誰かを妬んだり、否定したりするのはダサい_「32歳未経験」で飲食業界に飛び込んだ鳥羽周作さんのロック魂とは
30代から料理の道へ進み、今やあらゆるメディアで飲食店業界の革命児と呼ばれているシェフがいます。東京・代々木上原の人気店「sio」のオーナーシェフ、鳥羽周作さん。それまで教師をしながらサッカー選手を目指していた鳥羽さんが、突如、料理の道へ人生の舵をきった、その決意の裏側に迫ります。「32歳未経験」から一気に人気店オーナーシェフへ上りつめた軌跡、そこには並々ならぬ思いがありました。
鳥羽 周作
1978年5月5日生まれ。サッカー選手、小学校教員を経て、32歳で料理の世界に飛び込んだ異色の経歴の持ち主。「DIRITTO」「Florilege」「Aria di Tacubo」などで研鑽を積み「Gris」のシェフに就任。2018年7月、オーナーシェフとして自身のすべてを出し尽くしたレストラン「sio」をオープン。
挫折が導いた、料理の道
-Jリーグの練習生から小学校の教師、そして現在はレストランの経営とプロデュース。鳥羽さんのユニークで華麗な経歴が目を引きます。
20代のころは小学校の教師をしながら、サッカーJリーグの練習生としてプロサッカー選手に挑戦していました。最後の数年間は「サッカーで飯を食うのは無理かな」と思いながら続けていたので、しんどかったですね。そこで、活躍している人を妬んだり羨ましがったりしている自分に気づいて、すごい「ダサい」なって。そんな自分に嫌気がさしてサッカー選手の夢に終止符を打つことにしました。
それまでの人生の大半をサッカーに捧げていたので、これはもう大きな挫折でしたが、自分はサッカー選手ではないけれど「何か」で一流になって、中田英寿さんみたいなプロの人と並んで話せる人になりたい、そんなモチベーションでこれからのことを考えていたんです。
まず「やりたくないこと」を書き出して、それから「得意なこと」を挙げていったんです。「スーツは着たくない」「会社員にはなりたくない」。「料理や美味しいものが好き」「家具が好き」「服が好き」。おしゃれも音楽も好き…。
そうしたら、自分の進むべき道がすごくクリアーになったんです。「これって、自分でカフェをやるってことだ!」って。それで教師も辞めることにしたんです。でも飲食業界のことは何も分からない。そこで教師を辞めた次の日に、幡ヶ谷にあるイタリアンに修行しようと訪ねたんです。
-すごいフットワークですね!どうやってその店に決めたんですか?
有名店だったからです。自分がサッカーでプロを目指していたこともあり、カフェをやるにしても一流のものを見ないと、と思って。わかりやすく言うと、「野球って最高だよね」ってイチローが言うのと、草野球をしているおじさんが言うのでは全くレベルが違う。まず一番のもの、一流のものを見て、それで自分が本気でやりたいかどうかを知るべきだと思ったんです。
そして、「働かせてください」とお願いしに行ったんですけど、僕はTシャツに短パンみたいなラフな格好で(笑)。店のオーナーから「何なんだよ。常識ないな。カプチーノも入れられないしイタリア語も話せない奴はダメだ」、「お前に期待するような事は何もない」って言われました。
でも、僕の中では「もうやるって決めたし、天職だ」って信じていたので、そこでめげることはなかったです。
-そう思えた理由は?
これね、すごく大事だと思うんですけども、僕がコックコートを着て料理を作っている姿が、頭の中に映像としてリアルに浮かんだんですよ。だから全く迷いはなくて。
「カプチーノ作ります。とにかくお願いします」って牛乳を持参して通い続けて。勝手に練習させてもらって帰るという生活を1ヶ月間続けました。そのうち年末の繁忙期になり、人手も足りなくなって、雇ってもらいました。
-その時は辛くなかったですか?
精神面もサッカーで鍛えられていたから楽勝でしたね。もちろん、キツいときもあって、「行きたくねえなあ」って思うときも。でも「カフェで一流になる」という自分のゴールがリアルにあったから必死で。だから、結果をリアルに感じ取れるかどうかはすごい大事なんですよ。
後がなかったことも大きかった。他の見習いは、専門学校で学んできた若い奴ら。一方、僕は30歳を超えて未経験で知識も技術もない。スピード感もって覚えていかないと若い奴らには追い付けない。だから、今から学校に行くとかじゃなくて、現場で修行する道を選んだんです。僕はその後、複数の店を経験するんですが、とにかく武者修行スタイル。常にリュックに履歴書を入れていて、働きたい店に出会ったら、コックコートを着たまま行って「働きたいんです」と。断られても、「いえ大丈夫です、働きます」の繰り返し。相手の立場も考えられないくらいに必死だったんですよね。給料も3ヶ月分位もらわなくてもいいと言って、店に泊まり込んで働いたことも。超絶、気持ちが強かったですね。
―自分を信じる力がすごく強いですね。
当時はなぜみんなは自分と同じようにしないんだろうと思っていましたが。最近、自分がマイノリティーだということを認識しました。(笑)
キャリアの差は、「思考で埋める」
-同い年でも10年以上キャリアが離されている中、具体的にどのように追いつく努力をしたのでしょうか?
圧倒的な経験値の差は「思考で埋める」と決めていました。1日は24時間しかないけど、3つの軸を同時に考える癖をつけて、時間を3倍に、1日を72時間に増やす訓練をしていたんです。
例えば、「メニューの創作」「今やるべき事」「将来のプラン」というものを頭の中にたてて、同時に考える。思考をフル回転させつつ、それを相互作用させる。じつは、そこでもサッカーの経験が生きていて。試合に勝つための戦略や分析をロジカルに考える体験があったので。
自分でメニューを作れる店に移ってからは、ひたすらメニューを生み出すことを続けました。毎日メニューが変わる店で、当日になってもまだ決まらないこともあって。その場でのトライ&エラーの繰り返しの中で、自分の経験値を広げていきました。人気店ということもあり毎日プレッシャーで吐きそうなほどでしたが、いい経験でした。おかげでメニューを作るスピードは速いですよ。
-それがシェフとしての成功につながっていくんですね。
雇われ店長の時には、原価率とか値段とかに制限があって、それが窮屈で。会社と交渉して原価率30%位のところを40%でやりだした。結果を出し続けて、結局3ヶ月で満席に。それで、創作と表現の幅がグンと広がりました。
一流の人と作る「日本で最高にセンスの良い店」
-そして、自信をもって自分の店を持つことを決めたのですか?
このとき僕は40歳前後、2人目の子どもが生まれるという状況で。雇用され続ける事に不安を感じ、独立することを決意しました。それがこの店、「sio」です。
店づくりにはこだわりがあるんですが、そのきっかけは「くまモン」のデザインを手がけた水野学さんとの出会いなんです。店のロゴとか名刺デザインを相談したら快く引き受けてくれて。水野さんがロゴを作ってくれるんなら、音楽も、店の中のものもすべて一流のものにして、「日本で最高にセンス良いレストランにする」、と決めたんです。いろんなジャンルのクリエイターにお会いしたり、メールや電話で交渉し続けたり。音楽は有名DJの沖野修也さんに依頼し、スピーカーやアンプも良い物をそろえて。テーブルウエアはプロダクトデザイナーの鈴木啓太さんにお願いしました。
一流の人とジョインしてセンスの良い店を作っていけば、初期投資はかかりますが減価償却が終わってもそれぞれのクリエイターの名前が残ってく。一流の価値は変わらないんです。なので、わざわざ店の宣伝をしなくても、感度の高いお客さんがその価値を理解して来て広めてくれるんです。
-SNSの時代にも合った展開ですね。
そうですね。いまは個人がそれぞれ発信できる時代ですよね。そして個人が外に出て、チームを作っていく時代になったと思います。個人が競い合うんじゃなくて、共に作っていくということが大事。僕は一部では「海賊シェフ」なんて言われているんですけど、一人でやっているわけじゃない。チームでやっているんです。
-チームで進めるメリットはありますか?
一流のメンバーが集まって一緒にやっていくと、掛け算のスケールがめちゃくちゃ大きくなります。
そういうインフルエンサーとの仕事で、大事にしていることがあって。それが「リスペクトと愛」なんです。
相手へのリスペクトと無償の愛を持って、ともに表現し続ける。応援するから、応援してもらえる。巻き込み力が拡大します。そういう循環は無限大なんです。でもこれは打算じゃなくて、気持ちで成り立っているんです。
僕はね、なんでレストランやりたいのって聞かれたら、すごくシンプルな自分の価値基準があって、「みんながハッピーになること」なんです。それに向かってひたすらやっている。それにはコンテクストも大切にしていて。
-コンテクストとは?
文脈のことですが、自分の中にある、確固とした「在り方」ですね。仮に失敗があったとして、それをインスタグラム的に切り取って「失敗」だと思うのではなく、ゴールを見据えて次につなげるように考える。読み取る。
最初はコンテクストなんて言葉も知りませんでしたけど(笑)。
こうして料理の分野へ舵を切ったことは良かったと思うし、今までにない新しいモデルケースとしてポジションを確立できたと思います。
-「今までにない新しいモデルケース」とは、どんなことですか?
うちの店の利益率は他のレストランに比べて高い方です。それに伴って若い従業員の給料も基準よりも高めに設定しています。若い人もちゃんと生活できるように店の利益を設計しているんです。そして、「練習のための練習をしていれば」というような扱いをして、若い人の可能性を失わせるような店にはしたくない。客単価2万円でも、毎日お客さんが喜んで食べに来てくれて、若い従業員も生き生きと働ける環境を目指したんです。
これは、かつて自分がベストな結果を出しても給料に反映されなかった苦い経験があったからできたことで。理不尽だと思うことが起きた時、こういうものだ、と思っていたら何も変わらないし、誰かを否定しているだけではダサい。「自分はどういう行動をとるか?」だと思っていて。僕は「何がダメなのか」「なぜできないのか」、自分が実行するポジショニングをとりました。これ、ロックですよ。
-「ダサい」という言葉は、鳥羽さんの美意識の表れですね。
今度、どんな夢を持っていますか?
僕は、自分の店をどんどん展開して拡大したいわけじゃなくて、幸せの分母を大きくしたいと思っているんです。自分たちがやっていることが社会に広まって、みんなが真似してくれたらいい。正解ではなく、選択肢のひとつとして。だからビジネススキームもオープンソースしていきます。目指すのは、インフラじゃなくてカルチャー。あるとき、ふと気がつけば、自分たちがやってきたことがカルチャーになっているような、一つの時代を創っていけたらいいなと思っています。
そう、カルチャーはロックなんです。
インタビュー・文:野原 晄 撮影:平山 諭
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