新幹線にも「秘境駅」があった!?青函トンネル記念館は列車好き必見!
ホリプロでタレントのマネジャーをやっております南田裕介と申します。列車が大好きで、全国のいろんな列車に乗っています。
東北新幹線がデビューしたのは1982年。まだ私が小学生のころでした。初めはJR大宮駅〜JR盛岡駅間、まだ新幹線は200系という団子っ鼻の丸い新幹線でした。その後平成になり、東日本全体で新幹線のネットワークはどんどん増え、いまでは新幹線の連結や切り離しなど、デビュー当初には考えられなかったようなことも、当たり前の姿となっています。
今回の旅でたどるのは、列車の歴史。特に、北海道新幹線が通る「青函トンネル」の歴史です。普段はなかなか降り立つことのできない、秘境駅にも立ち寄りながら、行ってきます!
東京駅
令和の東北・北海道行きは東京発の新幹線で
まず目指すのは、JR東京駅から奥津軽いまべつ駅。「新幹線秘境駅」とも呼ばれている、本州最北端の新幹線駅です。乗り込むのはもちろん、東北新幹線!
東北新幹線は、2002年にJR盛岡駅からJR八戸駅までが開業し、新青森駅まで延伸。その後2016年3月、青函トンネルを通って新函館北斗駅まで結ぶ北海道新幹線も開通。さらに2019年のダイヤ改正では東京駅から新函館北斗駅まで、4時間を切る列車も設定されるようになりました。
昭和に夢見ていたことが、平成にどんどん実現していったのです。
このすらりと伸びた鼻、独特のフォルムのE5系。デビューして何年もたつのに、いまだに新車感がありカッコいいです。
大都会のビルをみながら、新幹線は東京駅から北に向け出発しました。
大宮駅でもたくさんのお客さんを乗せ発車するとどんどんスピードをあげていきます! 日本最速の320km/h。
東京駅で入手した「一本炙りあなご弁当」をペロリといただきながら乗車すること2時間13分、盛岡駅に到着。ここで、秋田新幹線「こまち」と切り離しをします。
切り離しにはロマンがあります。寄り添っては離れて、離れてはまた繋がって。まるで人生のようです。東北新幹線「はやぶさ」はここからは単独で運行。
東京から3時間19分。新青森駅に到着すると、ここからは北海道新幹線、JR北海道の乗務員さんと交代です。
奥津軽いまべつ駅・津軽二股駅
日本一小さな新幹線駅のある町
新青森駅から北海道新幹線でおよそ16分、奥津軽いまべつ駅に到着です。新幹線から下車すると、空気が東京よりも少しひんやりしているような。
この駅はもともと「津軽海峡線」の「JR津軽今別駅」。新幹線が開業して「奥津軽いまべつ駅」と名前を変え、駅舎も立派になりました。
新幹線開業前にあった「津軽今別駅」(写真提供:南田裕介)
新幹線開業後の「奥津軽いまべつ駅」
この駅にはいくつか特徴があります。在来線と合流し三線軌条※になった線路は、再び分かれて奥津軽いまべつ駅を挟むような形で配線されています。この駅で新幹線が貨物列車を追い抜けるようになっていて、こういったスタイルは日本でここだけです。
※三線軌条(さんせんきじょう):普通の列車は2本の線路だが、線路が3本になることを「三線軌条」と呼ぶ。
さらに、この駅は本州にありながらJR北海道の駅なので、JR北海道が発行している、101種類の絵柄があしらわれた記念入場券、「わがまち ご当地入場券」が売られています。
また、停車する新幹線の本数が少なく、上下とも7本ずつしか停まりません。降りるチャンスがとても少ないので到達難易度が高く、逆になんとしても降り立ちたくなる駅なのです。
津軽二股駅
新幹線と気動車の対照的な風景
駅前ロータリーを出て右に徒歩2分ほどの場所にあるのが、「津軽二股駅」です。
オレンジの建物は「道の駅いまべつ半島プラザ アスクル」で、その横が津軽二股駅です。こちらはJR東日本の津軽線の駅。奥津軽いまべつ駅と比べて、規模はかなり小さく、屋根もありません。津軽線のこの区間は気動車※が走り、その本数も少なく、上下それぞれ原則5本ずつ。こちらも到達難易度が高い駅です。
新幹線の駅のすぐ横をひっそりと通る線路の上を、ディーゼルが煙の熱気を吐いて走っていきます。新幹線とは対照的な風景の駅が、至近距離に存在しているのがとてもおもしろいです。
※気動車:電車のように電気で動くのではなく、ディーゼル燃料で動く車両。電化されてない非電化路線を中心に走っている。
「道の駅いまべつ半島プラザ アスクル」には、レンタカー、レンタサイクルの受付や売店、食堂などの設備があります。
食堂で名物のもずくうどんをいただき、貨物列車を待ったり、駅や新幹線を撮ったりしている間に、あっという間に時間が経ちます。
今日は津軽線で約1時間半、津軽二股駅からJR青森駅まで一旦戻り宿泊します。
三厩駅
本州の最北の「三厩駅」
2日目は青森駅より在来線の津軽線で蟹田駅まで。ここで乗り継ぎ、さらに北を目指します。蟹田駅から先は非電化のローカル線。走っているのは国鉄時代、昭和50年代製の古い気動車です。
平成を代表する東北・北海道新幹線に乗って高揚していた気持ちを、ほっとひと息落ち着かせてくれます。
この座席案内プレートを見て、あー懐かしいなぁと思う方は、昭和のセンスがありますね。
ゆっくりゆっくり北に向けて走って行きます。窓の外の緑もとても穏やかで絵に描いたような田舎の風景。やがて海沿いに出て、三厩湾に沿いながら少し走り約1時間半で、終着の「三厩」駅に到着。
本州の一番北にある駅で、なおかつ難読駅名としても有名です。はたして何と読むでしょうか?
読み方の正解は「みんまや」駅。
線路はこの駅まで。
ぽつんと駅があり、乗ってきたディーゼルカーがひっそり折り返しを待っているのが印象的です。この線路をたどれば、やがて私の住む東京や、私の生まれた奈良にもつながっているんだなぁ。
北海道新幹線が開通したおかげで、本州北の端にあっという間に来ることができるようになったんだなと感じ入ります。
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青函トンネル記念館前
青函トンネルを理解するならココ!
三厩駅から町営バスに乗って25分ほど、海岸線をのんびり走ります。今日は天気が良く海も透明です。
青函トンネル記念館前バス停の前にドーンとあります、「青函トンネル記念館」。
まずは展示ホールを見てみましょう。決して大きくはない展示室ですが、とても工夫された展示に驚きです。
青函トンネルの模型を下から眺める
天井から吊り下げられた青函トンネルの模型は、地底深くの青函トンネルを下から眺めるという、なかなか新しい視点で、実際のトンネル同様、青函トンネルを囲むようにいくつもトンネルが構築されている様子もわかりやすいです。さらに、津軽海峡の断面図を表現している壁には、地質学的な岩石の種類が表現されています。
青函トンネル記念館
ケーブルカーで地底に潜る!
いよいよ! 青函トンネルに潜りますぞ。
オレンジ色のケーブルカー「もぐら号」が、私たちを地底の旅に誘(いざな)います。
急斜面のトンネルを、ケーブルカーで降りて行きます。「青函トンネル記念館駅」からおよそ7分、その高低差は約140メートル。
私が降りていくトンネルは、列車たちが走る「本坑」に対し、工事に必要不可欠な「作業坑」と「先進導抗」と呼ばれるトンネルに繋がる、「斜坑」と呼ばれるものです。
ゆっくりゆっくり降りていくにつれて、ひんやりしてくるトンネル内の空気。それとは対照的に、胸のうちはワクワクで熱く、地下の「体験坑道駅」手前の分岐で最高潮を迎えました。
ミステリアス!
体験坑道駅に到着して、階段状のホームに降り立ちます。ちなみにこのケーブルカーの線路、まだまだ先があるとのこと。より一層ミステリアス!
このケーブルカーも法律上、竜飛斜抗線というれっきとした「鉄道」。あらかじめ時刻がきちんと設定されています。
この日のご案内は館長の工藤さん
ここからは職員の方の案内により先に進んでいきます。
少し大きなトンネルにでます。津軽海峡に住む魚たちの展示の傍に、今も使用していると思われるケーブル類が張り巡らされていて、今いるこのトンネルも、とても重要なんだと実感させられます。
少し進んで、トロッコ車両や蓄電池車の展示ゾーンに進みます。この地下深いトンネルの中で作業をしていた様子が再現されています。
実際に使われていた車両が、静かに歴史を伝えています。
トンネルを掘る技術の具体的な説明もありました。掘ってきた壁にコンクリートを吹き付ける技術など、知っているようで全く知らなかったことを、実際のトンネルの中で学ぶことができるのはある種の贅沢。
そして、出水事故の展示。何度かあった大きな事故の様子を、テープ案内がしっかり伝えます。
トンネル工事はまさに危険と隣り合わせ、地底深くのトンネルで作業をすることは並大抵の苦労ではありません。そんな展示を見て、案内を聞くと、目頭が熱くなります。
地下に張り巡らされたトンネルのミステリアスなワクワク感と、トンネル工事のドキュメントに胸いっぱいになったところで、帰りのケーブルカーに乗り、地上に戻ります。あっという間に過ぎた、とても濃密な時間でした。
青函トンネル工事殉職者慰霊碑
今の流通を支える歴史に思いをはせる
青函トンネル建設の際に殉職された方に向けた慰霊碑。記念館から徒歩5分ほどです。いま私たちが新幹線に乗って青函トンネルを安全に旅ができ、貨物列車が物品を運び安定した流通が確保できているのは、先人の努力と汗そして涙、いろんなものが礎となっているのです。碑に書かれたこの言葉を切に願います。
「ねがわくは この工事に英知と情熱をかたむけながら 青函トンネルの礎となられたかたがたの永遠に安らかならんことを」
龍飛崎
目の前に広がる海っ! 北海道も目の前に
さらに歩くこと、記念館からだと徒歩20分ほど、見えてきました「龍飛崎灯台」。船が安心安全に運航できるよう、ここから光で守っているのですね。
その上にある展望台に到達すると、目の前に絶景が!
なんてきれいなんだろう。見える! しっかり見えます! くっきり北海道が! あれは函館山かな? あれが駒ヶ岳かな?
案内板が対岸に見える山を丁寧に説明してくれています。日光を受けながらきらめく海。とても穏やかな午後の絶景。
眼下に広がる水面のはるか下に青函トンネルが通り、日々新幹線がお客さんを運んでいるのです。何十年も前から建設を始め、日本の技術を注ぎ込み、幾度の困難を乗り越えて、ようやくつながった青函トンネルが結ぶ、本州と北海道。
そう思うと短いようで、とても長い距離だなと思います。
少し下の駐車場にあるお土産物屋さんによると、季節や時間帯により、モヤがかかって北海道が見られない日もあるということ。今日はラッキー! 絶景を充分に堪能し、東京へ戻ります。
旅の目的の「列車の歴史」を学んだ後に乗った、東京行きの新幹線。新幹線を、青函トンネルを、列車を作ってきた先人と鉄道業界の努力と工夫、支えてきた方々に対する敬意と畏れを感じました。
今回の旅のお土産は、新青森駅で買ったラグノオの 「パティシエのりんごスティック」、これは東北新幹線のグランクラスでも採用されていました。そして、リンゴジュース、津軽二股駅で購入したとろろ昆布「とろろくん」、青函トンネル記念館の「もっ君」。
令和初の夏は、いろんな体験をして歴史に触れた、大満足の旅ができました。
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