ベテランから新人まで個性豊かな書き下ろしアンソロジー
もう何度も書いていることだが、ここ数年の日本SFは空前の収穫期にあって、ベテランから俊英まで多くの才能が質の高い作品を送りだしている。惜しむらくは本来の受け皿たるべきSF専門誌が隔月刊の〈SFマガジン〉しかなく、しかも連載中心になってしまっていることだ。一般誌やWebなどSFを受けいれる媒体は以前より広がっているものの、ジャンルの求心力となる場が圧倒的に少ない。
そんな状況のなか、書き下ろしを集めたアンソロジー・シリーズの《NOVA》がこうして復活し、しかも「2019年春号」という雑誌的な表記をつけていることを大いに歓迎したい。ある程度は定期的に刊行されるということだろう。東京創元社でも同様のアンソロジー・シリーズ《Genesis》の第一巻がもうすぐ刊行される。これらが、新しい日本SFのコアを担ってほしいと切実に願う。
『NOVA 2019年春号』に収録されているのは十篇。
巻頭を飾る新井素子、巻末の宮部みゆき、飛浩隆、ベテラン三人の作品がすべて、いまの日本で深刻化している社会的歪みを題材にしているのが目を引く。
新井素子「やおよろず神様承ります」は、家事・介護・育児・近所づきあいなど複数のタスクを負わされながら社会的にはまったく評価されない専業主婦、三十九歳の須田由里が語り手。精神的にいっぱいいっぱいになっているところに、「よろず宗教承ります」を標榜する宗教の勧誘がやってくる。特定の神ではなく、その家庭ごとにふさわしい神を見つくろって紹介するという。こういうはじまりならば奇想小説を予想するところだが、あにはからんや、そのあとの進行はきわめて日常的だ。伝統的なSFのコードではないが、勧誘をしている娘、山瀬メイの動機と、その話にうかうかと乗ってしまう由里の性格は、新井作品ならでは。
宮部みゆき「母の法律」は、親権を国家が管理する「マザー法」が施行された近未来が舞台だ。この法律によって、虐待児はグランドホームでケアされ、虐待の記憶を「沈殿」させたのち、適正な里親のマッチングをおこなう。語り手の二葉は、血のつながらない姉の一美、同じく兄の翔とともに、里親の元で幸せに暮らしていた。三人ともマザー法で救われた子どもだ。しかし、義母が亡くなったことにより、成人に達していない二葉と一美は施設(グランドホーム)へ戻ることになる。これもマザー法で定められていることだ。しかし、家族の絆が壊れるわけではない。行きとどいた設計がされているように思えるマザー法だが、世の中にはこの法に反対する者もおり、血のつながらない家族への偏見も残っている。たまたま二葉を生んだ生物学上の母を知っている人物がおり、自分なりの善意でその情報を二葉に伝えてしまう。明らかに「マザー法」違反だが、人間関係のしがらみもあって二葉はそれを告発できない。その板挟みのなか、「沈殿」されているはずの記憶が揺さぶらされはじめる。
飛浩隆「流下の日」は、ふたつの物語が平行して語られる。ひとつは、過去の恩人を見舞うため、復活したローカル線に乗った語り手の物語だ。もうひとつは、「なかよし家族」なる思想のもとに社会保障制度を収斂させ、生体内コンピューティング技術〈切目(きりめ)〉と、生体成形技術〈塵輪(じんりん)〉を駆使して産業構造を変革した長期政権の物語である。いっぽうでのどかな山村の風景や穏やかな人間のつながりが描かれ、もういっぽうで安定した社会システムの実現が描かれる。しかし、そのふたつの物語が合流したとき、いっけんユートピアに見える日本が、じつは妄執的な管理主義にがんじがらめになったディストピアであることが露呈し、語り手自身も知らなかった彼の役割が明らかになる。物語の終盤、真相が二転三転する展開がみごとだ。
そのほかの作品も、作家の個性がはっきりあらわれた力作ぞろいだ。
小川哲「七十人の翻訳者たち」は、(1)古代アレキサンドリアでおこなわれたヘブライ語聖書のギリシャ語翻訳の顛末と、(2)未来における新発見資料「メンフィス日誌」の物語ゲノム解析学による解釈—-これらが交互に語られ、その挟み撃ちで聖書の起源へ接近していく。メタフィジカルに時空が円環してしまう、ボルヘスが生きていたら大喜びしそうな小説だ。
佐藤究「ジェリーウォーカー」は、躊躇なくアクセルを踏んだモンスターSF。クリーチャー造型家として映画界に名を馳せたピート・スタニックの秘密は、〈キメラ禁止法〉を無視して地下室でおこなっていた忌まわしい実験にあった。畳みこむようなスペクタクルシーンの連続で、このまま映画化してほしい。
柞刈湯葉「まず牛を球とします。」は、工業的に牛肉を製造する技術が確立された未来の物語。軽いアイデアSFだと思って読み進めると、人間性の根幹に関わるようなテーマが浮かびあがってくる。随所に科学技術的蘊蓄や文明論的な叙述が織りこまれているところは小松左京ばりだが、シニカルな語り口は現代のネット文化風だ。
赤野工作「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」は、ゲームプレイヤー同士の因縁の対決を描く。対戦戦闘型ゲームでは一フレーム(六十分の一秒)の差が勝敗を分ける。そこに徹底してこだわりながら、五十年ぶりに再戦をする相手に饒舌に語りかける執着がおかしい。
小林泰三「クラリッサ殺し」は、バーチャルゲームになった『レンズマン』を体験中の女子高校生が殺人事件に遭遇する。古式ゆかしいスペースオペラと、サバサバした現代高校生の感覚とのミスマッチが絶妙。いちおうミステリ仕立てではあるが、事件は迷宮入りどころかメタ構造入りになったあげく、とびきりトリッキィな謎解き(?)に逢着する。
高島雄哉「キャット・ポイント」は、猫を題材とした超論理奇想小説。街猫や看板猫はなぜひとの目を引きつけるのかという発想から、〈キャット・ポイント〉なる場を過程して、斬新な広告プロジェクトがはじまる。軽快なタッチであれよあれよというまに不条理感漂う結末へ。
片瀬二郎「お行儀ねこちゃん」も、猫が題材。主人公の圭一は、出張中の同居人から飼猫ラスコルニコフを預かったが、世話が雑だったせいか死んでしまった。窮余の策として、アプリと連動した猫をしつける装置「お行儀ねこちゃん」を導入。試してみると、猫は死んだままだが指示したとおりに動く。調子に乗って、啼かせてみたり躍らせてみたりその様子を投稿サイトにアップしてみたりしているうちに……。ブラックユーモアというよりバカバカしい面白さだが、全篇を貫くトボけた味がなんとも秀逸。
というわけで、新しい《NOVA》が順調な滑り出し。プロデビューしている小説家を対象に投稿を受けつけており、作品コンペも実施する(こんかいの猫テーマ二篇もそうした応募作)とのことなので、書き手にとっても注目の媒体といってよかろう。
(牧眞司)
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