著者初の短篇集。文化と歴史への洞察と、卓越した構成力、語りの技巧。
小川哲はハヤカワSFコンテストに投じた『ユートロニカのこちら側』で大賞を射止めてデビュー、受賞後第一作となる『ゲームの王国』で日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いである。現代社会がはらむ諸問題への怜悧な眼差しと、複線的なストーリーを緊密に束ねる卓越した構成力は、舌を巻くばかりだ。
これまで上梓された二長篇の印象が圧倒的だが、小川さんは短篇も巧い。初の短篇集『嘘と正典』は収録六篇中四篇が〈SFマガジン〉初出だが、文芸誌(純文系・エンターテインメント系を問わず)に掲載されていてもまったく違和感がない。ジャンルSFにとどまらぬ普遍的な訴求力がある。
まず、巻頭に収められた「魔術師」に息を飲む。表題どおりマジシャンの物語だ。竹村理道は一九七〇年代半ばよりテレビ出演しはじめ、マジック界の頂点へと登りつめる。しかし、虚栄のなか人生が歪んで没落し、八〇年代半ばにはいったん表舞台から消えた。妻とは離婚。ふたりいた子ども—-姉と弟—-は、どちらもマジシャンを志すようになる。その弟のほうが、この物語の語り手だ。
一九九六年六月五日、竹村理道はふたたびマジックショーの舞台に立った。彼が掴みのトークで披露したのは、アメリカでの修行時代に師匠から伝授された「サーストンの三原則」だ。三原則とはマジックの禁忌である。つまり『説明しない』『繰り返さない』『明かさない』。しかし、理道はこれから、あえて三原則を冒す宣言する。
「(略)まず、これから何が起こるか説明しましょう。これから私はタイムマシンで過去へ飛び、それが嘘ではないという証拠をみなさまに見せます。そして、私は過去への旅を何度か繰り返します。それらの奇跡のタネは、すべてこのタイムマシンにあります」
(強調フォントで示した箇所、原文は圏点)
タイムマシンの実演とは、なんとも派手なデモンストレーションだ。それが科学技術の実験ではなくマジックのパフォーマンスとしておこなわれるところは、クリストファー・プリースト『奇術師』を髣髴とさせる。つまり、観客/読者は、「仕掛け」があると思いながら「実際」のタイムマシンという可能性を拭いきれない。もちろん、観客は「仕掛け」にウェイトを置き、読者は「実際」を強く意識する(なにしろこの物語は「SF」として発表されているのだ)—-という温度差はあるが。
瞠目すべきは、作中で示されるマジックの「三原則」破りが、そのまま作品の構造になっている点だ。すなわち、早々とこの作品が時間遡行をめぐる物語であると『説明され』、理道がおこなったタイムマシン・デモンストレーションを彼の子(姉のほう)が『繰り返し』、彼女(姉)の言葉としてそのタネが『明かされる』。
小説としての妙味は、演者(理道と姉)と受け手(観客/読者)のあいだに、語り手(弟)を置いたことである。作品にピッタリと沿うなら、彼はパフォーマンスの仲介/解説する機能でもあり、作品から身を離して考えれば、彼自身が「魔術師」という作品のパフォーマーでもある。
作品構造について先走って述べてしまったが、物語は理道と姉弟の親子関係を背景としつつ、偉大な老マジシャンに挑む若きマジシャン(姉)という展開で進む。理道はタイムマシン・パフォーマンスを大成功させ、それが彼の最終公演となる。そのマジックがいかになされたかの解明に取り組んだ姉は、二〇一八年のいま、理道がおこなったままのパフォーマンスの再現を試みる。過去に戻って理道と会うというのだ。
親子の葛藤が描かれる点で、次の収録作「ひとすじの光」も同様だ。作家の「僕」は亡父が残した競馬の資料を起点として、第二次大戦をまたいで数奇な運命に翻弄された名馬の血統を明かしていく。その過程で、わだかまりがあった父の印象も変化する。
その次の収録作「時の扉」も「魔術師」同様、広義の時間SF。機械論的時間ではなく、意識・記憶と不可分の時間を扱っている。物語としてはナチスの残虐とどう向きあうかを、歴史修正主義の問題も含めて問う。
「ムジカ・ムンダーナ」も、メインとなる物語は親子の葛藤である。凡庸な作曲家だった父が残したテープに録音された不思議な曲の謎を、語り手である高橋大河(彼は音楽に挫折した青年)が追う。そのなかで浮上するのは、音楽が貨幣機能を担っている小さな島の歴史だ。そこへ外来の音楽と経済が入りこむさまを、文化侵略という図式ではなく、あくまで現地の感覚として描いているのが面白い。
「最後の不良」は、〈SFマガジン〉ではなくカルチャー誌〈PEN〉が初出。流行を追うのはダサいとみなすMLS(ミニマム・ライフスタイル)が広まり、世間は無駄のない均一化した色に染まる。それに違和感を持った主人公は、あえて不良となり(いうまでもなくダサさの極致である)、特攻服に身を包んで、MLSを主導した企業へ乗りこむ。かつての筒井康隆が書きそうな題材だが、文化風潮への洞察はこの作者ならではで、きわめて現代的。加えて、絶妙なユーモアセンスも読みどころ。
巻末に収められた「嘘と正典」は、この短篇集のための書き下ろし。物語は、まず十九世紀半ばのマルクスとエンゲルスの縁からはじまり、次に時代を飛んで、冷戦時代のモスクワを舞台にCIAとKGBとの虚々実々なスパイ戦が語られる。どちらもその時代、その場所の雰囲気が濃厚だ。このふたつのエピソードが、中盤で急浮上する時間遡行のギミックによって思わぬ形で結びついていく。「魔術師」や「時の扉」に比べると伝統的な時間SFの流儀に沿っているが、とにかくロジックが超絶的。ミステリとしても一級だろう。最後まで読んでようやく、序盤にぬけぬけとミスリードが仕掛けられていることに気づき、あまりの鮮やかさに仰天した。
(牧眞司)
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