仏大統領の帽子をめぐる数奇な物語『ミッテランの帽子』

仏大統領の帽子をめぐる数奇な物語『ミッテランの帽子』

 昨今では北欧や英国や台湾などに取って代わられているのかもしれないが、昔はおしゃれといえばすべてフランスのものといっても過言ではなかった。ロックンロールやハンバーガーなどアメリカンなものへの憧れというのももちろん存在したけれども、フランスのエレガンスを讃美する気持ちはひとつ上のステージのものみたいな感覚だった。世界のファッションの中心はパリ、世の中で最も洗練された人種はパリジェンヌ、最も重きを置くべきなのはエスプリ…という感じ。本書は、そのフランス風の素敵さが十二分に現れた小説といっていいだろう。

 「外国というものにも、日本でいうところの”総理大臣”的な偉い人がいるらしい(彼らは国によって”大統領”とか”首相”とか呼ばれているらしい)」というぼんやりとした知識を手に入れた子どもの頃、初めて「フランスでいちばん偉い人」として認識したのがミッテランだったと思う。タイトルに使われるくらい、ミッテランという政治家の存在は当時のフランス国民にとっても印象的だったといえるのではないだろうか。あとがきによれば、「本作はフランソワ・ミッテランが議会総選挙で大敗した一九八六年に始まる。右派のジャック・シラクが首相に選ばれ(中略)ミッテラン体制は弱体化するが、二年後に行われた一九八八年の大統領選挙にてミッテランはシラクに大差をつけて勝ち、続く総選挙でも勝利を収め、再び絶大な権力を勝ち得る」。歴史の転換期となったのまさにこの時期、本書で書かれている二年間なのである。

 とはいえ、政治的な側面にそれほど明るくなくとも、この物語を楽しむことは可能である。なぜなら、最も大きな役割を果たすのはミッテラン本人ではなく、彼の帽子なのだから。ソジェティック社の財務部の仕事をしているダニエル・メルシエが、とあるレストランで偶然にもフランソワ・ミッテランと隣り合わせたのが物語の発端である。そしてミッテランが外務大臣のロラン・デュマたちとともにレストランを出て行った後、そこに残された彼の帽子がダニエルの手に触れた。そう、ダニエルはその帽子を、店にも警察にも届けることなく自分のものとして持ち帰ってしまったのだ。その後、「ミッテランの帽子」は数奇な運命をたどった。ダニエルから作家志望の若い女性であるファニー・マルカンへ、そして香水の調香師であるピエール・アスランへ…といった具合に、次々と違う人物の所有物となっていく。彼らの元にもたらされたのは、帽子そのものだけではない。彼らの人生を照らす、新しい光をも伴っていたのだ。

 あるアイテムが、さまざまな人々の手を渡っていくことによって起きる騒動を描いた小説というのはけっこうある気がする。私がぱっと思いついたのはバッドエンディングが重なっていく赤川次郎『毒 POISON』だが、『ミッテランの帽子』は幸運が登場人物たちの間に波及していくので読んでいて気持ちが明るくなる。最後には「おお!」と思わせるサプライズもあり、まさにフランスのエスプリを堪能できる一冊といえよう(エスプリの何たるかはよくわかっていないが、たぶん)。現在フランスでは政情的にごたごたしている面もあるようだけれども、文化的な成熟や洒脱さを大切にする心持ちみたいなものはいつまでも失われずにいてほしいと思う。

 さて、帽子によって魔法をかけられたのは著者も同様といえるかもしれない。アントワーヌ・ローランの著書が日本に紹介されたのは本書が初めてとのこと。個人的には、「自分そっくりの18世紀の人物画を手に入れたコレクターをめぐる小説『行けるなら別の場所で』」というデビュー作が気になっている。

(松井ゆかり)

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