『イヴリン嬢は七回殺される』に引き込まれる!

『イヴリン嬢は七回殺される』に引き込まれる!

 アドヴェンチャー・ゲームが好きな人は絶対にはまる。

 スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』(文藝春秋)である。もう絶対はまる。攻略サイトとか作りたくなる人がいてもおかしくない。というか、実際に海外では誰かもう作っているのではないか。そのくらい作中世界に引き込まれる小説である。タートンにとってこれはデビュー作で、コスタ賞の最優秀新人賞も授与されている。あのフランシス・ハーディングが『嘘の木』(東京創元社)で児童小説部門と大賞を同時に獲得した文学賞である。

 アドヴェンチャー・ゲーム、というジャンルについて改めて説明する必要はないと思うのだけど、一応書いておく。作中に登場するキャラクターの視点がウィンドウに表示され、プレイヤーがそれと同化する形でストーリーが進行していくタイプのゲームだ。ただしこの『イヴリン嬢は七回殺される』は、初心者殺しというか、我慢強くないプレイヤーだったら怒り出しそうな内容なのである。

 第一に、すぐにバッドエンド、つまりプレイヤーにとっては心地よくない結末がやってくる。英国のカントリーハウス風の建物が舞台になる話であり、題名にあるイヴリン嬢というのはその〈ブラックヒース館〉を所有するハードカースル家の長女である。彼女がパリから帰国したことを記念して仮面舞踏会が開催される。その晩に殺人が起きるのである。本書の主人公の使命は、事件の謎を解いて真犯人を指名することだ。それに失敗するだけがバッドエンドなのではなく、もっとひどい結末も待っている。ブラックヒース館には〈従僕〉と呼ばれる謎の人物が潜んでおり、隙を見せると主人公に襲い掛かってくるのである。つまり、死亡エンドもあるのだ。

 ここまでのところで質問は、あ、はい、そこの人。

「といってもそんなに何度もバッドエンドは来ないでしょう、小説だもの。それとも昔流行したゲーム・ノヴェルみたいに、選択肢で進んでいく形の作品なの」

 いや、そうではない。叙述自体は普通の形式である。ただし、この作品特有のルールが設定されている。主人公は、ブラックヒース館に滞在する誰かに憑依、あるいは人格転移するような形で事件を目撃するのだ。では、仮面舞踏会が開催される一日が終わったらどうなるのか。別の人間に憑依して目が覚め、もう一度同じ一日を別の視点からやり直すことになるのだ。主人公の前には、鳥のくちばしのような仮面をつけた〈黒死病医師〉の扮装をした人物が現れる。主として彼の口から、同じ一日を繰り返すタイムループの法則が説明されることになるだろう。

 だが、初めのうちは主人公が動揺していることもあり、ゲームのルールが呑み込みにくいのである。主人公は憑依した相手の精神を完全に支配できるわけではなく、相手によっては衝動に流されてしまうこともある。身体が弱っているような者の中に入ると、それ自体が障害になるのである。おまけに、事態が動いているところにいきなり投げ込まれるので、初めは何が起きているのかを把握するだけでも苦労する。小説は主人公が「アナ!」と叫ぶ場面から始まるが、そもそもアナって誰、という話だ。一歩進むごとにわからないことが増え、誰かと会話するたびに信用できるかどうか悩むことになる。

 これが本作の第二の特徴だ。そう、ルールを呑み込むまで時間がかかるゲームなのである。逆に言えば、それがすっかりわかってしまうと、次に何が起きるかが楽しみになってくるだろう。章には主人公の目覚めに応じて「一日目」「二日目」と日付が振られている。最初の数日はゲームでいうところのチュートリアルと考えたほうがよさそうだ。

 あ、また質問の手が上がった。

「たしかに難易度が高そうな気はするけど、どんなゲームでも最初は慣れるのが大変でしょ。その〈黒死病医師〉の指定するルールを呑み込めたら、あとはなんとかなるんじゃ」

 ところがそうでもないのである。

 これは書いてしまっていいと思うが、主人公は単純に殺人事件の謎を解くだけではなく、ライバルと競い合って勝利しなければならない。殺し屋である〈従僕〉以外に、ゲームの妨害者がいるのだ。したがって、主人公が見聞するものがすべて信頼できる証拠、証言であるとは限らない。妨害者の手によって汚染された見せかけのものである可能性もあるということだ。証拠の真偽を確かめることが重要になり、そのためには誰が、いつ、どこで、何をしているか、というタイムテーブル上で事実を確認する必要がある。多すぎる証人の中で誰が嘘をついているのか判断できなければ、そもそも推理に必要な手がかりさえ揃わないというのがアガサ・クリスティー式の謎解き小説だが、本作はそれを突き詰めたものと言うことができる。立場が変わればその人にとっての嘘や真実のありようも違ってくる。人格転移によって視点が切り替わることが、嘘の検証を多面的にさせているのである。誰が嘘を吐いているかの判断が難しい。それがゲームの第三の特徴だ。

「すぐバッドエンドになる(しかも死ぬ)」「初めのうち、ルールがわかりにくい」「嘘つきばかりいる」という難易度の高いゲームである。これは逆に言うならば「少しも安心ができないから読んでいる最中はサスペンスがずっと維持されている」「他では見たことがないルールの、新しい体験ができる」「登場人物の誰もが複数の顏を持っていて、こんなやつだったのか、という驚きが最後まである」ということでもある。退屈からは程遠いということだけはお約束する。個人的には小道具の使い方が気に入った。方位磁石、チェスの駒、リボルバーの拳銃といったものが館のどこに今あるのかという問題が、正しい手がかりを見つけるための指標になるのである。物証を大事にする謎解き小説はいい作品。これ、間違いなし。

 さらに付け加えるならば、本作には成長小説の要素もある。次々に人格転移していくのに。一日ごとに別人になる話なのに。昨日よりも今日のほうが少しだけまともな人間になれたような気がする。どんなに小さい進歩でも、それを成長というのである。謎解きを通じて主人公は変わっていく。人はどんどん死ぬし、ひどい目に遭わされるし、出てくる人間はみんな胡散臭くて疑心暗鬼にも駆られるが、昨日よりも今日、今日よりも明日をいいものにしようと思わせてくれる。そして信じられる人を見つけようという気持ちもふつふつと湧いてくる。そんな小説だ。やっぱりアドヴェンチャーの物語だよね。

(杉江松恋)

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