前歯2本欠け重症。ノストラダムスを真に受け留年…お笑い芸人【三四郎】一度でも笑いでウケたらそれに勝る喜びはない!

前歯2本欠け重症。ノストラダムスを真に受け留年…お笑い芸人【三四郎】一度でも笑いでウケたらそれに勝る喜びはない! 鉄板の滑舌ネタなどで「M-1グランプリ」準決勝に進出した爆笑漫才をはじめ、テレビの冠番組やライブ、CM、さらにはラジオ「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」など、多方面で活躍。ゴールデンタイムの人気お笑い番組への出演も続々と増えている。今、人気上昇中なのが、お笑いコンビ「三四郎」だ。立ち位置向かって左のツッコミ・ネタ作り担当の小宮浩信と、右のボケ担当の相田周二の2人のコンビは結成14年目。長い下積みを経て、彼らはなぜ30代で大きく花開くことができたのか。左:小宮浩信 右:相田周二

 

ノストラダムスの大予言を信じていた

――まずは、コンビ結成のきっかけから教えてください。

小宮:僕らは成城学園の中学、高校の同級生なんですよ。昔からお笑い好きで、ダウンタウンさんのパロディとかみんなの前でやったりしていて。

相田:古畑任三郎のモノマネとかね。

小宮:それで、高校2年のとき、文化祭で漫才をやったらけっこうウケて、コンビでやらないか、と僕から誘ったんです。

相田:お笑いをやりたかったんだけど、きっかけがなかった。それで文化祭で、知っている人を前に、ですけど、やってみたらウケた。じゃあ、2人でやろう、と。それくらい、文化祭でウケたのはうれしかったし、手応えがあったんです。

小宮:いつも先生に怒られてばかりだったのに、唯一、褒められたんですよ(笑)。

 

――でも、相田さんは大学まで進まれますよね。

相田:小宮が高校で1年留年して、卒業も1年遅れたからです。

小宮:ノストラダムスの大予言を信じていて、どうせ人類は滅亡するんだから、勉強するのは無駄だと思って、本当に何もやらなかったんです。そうしたら、何も起きなかった(笑)。

相田:僕は、母親からも大学は行っておきなさい、と言われて、他にやりたいことがあるわけでもないし、行こうかな、と。それで1年行って、そのころ小宮は高校を卒業するんですが、そこから1年、お笑いの養成所に入るためにバイトでお金を貯めないといけなかったんですよね。それで3年のときに養成所に通いながら大学にも行って卒業しました。

 

――いきなりお笑いの世界に入ることに、不安はなかったんですか。

小宮:不安でしたけど、まだ20歳で若かったですし。考えていたのは、漠然と売れてやる、みたいな感じでしたよね。どう売れるかなんて、イメージはなかった。

相田:「M-1グランプリ」に出てみたい、とかですね。ちょうどアンタッチャブルさんが優勝したころです。養成所には家から通えるという点も大きかった。

 

――養成所はライバルもいて強烈だったんじゃないですか。

小宮:地方から出てきたりしていて、「実家から通ってるの?」なんて言われて、僕らよりも覚悟があるんだな、と思ったんですが、すぐにやめていきましたね(笑)。覚悟はこっちのほうがあった。

相田:入る人がどんどん増えていたみたいで、80人くらいいました。それでも吉本興業の養成所に比べれば、ぜんぜん数は少ないですけど。

小宮:お笑いも僕らのほうが面白かったと思っています(思いたかったともいいますが)。やっぱり人と接する量が違ったと思う。

相田:僕らが暮らしていたところには、いろんな世界の人がいましたから。学校にはタレントや大会社の子どもとかも多かったですし。

小宮:実際、話もあまり合わなかったですね。半年後にライブがあったんですが、上位の成績が取れて、自信が出ました。

お客さんが会場に1人だけだったことも

――でも、養成所を辞めた理由は。

小宮:途中でやめました。もし、そのまま続けて事務所に入っていたら、売れなかったと思います。養成所のライブで1位を取っても、小さな世界だと思っていました。それこそ、吉本興業の養成所と対決したら、勝てるのか、と思いました。

相田:それで2年くらい、フリーでお笑いをやりました。イベントの主催者にお金を払って、ライブに出させてもらう。そうすると、養成所にはいなかったようなメチャクチャな人たちがたくさんいるわけです。でも、ウケていて。こんな人もいるんだ、と衝撃でした。

僕らは、当たり障りのない漫才をやっていた。成績は良かったんですけど、記憶に残らない。それより、メチャクチャな人たちのほうが面白かった。フリーになって、それがよくわかりました

小宮:オーソドックスである程度は面白かったかもしれないけど、個性がなかった。もっと個性を出さないとダメだ、と思いましたね。

 

――ただ、会場がとんでもないところだったりして、大変だったそうですね

小宮:お客さんが1人、なんてこともありましたね(笑)。小屋みたいな会場とか。びっくりの照明もあった。会場は真っ暗なんですが、舞台に出るときに天井の蛍光灯がつくんです(笑)。

相田:ネットでお笑いライブを探して申し込んで。1回3000円くらい出演者が払う。そういう仕組みで。

小宮:でも、こんなところで、なんてことは思いませんでした。それより、出演している芸人さんを笑わせられないかと思って。

相田:だから、舞台のソデで見てくれて、面白い、と言ってくれる芸人さんが増えていったんです。これは自信になりましたね。

 

――じゃあ、びっしりバイトしながら、とかですか。

小宮:いやいや、バイトはちょこっとですよ。そうでないと、舞台に立つのがおろそかになってしまいますから。月に30はライブに出ていました。

考えていたのは、目の前のことだけでした。例えば、ライブで評価してもらう。ライブの中で、1位を取る。そうすると、先輩がもっと上のライブに呼んでくれたりする。芸人に面白いと言われるのがうれしかった。

相田:妙な自信はありましたね。家では「何をやってるんだ、大学まで出したのに」と言われましたけど。ただ、うちの場合は、兄が輪を掛けてひどかったので、見逃してもらえていました(笑)。

芸人を辞めていく人たちに、質問していった

――早く売れないと、という焦りはなかったんですか。

小宮:目の前で結果を残すしかない、と思っていました。長い目で見て、そのとき売れなくても、結局、何か役に立つ、とも思っていましたし。人生は1回。楽しめばいい。後悔したくないと思いました。

相田:Facebookを見ていると、友達は結婚して、子どもができたりする投稿ばかりが目に入ってくるんですよね。いったい自分は何をやっているんだ、と思う半面、ではそれを自分が求めているのかな、と。人それぞれの幸せがあると思うんですが、友達はそれが幸せでも、僕は求めてないな、と改めて気づいて。

先は見えなかったし、不安もあった。でも、1回笑いを取ったほうが、僕らには幸せだったんです。1回でも、大爆笑を取ったらやめられないんですよ。アドレナリンがどっと出る。これを味わうと、自分たちにはお笑いの仕事しかないんだと痛感します。

小宮:中には芸人を辞める人がいるんです。僕はその人たちの意見を聞いていきました。酷なんですけど、送別会で「何をやっておけば良かったと思いますか」と。そうすると「もっとハチャメチャやっとけばよかった」と言われるんです。どうせやめるんだったら、と。

やりたいことをやろう、芸人がやらないようなことをやろう、縛られずに自由にやろう、と気づいたのは、これが大きかった。辞めていく人たちからも、それを小宮に期待している、とよく言われました。

 

――思い切った試行錯誤もされましたよね。ボケとツッコミの役割を途中で変えたり。

小宮:キャラをもっと出したくて。でも、やってみたら、ボケて発信して突っ込まれるより、あとの返しのほうが良かった。今もそうなんですよ。先輩に何か言われて返すほうが、得意だったことが後でわかりました。

相田:最初はすごい抵抗ありましたよ。しかも、すごい思い切った、振りかぶったボケなんですよ。「コマネチ」ネタとか、大胆ですからね。前日までツッコんでいたのに、大げさにボケないといけない。でも、ライブで5回もやると抵抗がなくなっていきました。スベッていたら傷口をえぐられたかもしれませんが、それなりにウケましたから。

小宮:フリーで、お客さんがあまり入っていないところでできたことが大きいんです。お金はこっちがノルマで払ってるんですから(笑)。スベってもいいだろう、と。

ネタも月に30くらい考えてライブに出ていました。これも、ライブで試せるんですよ。いきなりテレビでは失敗できないですけど、お客さん1人、2人なんてことがザラでしたから。しかも、芸人さんに見てもらえる。

人気番組出演のチャンスで2日前に大ケガ

――遊びたいさかりの20代が、下積み。お金もなくて大変だったんじゃないですか。

小宮:お金はなかったですね。バイトも日払いとか、おばあちゃんにちょっともらったりとか、借金とかでしたから。でも1日1000円くらいしか使わないんです。自宅がありましたし、移動は自転車でしたし。杉並から銀座も自転車です。

ライブに出て、1位取ると、賞金が3000円もらえたりして、それで2人でまた自転車を飛ばして飲みに行く(笑)。

相田:3000円でも高いほうだったね(笑)。実家だったし、とにかくお金はかからなかった。それはありがたかった。

小宮:不安はありましたよ。でも、ライブが忙しくて、余計なことを考える暇もなかった。お笑いに携わっていると思ったら、それで納得できた。

 

――そのライブから、マセキ芸能社のオーディションを知るんですね。

小宮:それまでもテレビのオーディションは受けていたんですが、落ちまくっていて。事務所に入ったほうがいいよ、と言われていたんですが、25歳で養成所入りはもう遅い。そんなときに、飛び級のオーディションがあると聞いて。

相田:タイミングも良かったんです。実は1度、オーディションに落ちているんですが、いろんな状況が変わって、2度目のオーディションに合格できた。

小宮:ただ、所属しても状況はそんなに変わらなかった。同期が先に売れていったのは、焦りましたよね。オリエンタルラジオも同期だし、ニッチェも同期。ジグザグジギーも売れて。でも、オリラジはリズムネタだからだ、ニッチェは女性コンビだからだ、と自分に言い訳してました(笑)。ただ、そのうち理由がなくなって(笑)。ライブではずっとウケていたので、それが支えでしたね。

 

――名前が一気に知られるきっかけになったのは、「若手芸人が選ぶ天才芸人1位」に選ばれて、『ゴッドタン』に出演したことでした。なんと、小宮さんが車椅子で登場されて。

相田:フリーのとき、ソデで見てくれていた芸人さんが、アンケートで僕らを入れてくれたんです。

小宮:それまでもテレビには少しは出ていたんですが、深夜番組でした。『ゴッドタン』はお笑い好きが見ていますし、チャンスだと思いました。ところが2日前に泥酔して転んでしまって。前歯2本が折れ、右膝も骨折してしまい。

相田:マネージャーから、『ゴッドタン』出演は無理かもしれないと電話をもらったときは絶望しましたよ。このストレスをどう発散すべきかよくわからなくて、打ったことのないパチンコ店に一人で入って、泣きながらやってました。出まくっているのに(笑)。

その後、なんとかOKになりそうだ、と電話をもらって、出ろよ、這いつくばってでも出ろ、と思いました。でも、楽屋で会って、こりゃダメだと。傷だらけで前歯が欠けてて、ギブスに車椅子、松葉杖で現れて。風呂入ってないから、髪の毛もグシャグシャ(笑)。

小宮:だから、大変な怪我だったんだ、って言ったのに(笑)。実はこの頃は、賞レースか恋愛か事件でも起こさないと売れないんじゃないか、と思っていたんです。その中では事件くらいしかないけど、生放送で起こすわけにもいかないし(笑)。

 

――ここで、先輩芸人に思い切りイジられて、独特のキャラが確立されて。

小宮:振り返って、もし歯が欠けてなかったとしたら、と思うとゾッとします(笑)。

相田:なんか、不思議な一言だよな(笑)。

なまけていたら、今のようにはならなかった

――その後は、中高生時代から憧れていた人たちとどんどん共演することになって。

小宮:緊張しました。とんねるずさんと会うときは、キャラを立てて、嫌われてもいいという覚悟でいかないとダメだと思いました。萎縮しちゃダメだ、と。それで、「ダウンタウン派です」と行くんですけど、石橋さんがやさしいんです。嫌いになれないんです。

ダウンダウンさんのときも、とんねるずさんやさしかったし、とんねるず派で行くと、松本さんがやさしくて。まっちゃん大好き、と思ってしまって(笑)。

相田:緊張もしましたけど、うれしさのほうが勝っちゃったかな。でも、すごいなぁ、と思ったのは、とんねるずさんにしても、やりたいことをやっているんです。実際、台本もない。突然、方向を変えたりする。

初めて番組に出演したとき、認められたら「とんねるずアイランドに入団できる」という企画で、出番は6番目のはずだったんですが、いきなり最初に「三四郎、行ってみようか」と突然、ノリさんが(笑)。凄いなぁと思いました。

小宮:とんねるずさんは東京出身ですけど、ダウンタウンさんは関西出身。でも、お笑いというだけで、話が合うわけですね。子どもの頃から見ていた人たちとご一緒して、収録が終わった後も、不思議な気持ちでした。お笑いのこと、考えてきて良かったと思いました。それだけでつながれたわけですから。なまけてたら、つながれなかった。

 

――知名度が上がってきて、どうですか。

小宮:ありがたいことだと思います。運もありますね。でも、芸人さんたちとたくさん舞台に立てたことが、やっぱり良かったんだと思います。

相田:知っていただけることはうれしいですね。小宮とコンビが組めて良かったと思っています。

小宮:細く長くやりたいですね。地方で冠番組も始まって、MCの仕事も増えてきていますし。ゲストに緊張されないような番組を作りたい。

相田:ラジオ(「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」)も楽しいよね。ラジオを聞いていました、と声をかけてくださるのは、とてもうれしい。ラジオって、離れないイメージがあるんです。もっともっと、いろんな技術を磨いていかないと、と思っています。 「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」毎週金曜 深夜3:00-5:00 ON AIR

 

文:上阪 徹 写真:鈴木慶子

編集:丸山香奈枝

 

 

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