は伝えましたが、彼女なりの解釈で演じてほしいと付け加えました。あの場面で現れる成海さんの表情や仕草はぜひスクリーンで体感してもらいたいです。
――監督にとっての「映画愛」とは何ですか。
映画愛とは、「呪い」ですね。愛しちゃっているから離れられないし、愛しちゃっているから、愛があり余って憎しみになる。愛って、愛した瞬間にある意味、負けという気がするんですよ。服従じゃないですけど。自分も、大変な現場が続いていたとき、まちを歩いていて偶然会った友達に「今って何の仕事しているの」なんて聞かれて、向こうは深い意味もなく挨拶代わりに聞いただけなんでしょうけど、ものすごく刺さってしまって、「俺ってこの先どうなるんだろう。本当にこのままでいいのかな」という不安に駆られたことがありました。それでも、やっぱりやめられなかったんですよね。映画が面白いなと思ってしまったから。「思っている」じゃなくて「思ってしまった」なんです。意図せずのめり込んでしまい、抜け出せない。映画をつくっているときの圧倒的な喜びって、一度味わってしまうと逃げられないんですよ。そこも含めて愛している。もう完全に呪縛ですよね。
――次回作についてのイメージはお持ちですか。
やりたい企画がいろいろありますが、そのときに撮れる映画を撮っていくというのが僕の信条です。尊敬する中島監督は、作家性と商業性の間で格闘しながら作品を生み出しています。その格闘の仕方が格好いいんですよ。僕もいい意味であがきながら、もがき苦しみながら作品を作り上げていきたいです。もちろんホラーは好きなジャンルだし、挑戦しがいもあるので、また作りたいですね。
[聞き手:TOMOMEKEN]
『ゴーストマスター』
12月6日(金)新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
監督:ヤング ポール 脚本:楠野一郎 ヤング ポール
配給:S・D・P
(C)2019「ゴーストマスター」製作委員会
「ホラー通信」(略してホラツー)は、ホラー・サスペンス映画のニュースやコラムをご紹介するサイト。マニアな方も、隠れファンも、怖いけどちょっとだけのぞき見したい……なんてみなさん寄っといで。 http://horror2.jp/
TwitterID: @horror2_
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。