僕には「ふるさと」がない。でも、それを強みとして活かしたい。――株式会社さとゆめ代表取締役社長・嶋田氏が描く“地方の未来”

僕には「ふるさと」がない。でも、それを強みとして活かしたい。――株式会社さとゆめ代表取締役社長・嶋田氏が描く“地方の未来”

人口が年々減少していく中、都市部への人口集中なども重なり、「地方創生」は今、日本が抱える課題の一つです。施策が一時的なプロジェクトで終わることなく、継続的な地域の発展につながっている案件は、どれほどあるのでしょうか。また、私たちが地方創生に関わりたいと思ったとき、どういった行動をとることができるのでしょうか。

今回は、ふるさとの美しい風景を守りたいという思いから、「株式会社さとゆめ」を設立した代表取締役社長の嶋田氏に地域づくりの仕事に就いたきっかけと、これからの地方創生のあり方についてうかがいます。

プロフィール

嶋田俊平(しまだ しゅんぺい)

株式会社さとゆめ 代表取締役社長

京都大学大学院農学研究科終了後、環境専門コンサルタント・シンクタンクに入社。地域資源を活用したコミュニティ・ビジネスの事業計画立案、地域の森林利用・保全計画の策定支援、農山村をフィールドにした企業のCSR活動の企画立案等に従事。2013年5月。株式会社さとゆめを創業。道の駅やアンテナショップのプロデュース、商品開発・プロモーション、地域振興のビジョン策定など幅広い事業領域で地域を支援。これまでに関わった地域は30を超える。

美しい風景は、自分たちの手で守らなくてはならない

―嶋田さんが「地方創生」の仕事に就こうと思ったきっかけはなんだったんですか?

ふるさとのきれいな風景は、自分たちで守らなければ、そのままの姿を残すことはできないと身をもって経験したからです。

大学生のとき、林業の研究をしていた僕は、森の育て方を学ぼうと、森作りのボランティアサークルを立ち上げました。大学のある京都の「雲ヶ畑(くもがはた)」という集落に、6年間通っていたんです。鴨川の源流が流れる雲ケ畑の風景は本当に美しく、一生ここに住み続けられたらいいなぁ…と思いながら毎週のように通っていました。

実は、父の仕事の関係で、幼少期はタイに4年、インドに5年と長期間海外に住んでいたので、ずっと「日本には自分のふるさとがない」というのがコンプレックスになっていたんです。そういう思いもあって、雲ケ畑を僕の「ふるさと」にしようと思っていました。

大学時代6年間通っていた雲ヶ畑集落。鴨川の源流が流れる京都北山の山間にある地域

かつて雲ヶ畑を含む京都市北部は北山林業と言って、和室の床柱を作る林業が盛んな地域だったのですが、和室が減り、床柱が売れなくなると、みるみるうちに林業が衰退していきました。木が売れないと、山を売る人が出てきます。そして、そのうち売られてしまった土地に産業廃棄物置き場ができ始めたんです。

衝撃を受けながらも、当時の僕は、雲ヶ畑に産業廃棄物置き場ができる様子をただ見ていることしかできませんでした。山を売った方々の気持ちも痛いほどわかりますし、売られてしまった土地に何ができようが抗議することもできない。無力さを感じつつも、「美しい風景は、自分たちで守らなければなくなってしまう。ならば、日本の美しい風景を未来へ残せる力を身に付けたい」 と考えるようになり、大学卒業後、地域活性化・環境保全のコンサルティング会社で地域活性化コンサルタントとして働き始めました。

自分が作った計画は、最初の1%に過ぎなかった

―一生住み続けたいと思えるほど大好きだった場所の自然が壊され、姿を変えてしまう…。そのときの何もできなかった経験が嶋田さんの地域活性にかける使命感につながっているんですね。

卒業後入社された前職の会社でも地域活性事業に関わっていたそうですが、自分で起業されたのはなぜですか?

前職の会社では、地域振興・観光保全の行政計画の立案や、コミュニティ・ビジネスの事業計画立案の仕事をしていました。ただ、3年5年経っても、自分が計画した施策がなかなか実現しないということが少なくありませんでした。

計画書をつくって、地域に渡しても、農業や林業、水産業を営んできた人たちに、計画を実現するだけの経験やノウハウ、スキル、ネットワークが必ずしもあるわけではない。だから、どう実行したらいいのかわからず、実行できないことが多かったんです。結局、計画をつくるのは最初の1%に過ぎず、残りの99%は実行にあるということを痛感しました。そこをサポートできなければ地域活性は成し遂げられないと気づいたんです。

そこで、5年、10年と長期的に地域に関わり続け、地域活性へ向けて伴走するコンサルティング会社が必要だと感じました。

「地域活性化コンサルタント」と名乗るなら、実際に地域活性化を達成するところまで地域に「伴走する」会社を作りたい。そう思って「さとゆめ」を作りました。

―「地方創生」にかける強い思いを感じます。「日本にふるさとが欲しかった」ことが起因していると思うのですが、「地方創生」を実現したいと思ったときに、ひとつの地域に限定することなく、「さとゆめ」として、日本のあらゆる地域で伴走したい理由はなんでしょうか?

嶋田;自分が「ふるさとだ」と思える場所っていくつあってもいいと思うんです。実際に、僕は日本にふるさとがない。でも、「さとゆめ」を通して出会った地域は、すべて自分のふるさとだといえる場所にしたいと思っています。

また、「自分にふるさとがない」という事実は僕の強みにつながっています。幼少期から海外で暮らしていたことで「日本の魅力を俯瞰してみる」ことができるんです。実際、海外にいるときから「日本には四季があり、神社や寺などの文化も残っている、食べ物もおいしく、勤勉で親切な国民性もすばらしい」という話を、当時住んでいた国の友人や家族を通して常々聞いていました。

だから、日本はすばらしい国だという意識が僕の中に常にあったんです。しかし、当の日本人は、自分たちの国のすばらしさを自覚していない人が多いんですよね。

地域づくりでも同じことがいえます。自分たちの住んでいる地域の本当の魅力に気付かずに、便利さだけを優先した結果、豊かな自然や地域の文化が壊されていく。だから僕は、「外からの視点」を活かし、それぞれの地域のいいところを見極め、それを魅力としてアピールしていきたいと考えています。

これからは複数の地域にかかわりを持ちながら暮らす時代

―地域のこれからを考えたいと思った時、私たちができることって何でしょうか?

これからは、ひとつの地域だけではなくて、いろいろな地域とかかわりながら暮らす時代になると思います。都会で暮らしつつ、週末だけ地域に通うとか、ボランティアとして地域の活動を支援したり、副業で地域の仕事にチャレンジすることもできます。

地方創生というのは、ひとつの正攻法があるわけではなくて、地域の人たちと一緒に「動いている」ことが大事なんです。動きのある地域には、おもしろそうだと人が集まってきたり、移住する人も増えてきます。東京で暮らしながら、地域と関わる人が増えると、地域に「動き」が生まれ、地域がどんどん盛り上がっていきます。

観光で田舎に行くにしても、行くだけではなく、できれば地域の人たちと交流して欲しいです。関心のある地域の方とSNSでつながってみるものいいかもしれません。そうやって地域の人たちと深いかかわりを持つことで、第二のふるさとと思える場所ができるかもしれません。

日本の人口はこれからますます減っていくので、それを取り合ってもしょうがない。みんながいろいろな地域とかかわりを持つことで、人生も豊かになるし、地域にも活気が出ます。

さとゆめでは、これからもたくさんの人が地域に興味を持つきっかけを提供していきたいと思います。

※7月23日(月)掲載予定 文:まきだ まどか 撮影:平山 諭

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