チョコでつながる友情と成長の物語〜藤野恵美『ショコラティエ』
終戦直後の「ギブミーチョコレート」の時代から、日本人にとってチョコレートは特別なお菓子であり続けてきたのではないかと思う。たとえばバレンタイン、お菓子メーカーの商戦が功を奏した結果とはいえ、ものがチョコレートだったからこそこれだけ普及したのではないだろうか。素材として美味であるのはもちろん、風味や他の食材と会わせてのバリエーションも豊富、見た目の工夫もしやすい。
本書にはチョコレートに魅了された登場人物が何人も出てくる。主人公である羽野聖太郎と大宮光博は、もちろんそのうちのふたりである。『ショコラティエ』は、彼らの友情小説かつ成長小説かつチョコレート小説(そんなジャンルがあるのか)なのだ。聖太郎は父親を亡くしたばかりで、敬虔なクリスチャンである母親とふたりで暮らしている。光博は大宮製菓の御曹司で、お城のような豪邸に住み欲しいものは何でも買ってもらえるらしいと噂されている。ふたりは小学4年生のとき、クラスメイトとして出会った。彼らが初めて親しく言葉を交わすようになったのは、光博が聖太郎を誕生日会に誘ったのがきっかけ(光博は義務的にクラスメイト全員に招待状を配ったようだが、同じく富裕な家の子どもで取り巻きに囲まれているアキラがクラスの男子たちに「行くな」と命令したため、参加者はごくわずかだった)。
聖太郎が親しいわけでもない光博の誕生日会への参加を決めたのは、母親を安心させたいという気持ちからだった。半年前に父親が交通事故で亡くなった後、強い信仰に支えられて立ち直りをみせている母親と、同じように教会に通う身でありながら聖太郎は悲しみを分かち合うことができずにいた。それでも母親を悲しませたくないという思いも強くあり、じぶんは元気になりつつあるのだと示したかったのだ。しかしながらいざ来てみると催されているのは、主役に寄り添う両親の姿も見当たらず、参加したクラスメイトたちの中にも特に光博と親しい者もいない誕生日会。そんな盛り上がらない場において、大宮製菓の創業者である祖父の源二に対してのみ、光博は唯一うれしそうな様子を見せた。その源二が誕生日会のために用意した数々のデザートの中でも、とりわけチョコレートフォンデュに心を奪われる聖太郎。
光博は源二に気に入られた聖太郎を意識するようになり、ふたりは親しくなる。放課後は光博の家で、主にお菓子作り(実験に近い)をして遊ぶようになった。小学校卒業後、聖太郎は地元の公立中学、光博は中高一貫の私立校に通うようになるが、彼らの交流は続いた。そんなある日、聖太郎は光博から幼なじみが出場するピアノのコンクールに一緒に行こうと誘われる。凜々花のピアノ、そして彼女自身の魅力に、強く引きつけられる聖太郎。しかし、光博や凜々花と親しくなればなるほど、自分の家庭環境との違いを意識させられるようになる。一方光博の方でも、聖太郎に対して複雑な感情を抱いていた。そしてあるできごとから、ふたりは疎遠になってしまい…。
みんな孤独なのだ。ショコラティエを目指してひたすら修行を続ける聖太郎も、自分には才能も目標もないと何事にも意欲的になれない光博も、また、迷いながらもピアノから離れることができなかった凜々花も。でも孤独であるからこそ、自分の求めるものを追いかけることもできるし、他者の気持ちに寄り添えることもある。”ぼっち”はよくないことと決めつけるような風潮も根強くあるが、ひとりになるのを恐れない姿勢こそ必要ではないだろうか。夢に向かって邁進するひたむきさや自分が正しいと思ったことを貫き通す意志(ひとりよがりとは違う)を持って孤高の道を行く者が、温かく受け入れられる世の中であってほしいと願う。
聖太郎と光博の友情が育まれたのも、孤独な魂同士が結びついたからだといえるだろう。母ひとり子ひとりのつましい暮らしの聖太郎と、裕福な家庭で何不自由なく育てられた光博では、家庭環境においては大きな違いがある。しかし、親とほんとうにはわかり合えないという思いは共通しており、そんな風に思うことがずっと彼ら自身を苦しめてきた。聖太郎は母親が支えとするキリスト教の教えを信じ切れない自分を受け入れられず、光博は母親より祖父に懐いている自分と両親の間に隔たりがあると感じている。それでも、一進一退ではあるものの親子の心が通じつつある場面も書かれていることには、やはり救われる気がした。
藤野恵美さんは、当コーナーの第1回で『初恋料理教室』を取り上げさせていただいた、個人的にも思い出深い作家。『初恋料理教室』のときにも思ったことですが、食べ物の描写にもとても食欲をそそられました。個人サイトも、「Write, Read, and Eat!」だそうで!
(松井ゆかり)
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