血が滾る冒険小説『拳銃使いの娘』

血が滾る冒険小説『拳銃使いの娘』

 血が滾る、としか言いようのない小説である。

 信頼と愛情、そして闘争心と勇気。

 ジョーダン・ハーパー『拳銃使いの娘』は、それらがいっぱいに詰まった冒険小説だ。物語の造りはいたって単純。生き延びるために闘って、闘って、闘う。卑劣なやつは、獲物が弱ければ弱いほど悦び、残虐になる。だから強くなる。強くなって、強くなって、舐めてかかってくるやつを打ち負かす。そういう話だ。

 主人公は11歳の少女、ポリー。周囲になじめず、クラスの者からは侮蔑の対象にされている。あたしは金星から来たんだ。ポリーは自分のことをそう思うことにしている。金星から来たんだから、みんなと違っていてもしかたない。彼女が心を許すのは、バックパックに入れていつも持ち歩いている熊だけだ。何かあれば熊に話す。熊はポリーの心を読んだかのように、世間に疑問符をつきつけ、身震いをし、怒ってくれる。もちろん熊が本物ではないことぐらいポリーは承知している。本物じゃない熊のいちばんいいところは、絶対に自分を置いていかないことだ。だからポリーはいつも熊と一緒にいる。

 ある日、下校途中の彼女の前に、刑務所にいるはずの父親、ネイト・マクラスキーが現れる。盗んだ車に乗って。そして有無を言わせずにポリーを連れ去る。ネイトとポリー、その母親で自分の別れた妻のエイヴィスに危険が迫っているからだ。ポリーにはそんな事情はわからない。母親から「悪いひと」と聞かされ続けた父親にさらわれたという事実に驚き、怯え、ただ身を固くして熊を抱いているしかない。

 その危険の正体は白人優位主義者の犯罪組織〈アーリアン・スティール〉だ。刑務所の中でネイトは、ある揉め事を起こした。そのために組織は、彼とその一族を皆殺しにする指令を出したのだ。〈アーリアン・スティール〉の息がかかった者たちが次々に彼らを狙ってくる。もうネイトは、歩くゾンビでしかない。現に彼がポリーが暮らす家で見たものは、エイヴィスと彼女の現在の夫、トムの変わり果てた姿だった。ネイトにできるのは娘を連れて逃げることだけだ。

—-この子にとって安全な場所がどこにもないなら、自分と一緒にいさせるしかなかった。橋が崩れるとしたら、ふたり一緒に転落するのだ。それ以外にこの子に何をあたえてやれるのか、ネイトにはわからなかった。

 もちろん逃げ回ってばかりではない。ネイトは強大な犯罪組織に立ち向かう手段を考え着く。第二部「子連れ……」で描かれるその作戦の詳細については書かないが、リチャード・スタークの〈悪党パーカー〉シリーズ第三作『犯罪組織』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を連想した、とだけ書いておこう。一匹狼の犯罪者パーカーが自分を狩ろうとする組織〈アウトフィット〉と対抗していくという内容の小説だ。最高の犯罪小説だから、気になる人は図書館で探して読むこと。その闘いの中で、ネイトとポリーの関係も変化していく。主にポリーが変化していく。ネイトから、生き延びるために必要な技と精神を伝授されるのだ。髪を切って赤く染めた彼女は、もはやあの金星から来た少女ではない。父と同じ目をした、拳銃使いの娘になっていくのだ。

 短く刻むような文体にテンポのいい章の転換、切実な心情を硬質な表現に閉じ込め、半透明のガラスから覗かせるようにして読者にそれを示す。初めは恐怖の対象でしかなかったネイトに対してポリーが心を開き「父さん」と呼びかける瞬間、娘のために彼があることを決意する場面は決して大袈裟ではない言葉で綴られているが、彼らの心情は鋭敏な楔になって読者の脳裏に刻み込まれる。たまらない疾走感の中にときどき空を見上げて心を解放するような箇所があり、パノラマのように視野が開けて父娘のちっぽけな後ろ姿と世界の巨大さとが対比される。その構図がまた胸を打つのだ。

 全体は四部構成に幕間劇と呼ばれる断章の塊が一つ挿入される構成になっている。作者のジョーダン・ハーパーは「メンタリスト」「ゴッサム」などのドラマ脚本で腕を磨いた人物で、本書が小説家としてのデビュー作であり、アメリカ探偵作家クラブ賞の最優秀新人賞も獲得した。新人の作品ということで粗削りな部分もあるが(特に第三部)、そうしたことは小さな瑕に過ぎない。父と娘の物語なのであり、二人がいかに心を通わせていくかを描くことに主眼が置かれているのだから。脚本家出身だということもあり、物語に起伏をつける技術は卓越している。幸せな瞬間は長く続かず、すぐに不幸の予兆が訪れる、という展開とか。読者が最も期待している場面はあえてそのまま見せずに肩透かしをくらわせる、という作りとか。

 堺三保解説の孫引きになるが、ハーパーは『子連れ狼』や『レオン』『ペーパー・ムーン』などの大人と子供のペアが主人公になる犯罪ドラマから影響を受けているという。なるほど、ネイトはジャン・レノかつライアン・オニールであり、ポリーはナタリー・ポートマンとテイタム・オニールであるわけか(どちらかといえばテイタム・オニール成分多め)。そしてコンビで冥府魔道に突き進んでいくわけだ。

「ペーパー・ムーン」の有名な主題歌It’s Only a Paper Moonは「それは紙で出来た(偽りの)月だけど」という唄い出しで始まる。モーゼ(ライアン・オニール)とアディ(テイタム・オニール)の血のつながっていない二人が、本物の親子みたいになっていくことがその歌詞で暗示されているわけなのだけど、「本物じゃなくても真実だから」という部分は本書ではポリーが抱く熊に象徴化されているのである。親子の話だけど友情や信頼の物語と読み替えることも可能なのは、元からの関係ではあるが、二人が父であること、娘であることをそれぞれ選び取り、相手にも認めさせるという過程がきちんと書かれているからである。

 親子に。いずれ親になるかもしれない読者に。そして親であること、子であることについてしばらく思いを馳せていなかったと感じる人に。ぜひお薦めしたい。できれば、親子の関係のことなどもう考えたくないと感じている方にも。

(杉江松恋)

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