外資系金融のキャリアを捨て、自ら感じた「疑問」に向き合い“保育業界”で起業――どろんこ会理事長・安永愛香さん

外資系金融のキャリアを捨て、自ら感じた「疑問」に向き合い“保育業界”で起業――どろんこ会理事長・安永愛香さん

少子化対策が叫ばれて久しいが、乳幼児の数は減っているにもかかわらず、保育所に入所できない「待機児童」が大きな社会問題になっている。女性の社会進出をはじめとした、様々なライフスタイルの変化が背景となっているが、そのニーズは年々多様化している。

そんな中で、自身が子供を預けた際に感じた「疑問」に着目し、その経験を活かし、理想の保育園を創るべく起業した女性がいる。社会福祉法人どろんこ会理事長の安永愛香さんだ。

「機会を排除しすぎない」という独自の保育方針のもと、事業を拡大しているどろんこ会グループ。その創業にかけた想いや葛藤について安永さんに聞きました。

プロフィール

安永 愛香(やすなが あいか)

1974年生まれ。東京理科大学工学部卒業後、外資系金融機関へ入行。大学在学中に結婚、新卒で出産。保育業界の課題に直面し、自ら業界を変えようと起業を決意。1998年認可外保育園「メリー★ポピンズ」の開園から、現在では事業所内保育株式会社の日本福祉総合研究所代表取締役 兼 社会福祉法人どろんこ会http://www.doronko.biz/の理事長を務める。大学生の長男と高校生の次男の母。

新卒で外資系金融に就職、同期唯一の“理系学生”

――元々は、外資系金融機関へ就職されていらっしゃいましたが、就職活動はどのような軸でされていましたか。どのような学生生活を送っていましたか。

学生時代はアルバイトをたくさんしていました。「自分で働いて、お金を稼ぐ」ということに、喜びを感じていました。喫茶店など、様々なアルバイトを同時並行で兼務していましたが「働くこと」自体がとても楽しく、充実した毎日でした。両親が自由に使えるお小遣いやお年玉をくれない家庭だったことも関係していると思うのですが、「(働くことは)こんなに楽しいのにお金をもらえるなんて、社会ってすごい!」と。そして現在の夫と知り合い、大学在学中から共に学習塾を経営していました。そのような経験からか、就職活動においては、「この業界じゃないと(だめ)」というこだわりはなく、様々な業界を片っ端から受けていました。どんな業界であっても「そこで、どうやって思考し、どう行動できるか」の方がずっと大事だと思っていたからです。

――学生時代から現在のご活躍の片鱗をのぞかせていますね。そんな学生なら、どんな会社でも受かりそうですが、引っ張りだこだったのではないでしょうか。最終的にはどうして外資金融機関を選びましたか?

いえいえ、実は全く順調ではなかったんですよ。当時は就職に際し、理系・文系や学部による採用枠が明確にあり「工学部」からは採用実績がないといわれてしまうこともあり、書類選考すら通過しないことも沢山ありました。その悔しさが原動力にもなり、なぜ落ちてしまうのか、自分なりに分析をしながらも、めげずに就職活動を継続したところ、後半からようやく結果が出始めて、マスコミや金融機関などで最終面接まで進めるようになりました。そこで結果的には、ご縁のあった外資系金融機関に入社を決めたのですが、冒頭でもお伝えしたとおり「ここじゃないと、私のやりたいことはできない」ということはありませんでした。面接は、今思えば圧迫面接というもので、隣の男子学生が泣かされたりもしていましたが、「ここでは負けられない」という強い気持ちが勝り、何とか切り抜け「内定」を得られました。年功序列の日系企業が多い中、同期内でも差が大きくつくという外資系は魅力的でしたし、3,000名の学生から1名だけ選ばれた理系の学生だったことや、他の同期19名が全員文系だったことなどからも、さらにモチベーションが上がりました。

――そのパワフルさは、華奢な身体からは想像もつかないです!それだけ苦労しながらも、せっかく勝ち取った内定なのに、出産・復職を経て、すぐに退職してしまい、もったいないように思うのですが、会社などからの援助はなかったのですか。そしてそこから、なぜ保育園の開設に至ったのでしょうか?

入社後すぐに出産したこともあり、産後2ヶ月で復職したのですが、新卒がいきなり出産をして社内の託児所を使うというのは前例がないということ、当時はまだまだ働く女性に対して手厚いサポートをしているという会社も多くなく、残念ながら会社の援助は得ることができませんでした。そこで、夜間10時まで託児を行っている保育所を自分で探し、子供を預けながら働いていました。そこで人生の転機となる光景を目の当たりにすることになりました。

「日本中の子どもたち」のために、保育園開設を決意

そこで、安永さんが目にしたのは、お迎えに行くといつも屋内で与えられたおもちゃやビデオで時間を潰しているような我が子の姿だった。「もっと外出させてほしい」とお願いすると、「お散歩は木曜日だけという決まりなので」という「誰が誰のために決めたのか」よくわからない形骸化したルールに縛られた保育と受け身の保育士の姿だったそう。

――そうであれば、ベビーシッターを専属で雇う、他園を探す、転職をするなど他にもたくさんの選択肢があるようにも思えるのですが、どうして保育園開設(起業)だったのですか?

それでは、我が子のことは解決するかもしれないけれど、これから未来を担っていく「日本中の子どもたち」のためにはならない。「保育業界全体を変えなくてはいけない、自らの手で変えたい」という熱い気持ちが先だったんですね。当時はまだ20代で若かったこともありますが(笑)。そして、夫もその想いに共感をしてくれたこともあり、貯金をはたいて駅前に保育園を開設しました。今では、ママ保育士が自分の子どもを預かることはしていませんが、当時園児は2歳の自分の息子だけでした。その後、いろいろな縁や運に恵まれ、軌道にのったところで、自分の子どもは公立の保育園に預けながら、理想の保育園を創ることに夢中で取り組みました。

――自分のお子さんは、他の園に預けられていたんですね…。(他人の子どものために)理想の園を創るというとで、それはそれで葛藤がありそうに思うのですが、いかがでしたか。

それは全くなかったんですよ。むしろ自分の子供が職場にいることのほうが、周りも気を遣ってしまうし、本人にとってもよくないのでは?という声もあって。経営がかなりぎりぎりだった時期は仕方ない時期もありましたが。目指すは、保育業界全体のボトムアップでしたので、我が子に対してどうだとかは、考えませんでした。当時、中学生が小学生を殺傷してしまう痛ましい事件が世間をにぎわせていたことや、学生時代に塾講師として中学生と接した経験などからも、とにかく「未就学児の保育の質の重要性…幼少期に自ら経験し、成功・失敗を通じて学ぶ経験がいかに大切であるか」を肌で感じていたので、業界への課題感も人一倍強く持っていましたし、保育業界の課題解決を通じ、世の中に貢献したいという思いが強かったです。

保育園は、子どもを「預かる」だけではなく「育てる」場所

――保育を「預かる」だけではなく「育てる」場にしていくとHPにもありましたが、そういった志の元に、実践されてきたのですね。どろんこ保育園では、「機会を排除しすぎない」保育をされていますよね。子ども自身が自らやってみて体験すること自体を尊重するということですが、保育士の負担も大きいのではないでしょうか。

そうですね。保育士にとって決して楽ではないことだと思っています。でも大事な子どもたちを「預かる」だけではなくて、やはり「育てる」のですから、保育士も子ども一人一人に「向き合って」行く必要がありますよね。当園の保育士は保育計画を自ら立てます。自身の担当する園児に何が必要なのかを考え、どうしたら実践できるのかを考えます。例えば、普通の保育園では「火」は危ないので、保育時間内に積極的に扱うことはしないと思うのですが、当園ではだめというルールは決めていないんですよ。生きていくうえで、火は必要ですよね。ですから、上手に火と付き合うのはどうしたらいいのか、どうしたらケガをしない?をみんなで一緒に考えながら、そしてどうしたら焚火のできる場所を見つけられるのか、などを考えていきます。

――働く保護者にとっては、なかなかそういった経験までは手が回らないので、とてもありがたいことですし、保育士のみなさんにとっても、非常にやりがいがあるのではないでしょうか。保育業界を変えたいと決意され、20代の前半で起業してから約20年。業界は変わりましたでしょうか。

まだまだ変わっていないですね。まずは自分の会社を理想に近づけるために、走ってきましたが、ここまでくるのに20年かかってしまいました。これまでは多くの子どもたちに質のいい保育を届けたいということで規模を優先してきましたが、今後は質の担保と、それからようやく業界のロールモデルや保育行政・制度の改革など、保育の現場を知る者として、携わっていきたいと思っています。

――若くして起業されたので、理事長といえどもまだ40代前半ですものね。そして、幼児だったお子さんも大学生と、高校生ですね。プライベートな質問となってしまいますが、安永さんご自身は、ご家庭ではどのようなお母さんですか?教育には熱心でしたか?

実は自分の子供には申し訳ないくらい、教育熱心とは程遠いものでした。学校の成績などは、あまり気にかけておらず、口出ししたこともほとんどありません。自分のものは自分で片づけること、挨拶をきちんとすること、その2つだけは厳しく言って聞かせてきましたが…。それでも、子どもたちは進学や進路に際しては、自分で考えて希望先を決めてきました。夫とは同じ会社にいますが以前は資金繰りや人事のことなどで険悪になってしまうこともありましたが(笑)、規模の拡大とともに、仕事の分担がなされていきました。それから、家庭では仕事の話を一切しないんですよ。それは夫婦で決めたというわけではなく、自然とそうなりました。あとは決め事といえば、夕食は手作りをして家族全員で食べる、そのくらいですね。

それから、先日、長男が社会人になる前に、家族全員でアメリカとカナダをすべてキャンプで縦断するという旅行をしてきました。長男は理系ということもあり大学の研究室が忙しいなどと言っていましたが、「あなたを生んだ時から決めていた」と言ったら、なんだかんだやりくりしてついてきてくれました。

――素敵な息子さんですね。親が先回りして、口を出さなくても、子供は育っていくのですね。それもどろんこ会で実践されている「自分で判断して行動する力」につながるものがありますね。 インタビュアー 藤田 彩

早稲田大学卒業。(株)リクルートキャリアをはじめ人材・教育業界を経て上海へ留学。帰国後は外資系企業における採用や、留学生の就職活動をサポートする。出産・育児のため退職し、起業。現在、採用コンサルティング・日本語教師・ライターとして幅広く業務を行う。

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