松村栄子『僕はかぐや姫/至高聖所』が帰ってきた!

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松村栄子『僕はかぐや姫/至高聖所』が帰ってきた!

 松村栄子という名前を聞いて胸をときめかせる読者のみなさんに、できればひとりでも多くの方々の目に、このレビューが触れることを願う。私たちが愛した「僕はかぐや姫」が、「至高聖所」が帰ってきましたよ!

 とはいえもちろん、本書は松村作品を読まれたことのないみなさんにも手に取っていただきたい一冊である。松村さんは、20年ほど前に廃刊となってしまっている福武書店(現ベネッセコーポレーション)の文芸雑誌「海燕」の新人文学賞のご出身。「僕はかぐや姫」は1990年の受賞作で、同時受賞は角田光代さんの「幸福な遊戯」だった。海燕新人文学賞は、初代の受賞者に故干刈あがた氏、他にも吉本ばなな・小川洋子といった錚々たる名前の並ぶ文学賞で、松村さんも私の周りの本好きにはファンが多かった。その後「至高聖所」で第106回芥川賞を受賞。本書にはこの二大作品が収録されている。

 「僕はかぐや姫」の主人公は、「土井晩翠作詞の校歌を持ち、桜の樹が多ければ文句はないだろうといったたぐいの、伝統ある女子高」に通う千田裕生(ひろみ)。学業優秀な文芸部員だが、「人道と美意識」のためには鞄をつぶしたり(「十二歳の春に、やたらと重い鞄に皮膚の一部を引き裂かれてから、小児虐待に甘んじないと誓った」)スカート丈を長くしたり(「決して細いとは言えない脚や膝小僧をむき出しにするのははしたない」)もする。そして、自分を〈僕〉と呼ぶ。他の文芸部員たちも同様だ。昨今の言葉に当てはめるなら「中二病」とでも言われかねないような、裕生や少女たちの自意識は物語のそこかしこに散見される。彼女らの魂の傷つきやすさやかけがえのなさに心を動かされない人とは、最終的には理解し合えないかもしれないなと個人的には思っている。

 そう、本書を再読してみて、自分の中にもいまだ裕生に共感する気持ちが残っていることに気づいた。若い頃に感銘を受けた本というものは、年を経て読むと「なんであんなに好きだったんだっけ?」と違和感を覚えるものもある。私が初めて「僕はかぐや姫」を読んでから30年近く(!)が過ぎた。読み始めるまでは「昔ほど感動するものかな?」と危ぶんでいたが、それは杞憂だった。確かに裕生たちと自分の年齢や立ち位置は大きく隔たってしまったけれども(もはや、裕生は自分の子どもの年齢だ)、むしろ現在の方が彼女らに対して寛容になれる部分もある。初読のときには鮮烈なラストに、「あ、結局あなたもそっち側に行ってしまうのね」と取り残されたような思いを抱いた。しかし、今回「それはそっちへ行くよね」と肯定できるようになったのだ。私はいま成長することを”そっち側へ行く”と表現したが、大人になることは少女時代をばっさり切り捨てることとは違う。少女の心を持ち続けながら、大人としても生きることは可能なのだ。

 「至高聖所」の主人公・沙月は新構想大学に入学した理系の女子大生。裕生よりは少し年長、といっても1学年の差に過ぎないが、10代の若者にとって高校生と大学生は大きな違いではあるだろう。沙月もまた、少女でもあり大人にもなりつつあるような存在。裕生ほど荒ぶる感じはないけれども、大学生には大学生の悩みや迷いはあるわけで、ぜひふたりの心情を読み比べていただければと思う。いずれの作品も取り立てて大きな事件が起こるわけではないが、主人公が新しい自分を見出していく過程を丁寧に描いた物語だ。決して色あせない魅力を感じさせる2編だった。

 さて、初期の名作復刊につい熱くなってしまったが、松村さんは現在進行形の作家でもいらっしゃる。ポプラ社からは2017年に、弱小武家茶道の家元の跡取り息子・友衛遊馬が主人公の〈粗茶一服シリーズ〉第3作である『花のお江戸で粗茶一服』を刊行。2018年には初の詩集『存在確率–わたしの体積と質量、そして輪郭』(コールサック社)を発表されている。出版社のサイトによると、「芥川賞作家 松村栄子は、本当は詩人だった! 10代、20代に書き綴っていた「言葉の雨」は、芥川賞受賞作『至高聖所(アバトーン)』の深層を明らかにし、この世界に挑む若者たちに生きることの勇気と希望を指し示す」とのこと。あわせて読まない手はない。

 あ、余談になりますが、『僕はかぐや姫/至高聖所』でもう1点とても印象的だったのは「裕生も沙月もあんま男の趣味がよくなくね?」ということでした(「松井の趣味が悪いだけじゃね?」ということでしたら申し訳ありません)。

(松井ゆかり)

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