そもそも「できない」と弱みを見せることから、この仕事はスタートしている|株式会社HATCH代表取締役 本間綾一郎さん

そもそも「できない」と弱みを見せることから、この仕事はスタートしている|株式会社HATCH代表取締役 本間綾一郎さん

「何かが足りない…。もっともっと頑張らないと」

「うまくいかないのは自分に欠点があるから?」

仕事をする上で、こうした息苦しさや辛さを感じたことは誰にでもあると思います。そんな時、どのように壁を乗り越えたらいいのでしょうか。この連載では「自分の弱みは、誰かの強み」をテーマに、自分らしく自然体で働く人の働き方ストーリーをリレー形式でお届けします。

今回お話していただいたのは、株式会社Flow代表 鶴園奈美さん(→)からのご紹介で、株式会社HATCH設立者で代表取締役の本間綾一郎さん。

そもそも本間さんの職業である「プロデューサー職」は、「弱み」から始まるといいます。さらに、広告業界の社長でありながら最近育児休暇を取得されたこともあり、自分と周りの働き方や、育休を経て見えてきた世界についてもおうかがいしました。

本間 綾一郎(ほんま・りょういちろう)

1979年生まれ。大阪芸術大学卒。プロデューサー。 TV-CM、グラフィック、WEBなどの広告制作から、 プロモーション、ブランディング、CSR活動などの企画・開発まで、 ジャンルを問わずクリエイティブに特化したプロデュースを行う。2013年、株式会社HATCH(ハッチ)設立、代表取締役。

株式会社HATCH

本間 綾一郎さんフェイスブック

学生時代の挫折経験が今の自分を作っている

―本間さんが映像を中心としたプロデュースをされるきっかけは

1998年に大阪芸大に入学し、映画の勉強を始めました。勉強熱心だったため6年間在学していたのですが(笑)、24歳の時、自主制作していた映画が途中でとん挫し、引きこもってしまいました。その時に様子を見に来た父が訪ねてきて元気を出せと、1万円をくれました。事もあろうに、僕はそれをパチンコで25万円ぐらいに増やして(笑)、ひと月ぐらいヨーロッパを転々としました。見るものすべてが新鮮で、引きこもりで失われていた感覚も戻ってきて。帰国直前、帰りたくないなと思いながら、この旅行で初めてCDでも聞こうとオーディオプレーヤーのスイッチを入れたんです。すると、日本で引きこもっていた時に聞いていた曲の続きが流れてきて…。気が付くと涙がボロボロとこぼれていました。

「日本を離れて生まれ変わった気になっていたけれど、結局、僕は今までの続きを生きている。今の自分からは逃げられないし、逃げるべきじゃない」と思ったんです。そして「やっぱり映像を作りたい、決して映像を作ることをやめない」と心に誓いました。

―ものすごく大きな体験でしたね。

ええ。帰国後、上京してCM制作プロダクションに入りました。激務でしたが、ガムシャラに働いて、そこで映像制作にまつわる筋肉をつけさせてもらいました。「学生時代に未完成で終わった映画のつらい体験を塗り直したい。ここで完成させる技術を習得しよう」とやり抜くことに必死でした。NTT docomoの大規模な年間キャンペーン広告に制作チームとしてフルで携わり、その巨大看板が渋谷の街全体に掲げられた時は、自分の仕事が世の中に大きな影響を与えているという大きな喜びを感じました。

―苦い経験からのブレークスルーですね。

学生のころのあの挫折でボロボロになった骨があったからこそ、そこにつける肉が得られたんじゃないかなと思います。そうでなかったら、ただの「映画好きのオッサン」になっていたと思います。

それから経験を重ねプロデューサーとなり、2013年にプロデューサーズカンパニーのHATCH(ハッチ)を立ち上げました。

弊社はプロデューサーズカンパニーとして5つのディビジョン(部署)があります。映像ディレクター、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイクなどクリエイターのマネジメントをする「SPEC」(→)、海外企業等の日本での撮影コーディネートをする「BENTO LABS」(→)、映画に特化したイベント企画・運営をする「Do it Theater」(→)、クリエイティブスタジオ運営の「THE THARDMAN STUDIO」(→)、あらゆるジャンルの企画・制作プロダクション「Creative Hub Swimmy」(→)。クリエイティブに纏わる多様な事業全般をプロデュースしています。

 

―プロデュース全般というのが斬新ですし、ユニークです。

誰かがやりたいと思う事業から新しいディビジョンが生まれています。例えば、「Do it Theater」は、プロデューサーの伊藤大地が、日本にはほとんどなくなったドライブインシアターを復活させて地域交流を深めることを学生時代の仲間たちと自主制作で始めたことから生まれました。彼は当時、僕に内緒でやっていて(笑)行政から補助金が出て、個人ではハンドリングしきれないなという段階でカミングアウトされたのですが、むしろ僕は応援しようと。どうせやるのであれば事業としてやろうと彼と覚悟を決めました。これは自らの「想いをプロデュースすること」から、変化を恐れず成長していくプロデューサー集団としてのHATCHの原点でもありますね。

「一人では何もできない」を前提に仕事をする

―そろそろ本題です。今回のテーマである「私の弱みは、誰かの強み」として仕事をしたご体験はありますか?

まずプロデューサーという仕事は、自分一人だけでは何もできなくて、そもそも「できない」弱みからスタートしている職種だと思っています。カメラを回せるわけでもなく、タレントさんに演技をつけられるわけでもなく。スタッフが全力を発揮できる環境を作る人。一人ひとりの強みを発見し、目標や指針を示すこと、誰かの強みを結びつけて全体を拡大させる役割の人です。

―正直、プロデューサーというと、絶大な権限や莫大な予算を握っている人というイメージがあります。

たしかに、かつてはお金や権限・権力といったものを持っている人が仕事の中で上に立つ時代で、その中心にプロデューサーがいました。同時に、優秀なクリエーターたちがなかなか実力を発揮できない時代でもありました。今は逆で優秀なクリエーターを中心にして、僕らプロデューサーは彼らをつなぐHUBとしての機能を求めらることが増えてきました。役割の変化ですね。そうしてチーム感を持って作られた作品が世の中に送り出されるという新しい時代が来ていると思います。多くの人にそのことも知っていただきたいですね。

―チーム感をもつために、どのようにコミュニケーションをとっていますか?

僕はクライアントさんとの打ち合わせでは、バラエティ番組の MC になったつもりになって話を聞き、共犯的な第三者として一緒になってワクワクしながら核となるキーワードを引き出していきます。一緒に目指すべきゴールが定めることが大事なんです。それが定まったら「この先迷うことがあったらここに立ち戻りましょう」といえるもの、たとえばコピーや概念、1枚の写真でもいいので、プロジェクトの原点といえる具体的なアウトプットを共有してから仕事を始めるようにしています。

クリエイティブって色々な外的要素でブレてしまう事が多いので、最初に大切なものは何かを明確にするとクリエイターも同じ目線になってくれます。僕は主観的にならず、あくまでクライアントと作り手両方の受け手となってHUBとなり、みんなの力を発揮できるように動く。自分が感じている弱みそのものを大前提にビジネスをしています。

育休取得、強制的に社長業を手放してみて感じたこと

―最近、本間さんご自身が育児休業を取られたとか。

昨年、2番目の子どもが生まれる前後2週間、育児休業を取りました。今回、僕にとっても会社にとっても初めての育休ということで、かなり前から事前に社員にも話をして準備しました。

―社員の反応はどうでしたか。

みんなすごく協力してくれて、仕事の仕組みづくりを意識的にやってくれました。それまではすべてのスタッフと僕がダイレクトにつながる形だったのが、各リーダーがHUBとなり、僕には結果だけが来るようになりました。ちょっと寂しい感じもあるんですけれど、もうHATCHは僕個人のブランドではなくて、コンセプトに基づいたみんなの会社です。育児休業を契機として「強制的な手放し」をした感じでしょうか。

この機会に一人ひとりが変化し続けることに臆病にならず、自立性を促すチームリーダーが育ってくれたことが一番大きかったです。

―育休を経て、何か発見はありましたか。

みんなへの信頼感が高まりましたし、それぞれのリーダーの成長を感じました。そして僕が育休を取るってことは、みんなも必要になったら休暇を取れるというメッセージになったと思います。育休後の出勤初日は社員からおむつタワーをいただいて、「社長がいなくて本当に大変だった」ではなく、まず「おめでとう」と言ってもらえたのが一番嬉しかったですね。

もちろん、育児スキルが上がったことや、子どもとじっくり向き合えた時間も貴重でした。僕としては育休中、家事・育児を全力でやってみましたが、それでも妻がやっていた10%も僕はできてなかったと思います。改めて主婦の大変さを再認識しました。出産前、妻がポストイットに家事・育児の要点を書いて家中に貼っていってくれたのは本当に助かりました。育児休暇は僕一人で成し得たわけではなくて、社員と妻の協力があってこそ、充実した時間にできたんだと思います。

一番印象に残っていることは、僕の育休が終わる夜、娘に「よく頑張ったね。明日ママに会えるね」と声を掛けたら、糸が切れたように泣き始めて。

「ママがいなくてすごく寂しかった。パパとママと赤ちゃんと4人で暮らしたい」。

弱音を吐かなかった娘のこらえていた感情が一気に放たれた瞬間で、いとおしさや切なさで胸が苦しくなりました。

会社に復帰したら、こういった個人的な体験を社員一人ひとりが大事にできるような会社環境作りをしたいと改めて思いました。

「本間さんならどうするだろう」と考えた2週間

ここからは、本間さんが育休時に会社を支えた3名のチームリーダー、福田将己さん、前川達哉さん、伊藤大地さんに社長育休中のリアルをおうかがいします。

―本間さんの育休の間、工夫したことや、皆さん自身の発見などはありましたか。

福田さん:特に問題はなかったですね。2年前、本間さんが骨折で入院した時も乗り切ったので「まぁ大丈夫だろうな」と。育休の間、本間さんに仕事をさせないようにしました。そうでなければ育休を取った意味がないですよね。本間さんがいないことで、僕のコミュニケーションの質が変わってきたように思います。

前川さん:「本間さんが仕事からどこまで離れられるか」と同時に「本間さんと答え合わせをしないで僕自身がどこまでできるか」の実験でもありました。メンバーとの会話やコミュニケーション、「本間さんならどうするだろう?」と。サッカーでいうなら、自分がキーパーの位置までぐっと下がり、「ここで止めなければ!」という気持ちでした。視野を広く、全体の動きを見るようにして。一方で、メンバーとの距離感も密接になりました。「コミュニケーションを少し増やそうね」みたいな話も、力を抜いてできるようになっています。

伊藤さん:2週間はすごく短かったです。この業界は育休も取りにくいのにあえてやったことは、「僕らの仕事でもそういうの、全然できる」と業界内外に勇気を与えたと思います。同業者から「すごいね。社長が育休取っているんだね」とも言ってもらいました。いずれ自分の番が来たら、気負いなく育休を取れると思います。社内の変化としては、幹部同士のコミュニケーションが密になりました。リーダーの1人がベランダで休憩しているとほかのリーダーも自然に集まっていって、そのまま打ち合わせや相談になったこともよくあります。

福田さん:僕らクリエイティブの仕事って「社員から管理職になって現場から退く」みたいなことが全然合わない世界なんですよ。会社という組織の中で、いろんな場面で、そのクリエイティブな要素をいかに取り入れていくかが大事だと思っています。

本間さん:彼らはこれから、プレーイング・マネージャーとしての相乗効果をもっと実感していくと思います。お客様にも良い結果を提供できる。今はしんどいとは思いますが、プレイヤーとマネージャーの両方をやりながら、そして周囲の誰かに甘えることもしながら、一人ひとりが飛躍していってほしいと思います。

伊藤さん:社内や業界に社長の育休が知られるようになったので、あとやりたいことは「育休、やってみます!」の書籍化ですかね。これで社会に浸透させたい。本間さんのフェイスブックは読み物としても面白くて、僕の世代とかではわからないことが結構あって。漫画でもいいかも。

全員:次は書籍化か!(笑)

 

▲(左から)福田さん、前川さん、本間さん、伊藤さん

 

連載一覧はこちら インタビュー・文:野原 晄 撮影:平山 諭

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