6歳の少年が見た銃乱射事件『おやすみの歌が消えて』
日々さまざまな犯罪が起きているとはいえ、日本はまだ治安のいい国に分類してもかまわないだろう。それでも、テロや通り魔などによる大量殺傷事件などが起こらないとは限らない。一方で、戦争や銃撃犯などによって多数の死者が発生する状況が頻繁に発生する国というのも存在する。どのような国においても一瞬にして命を断たれることは起こり得るのであり、被害者とその家族の無念は言葉にできないほどのものだと思う。
『おやすみの歌が消えて』の主人公・ザックはニューヨークにほど近い小学校に通う1年生。物語は、彼や担任のラッセル先生やクラスメイトたちが教室のクロゼットに隠れている場面から始まる。学校内に侵入してきた「じゅうげき犯」から隠れるためだ。銃を撃つ「パン パン パン」という音が近づいてくる様子とともに、教師や生徒たちの緊迫した姿が描かれる。たくさんのパンという音がいっせいに鳴り響いた後で救出された彼らは、学校のすぐ裏にある教会へと移動するよう警察から指示された。我が子を引き取るため保護者たちが教会に殺到する中、ザックの母・メリッサも駆けつける。ザックの無事を喜びつつも、メリッサの口からは「お兄ちゃんはどこ?」という問いが発せられた…。本書は、銃乱射事件によって息子(ザックにとっては兄)を奪われた家族の再生の物語である。当然のことながら、大切な一員を失ってザックの家族はみな不安定になる。この小説は全編、6歳の少年からみた事実が彼の言葉で率直に表現されている。私が最も心を打たれたのは、兄・アンディが亡くなったときに初めザックはちょっとうれしいような気持ちになったと明かしたこと。ザックが正直であったからこそ、その後兄の不在に心を痛める彼の心情が読者の胸に迫ってくる。
この本を手に取ったとき、私の心にはいくばくか興味本位な気持ちがあったことは否定しない。それを恥ずかしく思う気持ちもあるけれども、私は銃撃事件を生き抜いた少年の気持ちを知りたかった。彼と彼の家族の気持ちを知りたかった。もし自分がそんな事件の当事者になってしまったらどうしたらいいかわからないから。
家族が亡くなったら、ましてや銃撃事件に巻き込まれてのことだったら、もちろん大人だってつらい。それは当然のことだ。自分の息子たちのうちひとりでも無差別発砲事件によって命を奪われることがあったらと、想像するだけでも発狂しそうになる。だけど、子どもは大人以上に自分の感情にどのように折り合いを付けたらいいのかわからない。ザックは、怒りを制御できなくなったりおねしょをするようになったりするようになった。しかし、彼は父・ジムが称えたように「すばらしい子」だった。つらさと不安に押しつぶされそうになりながらも、自分が愛する人たちのために心を砕き、勇気を持って行動できる少年だったのだ。
物語の最後、ザックたち家族が歩み始めた道にも、苦悩や後悔は待ち受けているだろう。それでも、アンディという存在によって結びついた彼らがともに同じ方向を向いて進み出すことができたのはせめてもの救いであった。このような事件によって傷を負った人々の中には誰とも心を通わせることができずに、ひとすじの光明も見出せないまま絶望の中を生きている人もいるだろう。本書がアメリカで刊行直後から大きな話題を呼び高く評価されたことは、アメリカという国の問題の表れでもあるのではないか。とはいえこの文章の冒頭でも述べたように、こういった事件はもはや対岸の火事ではない。
私たちは常に、自分が被害者になる可能性、家族が被害者になる可能性、そして加害者の側の人間になる可能性を抱えて生きている。それでもザックのように、子どもの心が柔軟で深い傷を負ったとしても立ち直ることができる強さを持っているのは、せめてもの希望であるといえよう。彼が回復へ向かっていく姿をみるのは心から喜ばしいことだった。しかしながら、銃撃事件による傷なんてほんとうだったら背負わなくていいはずのものである。残念なことだが、こうした事件が世の中から完全になくなることはないに違いない。それでも、何事もない世界に少しでも近づけるよう努力していくことは必ずしていかなければならないと思う。アメリカでいえば銃の所持を規制したり、どこの国でも犯罪の芽を未然に摘むことができるような教育システムを確立したり。一般の人間にはそこまで大がかりな活動に携わることは難しいかもしれないが、本書のような小説を読むことが危機意識を持つ一助となればと期待せずにはいられない。
(松井ゆかり)
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