少女の幽霊と孤島の殺人事件『空の幻像』

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少女の幽霊と孤島の殺人事件『空の幻像』

 最果ての孤島とそこに伝わる幽霊伝説という絶妙の舞台で展開する、精緻極まりない謎解き小説。それがアン・クリーヴス『空の幻像』(創元推理文庫)だ。

 幽霊といってもおどろおどろしいものではない。スコットランド北東部に浮かぶシェトランド諸島、その最北端に位置するアンスト島には、〈小さなリジー〉という伝説があった。1930年、エリザベス・ゲルダードという10歳の少女が見守る者なく浜辺で遊んでいて溺死した。その幽霊が、島にはときおり出現するのである。不思議なことに少女の姿を目撃した女性は、しばらく経ってから自分が懐妊することに気づくという。この奇妙に人懐っこい少女の幽霊が小説のあちこちに顔を出す。

 物語の幕開けは華々しい結婚式だ。アンスト島出身のキャロライン・ローソンは、婚約者ロウリー・マルコムソンとの結婚式を、ロンドンに続けて故郷でも決行する。彼女とは大学時代からの親友であるエレノア・ロングスタッフとその夫イアン、同じくポリー・ギルモアと恋人のマーカス・ウェントワースは、祝福のため島を訪れた。

 六月のシェトランド諸島では〈夏の薄闇〉と呼ばれる白夜が続き、空が漆黒に染まることはない。里帰り結婚式が終わったあとで浜辺に出ていたポリー・ギルモアは奇妙な人影を見つける。白いドレスを着た少女が砂浜で踊っていたのだ。辺りに保護者はいないのか、と目で探しているうちに少女は消えてしまう。それらしき少女に出会ったのは彼女だけではなく、エレノア・ロングスタッフもまた、午睡の間に同じような人影を目撃していた。

 結婚式の翌朝、そのエレノアの姿が忽然と消え失せる。彼女はしばらく前に妊娠後期で流産するという体験をしていた。もしもの事態を考えて警察に届けた友人たちの携帯電話には不吉なメッセージが届く。わたしをさがそうとしないで。そのころには、もう死んでいるだろうから—-言葉通り、やがて遺体が発見される。その姿はまるで、溺死したエリザベス・ゲルダードのようだった。

 本書はアン・クリーヴスがシェトランド諸島を舞台に書き続けている連作の第六作にあたる。2006年に発表された第一作『大鴉の啼く冬』は英国推理作家協会(CWA)最優秀長篇賞を獲得した。シリーズを通して探偵役を務めるのはシェトランド署のジミー・ペレス警部である。彼には不思議な魅力がある。関係者の心に触れ、ごく自然にその中に入り込んでしまうのだ。

—-参考人にどういう態度で接するのがいちばんいいかを、ペレスはいつでも心得ているように思えた。どうやったらそんなことができるのか、ウィローは不思議でならなかった。一度、捜査の終わりちかくで気がゆるんだときに、ペレスがこんな話をしてくれたことがあった。別れた妻から、”感情の垂れ流し”を指摘されたというのだ。あなたは、ほかの人に感情移入しすぎる。もしかすると、それが秘訣なのかもしれなかった。

 感情移入しすぎる。それはたしかにペレスの武器であると同時に弱点かもしれない特徴だ。何事にものめりこむ傾向のある彼は、実は大きな悲劇を体験している。本シリーズはもともと四部作と告知され『大鴉の啼く冬』『白夜に惑う夏』『野兎を悼む春』に続く『青雷の光る秋』が最終作だと言われていた。その結末で、ある事件が起きたのである。予想外の出版となった第五作『水の葬送』で再登場したペレスは、衝撃から立ち直ることがまだできていなかった。本書は彼が復活への糸口をつかむ話にもなっている。

 とはいえ、シリーズの六作目だということはまったく意識しないで読むことができる。クリーヴスは三人称複数視点を用いて登場人物たちの肖像を立体的に浮かび上がらせる技術の達人である。本書でも、いつも自分の決めたとおりに物事を実行することに慣れているキャロライン・ローソン、同じように自信たっぷりで主人公として振る舞うことに躊躇いがないエレノア・ロングスタッフ、二人の後をついて歩いているうちに自分の世界がいつ間にか狭くなってしまっていたポリー・ギルモアという事件の中心にいる三人の人物像は、物語の早い段階でしっかりと読者の胸に刻み込まれるはずである。さらにはエレノアの夫で感情的なイアン、従順な性格のロウリー、世間の流れから超然としているように見えるマーカスといった、彼女たちのパートナーの姿がそれに続く。そうやって登場人物の性格が明確になっていくと、事件がいかなる人間関係によって形成されているかが判りやすく見えてくるのである。小説の終盤に来てから振り返ってみれば、脇役に至るまで登場人物一人ひとりの顔を見分けられることに気づき、驚かされるはずだ。

 登場人物の顔がはっきりしているというのは捜査側の登場人物も同様である。ウィロー・リーヴズは、ペレスと同じ警部だが、制度上は彼の上司ということになる。彼女とペレスの関係は男女という性差も絡んでシリーズに程よい緊張感を与えている。本書でも、まだ心の衝撃から立ち直りきっていないペレスを気遣いつつ、その独走を苦々しくも思うウィローの存在が、捜査の展開に奥行きを与えている。地元出身で頼りないところのある若手警官、サンディ・ウィルソンや、出番は少ないが包容力のあるところを見せつけるメアリ・ロマックスなどもいい。それらすべての登場人物に「感情移入しすぎる」男、ジミー・ペレスの視点が向けられ、人間関係の網が完成するのである。

 終盤の謎解きは圧巻だ。次から次に未知の事実が判明し、瀑布に近い川の流れのように、真相へ向けて事態は突き進んでいく。最後に明かされる犯人の動機、それによって人々がどのように動かされたかという構図は、ぜひゆっくりと味わいながら読みとってもらいたい。登場人物の輪郭がはっきりした謎解き小説にはこのような結末が訪れるのだ。

 物語の終盤近く、今からまさに真相がその姿を現わそうとする直前の、一時の静けさを描いた文章が本書の中ではお気に入りだ。

—-最初に聞こえてきたのは、水音だった。シェトランドでは、いつだって背景に水の音がしていた。浜に打ち寄せる波。空から降る雨。日中はたいてい、それに羊のたてる音がくわわった。風の音も。だが、今夜は風がまったく吹いていなかった。

(杉江松恋)

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