いつかの私たちのことを描くアリス・マンロー『ピアノ・レッスン』
人生にはさまざまな瞬間がある。”これはめったにない経験でいつまでも覚えているだろう”と思うような瞬間はたまにある(子どもを出産したときや親を亡くしたときなど)。また、記憶に残るか残らないかなどということを考えもしないような、ただ過ぎていくように思われるだけの瞬間(人生は概ねこれの積み重ねであろう)。そして、そのときにはなんとも思わず特筆すべき事件でもなかったのに、後になってふと思い出される瞬間だ(例えば、私が小学生だったときの授業参観に母が着てきたワンピースは水色より紺か赤の方が似合うのにと思ったことや、高校の世界史の時間に先生の板書を見た同級生が「『アウランパヤー朝』ではなくて、『アラウンパヤー朝』ではないですか?」と誤りを指摘したことなど。なんでこんな記憶をいつまでも覚えているのか。ちなみにアラウンパヤー朝とは、現在はミャンマーであるところのビルマ最後の王朝の名前)。アリス・マンローに、とりわけ「ただ過ぎていくように思われるだけの瞬間」「後になってふと思い出される瞬間」を書かせたら、右に出る作家はそうはいないと思う。まあ、マンローはアラウンパヤー朝のことは書かないだろうとしても。
本書は15編が収録された、後のノーベル賞作家・マンローのデビュー短編集だ(異なる作品中に、同名の登場人物や同じ名前の町が出てくるものがあるが、それらがリンクしているのか確証は持てなかった)。いわゆる”きれいにオチがついた”的な作品はほぼないといっていいだろう。それどころか、尻切れトンボとさえいえるものも少なくない。それでも、私は作家の技量についてどうこう批評できるほどの人材ではないけれども、マンローはデビュー当時から完成されていた作家であったと言わざるを得ない。
あとがきによれば、「ユトレヒト講和条約」という短編は「マンローにとって画期的な作品」だという。母が亡くなった後ひとりになった自身の父と当時の夫の両親を、マンローが子連れで訪問したことがきっかけとなったようだ。「それまでのいわば「書く訓練」を積むためのものとは違い、書かずにはいられない思いで書いた初めての作品で、自身のことをこういう形で題材にできたのはこれが最初だった」とのこと。「ユトレヒト講和条約」における主人公・ヘレンはマンロー自身をモデルにしたと思われる人物で、実家にかれこれ3週間ほど滞在していることがモノローグによって明らかになるのが物語の冒頭。実家では亡き母がヘレンの姉・マディーと暮らしていたのだが、娘たちから「わたしたちの暗黒の母(ゴシック・マザー)」とあだ名されるような、おそらく精神的な不安定さを伴う病を患っていた母親だったことが示唆される。ヘレンとマディーはそれぞれ大学を出ており、まずマディーが4年間、その後にヘレンが4年間の自由を得た。しかし、ヘレンは結婚によって実家を離れ、自分だけが解放されたことに負い目を感じていたことなども明かされる。何より圧巻なのは、決して声高に語られるわけではないのに、登場人物たちの心情を自然に浮かび上がらせる描写だ。ヘレンとマディーの会話、あるいはヘレンとふたりのおば(ヘレンの母も彼女らを「おばさん」と呼んでいたようだから正確には大おば?)の会話を読むと、ほんとうは言いたいことがあるのに気が引けて核心を突けない感じが、自分が当事者であるかのように胸に迫ってくる。ああそうだ、私たちはこんな風に生きてきた、こんな場面に何度も遭遇してきたのだと。
他の作品に描かれているのも、いつかの私たちのことだ。マンローは、国籍も年代も違う、会ったこともないあなたや私の心を知っているかのように物語を紡ぐ。彼女の小説は読者に幸福な記憶を思い出させるだけでなく、時に傷をえぐられるような痛みをもたらすこともあるけれど、その痛みに苦しむのは自分だけではないと思わせてもくれるのだ。
(松井ゆかり)
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