大きくうねる戦局のなか、不可解な状況にさらされる兵士たち
《航空宇宙軍史》は谷甲州のライフワークともいえる長大な連作だ。軍事組織「航空宇宙軍」を擁する地球側と外惑星連合との緊張は外惑星動乱のかたちで堰を切る。日本SF大賞を受賞した『コロンビア・ゼロ』は、第二次外惑星動乱の勃発に至る経緯を描いていた。本書『工作鑑間宮の戦争』は、それにつづく時期の物語として、六篇のエピソードを収録している。
大きな戦争のうねりのなかで、状況を見わたせる者はひとりとしていない。敵側の動きはもちろんだが、自軍でさえも組織が大きく、それぞれの拠点や部隊が各個判断で行動せざるをえない局面が多く、意識や情報が共有されぬまま状況に対応している。現場にいる人物の視点にたってみれば、不可解や不条理が常態化している。その寄る辺ない感覚を、谷甲州はみごとに描きだす。
《航空宇宙軍史》というシリーズ名で敬遠するむきもあるやもしれないが、ここには血湧き肉躍る戦闘はないし、戦争をゲームのように捉えた作品でもない。
本書の第一篇「スティクニー備蓄基地」では、航空宇宙軍が備蓄基地を置くフォボスの地表で微弱な震動が感知される。近接軌道上での構造物建設中に発生したデブリの落下と考えるのが常識的だが、しかし、備蓄基地に駐在していた波座間少尉は、デブリの軌道に似せて偵察用のプローブが送りこまれたのではないかと疑う。不可解なのは、計測によって割りだされた震源と、観測された衝突痕とが百メートル以上もズレていることだ。そして、基地に異変が起こる。
制限された条件のなかで、不可解な謎に突きあたる。しかし、誰かの知恵がその謎を解くのではなく、事態が思わぬ方向へと動きだし、そのなかで自ずと謎が解明されていく。主人公たちはできるかぎり対応するが、そこには感動的な人間ドラマや努力と成功の物語もなく、大局的にはたんたんと状況が進んでいくだけ。谷さんの筆致はあくまでドライである。
第二篇「イカロス軌道」では、タイタン防衛宇宙軍(つまり外惑星連合側だ)の特設警備艦プロメテウス03の下河原特務中尉の視点で語られる。艦の早期警戒システムが、外宇宙から土星系へと急接近する重力源をとらえた。いくつかの可能性が考えられるが、消去法でひとつずつ除外していくと、途轍もなく巨大な航宙鑑しか残らない。しかし、航空宇宙軍にこれほど高速の戦闘艦はないはずだ。そもそも艦隊を効率的に運用するのであれば、闇雲に加速しても意味がない。そのうえ、外宇宙経由で土星の衛星群を攻撃するのは、コスト的に効率が悪い。相手の正体、そして狙いは何だ?
そのエピソードも不可解な謎の提示ではじまり、登場人物たちが知恵を絞って答にたどりつくよりも先に事態が急変し、おのずと謎があかされていく。登場人物たちはできるかぎりの判断・行動をするが、けっきょくは大きく動く状況の傍観者にとどまる。
第三篇「航空宇宙軍戦略爆撃隊」は、学生時代に第二次外惑星動乱の勃発を予想した論文を書いた航空宇宙軍の早乙女大尉が主人公。論文は注目されることなく埋もれ、実際に第二次外惑星動乱がはじまり、大尉は特務鑑イカロス42の艦長に任命される。イカロスという艦名から察するに、もとは外宇宙艦隊の探査船だったものを内宇宙艦隊へ移籍・改装したのだろう。それにしても、艦隊勤務経験もない自分が、いきなり艦長とは、と早乙女大尉はいぶかしむ。なんの説明もされぬまま着任した彼は、急ごしらえの艦内整備、あまりに少ない乗員、そして自分はロボットだと主張するベテラン作業員の存在に驚く。
第四篇「亡霊艦隊」は、タイタン防衛宇宙軍で艦隊司令長官の石蕗(つわぶき)提督の視点で語られる。司令長官が乗った旗艦クリューガーは広い範囲に分散した艦隊を率い、航空宇宙軍の出方をうかがっている。航空宇宙軍は小惑星帯から撤退し、火星軌道まで戦線を縮小し、体勢を立て直す気らしい。地球周辺へと送りこんだ無人偵察機のひとつが状況を知らせてくるが、表示された通信文は予想とかなり違った内容だった。地球軌道上のコロンビア軍港からすでに戦闘軍艦が出撃したというのだ。提督配下のミン大佐は航空宇宙軍に捜査されぬよう偵察機に情報破壊を命じる。しかし、偵察機は情報破壊をおこなわず、新しい情報を送信してきた。いかなる事情があったのか?
この作品でも謎はほどなく明かされる。物語の表面上はなすすべもなく事態が進むだけだが、その奥では軍事的な意志決定、宇宙空間にまたがる通信のタイムラグ、偵察機の仕様とその背景にある設計思想などがもつれた糸のように絡まっている。
第五篇「ペルソナの影」は、タイタン防衛艦隊ガニメデ派遣部隊の、たったひとりの隊員で指揮官代理である保澤(やすざわ)准尉の物語。彼の役割は、小惑星帯に残されている航空宇宙軍の無人船の探査だ。第二次外惑星動乱は外惑星連合軍の奇襲ではじまり、火星以遠にいた航空宇宙軍の勢力は退避のさいに艦を遺棄したケースが多々あった。今後は、無人船がセンシング基地や通信傍受基地に転用されることも想定される。
保澤准尉のタイタン防衛軍への忠誠心は薄い。「義勇兵」を名乗っているものの、実際には傭兵も同然で、無人船の追跡も半端仕事として回されたものだからだ。もっとも、開戦によって全天走査が中断されているなか、複数のローカルな天体情報をたんねんに照合しながら隠されている船を狩りだすのはそれなりの高揚がある。この仕事も一種の神経戦で、航空宇宙軍がわざと不確かな噂を流して外惑星連合を混乱させているとの疑念も湧き、ひどく頼りない気分になるときもある。そんな孤独な作業をつづけて見つけだしたのは、無人船どころではない大きな秘密だった。
巻末の「工作艦間宮の戦争」は、小惑星帯のセンチュリー・ステーションで任務にあたっている工作鑑・間宮(まみや)に異例の命令がくだされるところからはじまる。工作鑑は他の航宙鑑の修理をおこなうのが役割だ。いま取りかかっているのは輸送艦ヴァンゲン09の修理だが、それが完了しないうちにステーションを発進せよと指示される。一方的な指令で、その後の作戦までは記されていないが、おおよその察しはつく。戦闘艦の修理を優先する判断だ。
いまセンチュリー・ステーションでは、ヴェンゲン09のほかに使用可能な輸送船は残っておらず、その修理を放棄すれば、便乗可能な航宙鑑は間宮しかない。しかも、外惑星軍の攻撃がはじまっている。間宮がここを離れれば、残された者の命綱が断たれてしまう。間宮を率いる矢矧(やはぎ)大尉は、何か口実をつけてセンチュリー・ステーションにとどまるべきかと苦悩する。
《航空宇宙軍史》の妙味は、単純な敵・味方の図式、勝ち・負けの決着ではなく、それぞれの立場や価値観にもとづいて微妙なコンフリクトが生じるところだ。
「工作艦間宮の戦争」ではヴェンゲン09をめぐる問題を解決した先に、もうひとつの問題が待っている。間宮が修理に赴いた特務鑑が、呼びかけに応答しないのだ。三系統ある通信システムのどれも通じない。その相手というのがイカロス42、「航空宇宙軍戦略爆撃隊」で早乙女大尉が乗って外惑星爆撃に向かった鑑だ。作戦を終えて内惑星系へ戻ってくる途中、敵をかわすために無理をしたと推測されるが、いったい艦内でなにが起こっているのか?
冷たいアンチクライマックスが、読者を待ち受けている。
(牧眞司)
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