暗殺者見習いに向けた手引書『インターンズ・ハンドブック』
〈ヒューマン・リソース社〉の新入社員諸君、就職おめでとう。お悔みを言わせてくれ。
開巻早々、ジョン・ラーゴはそう言う。お祝いの間違いじゃないかって。いや、お悔みで合っている。なぜならば〈ヒューマン・リソース社〉(以下HR社)は、表向きこそ企業インターンの派遣会社となっているがその実態は暗殺組織だからだ。厳重な警備で守られている要人の元にうぶなインターンを装った暗殺者を送りこむ。したがってHR社の定年は25歳、まるで往年の全日本女子プロレスだ。それ以上の年齢になると、インターンとして潜入することが難しくなるからだろう。
この奇抜な設定だけでも作者は勝ったも同然。長篇『インターンズ・ハンドブック』(扶桑社ミステリー)は、長年映画関係の仕事をしてきた作家、シェイン・クーンのデビュー作である。実力ある書き手だから、あの手この手で読者を驚かせてやろうとして、いろいろ仕掛けてくる。
本書でまず興味を惹かれるのは構成だ。上に書いた主人公、ジョン・ラーゴに対する国内および国際逮捕令状が発行されたという情報から小説の記述は始められる。アメリカ合衆国連邦捜査局発の公文書という体なのである。それによればラーゴは、行方をくらました後でHR社の暗殺者見習いに向けて『インターンズ・ハンドブック』なる非公式の手引書を発信していた。ラーゴが25歳での引退を目前にして最後に引き受けた依頼の模様が主として綴られたものである。つまり『インターンズ・ハンドブック』とは長篇の題名であると同時に、登場人物の著した手記の表題でもあるわけだ。
なんのためにこんな構成がとられているのか、という読者の疑問に対してはプロローグで一応の答えが与えられる。捜査当局はさまざまな手段によってラーゴの監視を進めていた。その中でも『インターンズ・ハンドブック』で語られる「ジョン・ラーゴ最後の仕事」こそが、彼の尻尾を押さえるための最大のヒントになる、というわけなのである。この冒頭宣言にこそ誤導の仕掛けがあるのではないか、とミステリー読みは疑ってページを繰り始めるため、読書は最初から緊張を孕んだものになるだろう。
殺し屋がその生い立ちから自らの反社会哲学に至るまでを語る、というとシェイマス・スミスのデビュー作『Mr.クイン』(1999年。ミステリアス・プレス文庫)を思い出す犯罪小説ファンは多いのではないだろうか。北アイルランド・ベルファスト生まれのスミスは孤児同然の生い立ちをした作家であり、作中では世の良識・権威が嘲笑われていた。その黒い笑いを連想させるものが『インターンズ・ハンドブック』には山盛りである。冒頭の挨拶でおわかりの通り、ジョン・ラーゴはひねくれた物言いを好む語り手だ。その言いようの軽さについ笑ってしまうのだが、それは読者の眼前に突然断崖を出現させるための罠にもなっている。絶対に何か企んでいる作者にも要注意だが、このラーゴのしゃべりにも気を付けなければならない。
だいたい序盤の展開から心を持っていかれる。
「ジョン・ラーゴ最後の仕事」とは、とある法律事務所にインターンとしてもぐり込み、三人の共同経営者のうち、「誰か」を殺すことだった。標的が誰なのかは、仕事を命じた上司のボブも知らないのである。間違った相手を殺すわけにもいかず、ラーゴは法律事務所の上層部と接触すべく、インターン同士の生き残り競争に身を投じる。余談だがここで、インターンたちをしごく監督役の名前がハートマンなのは、絶対に遊んでいるとしか思えない。それは映画『フルメタル・ジャケット』だろうが。
ラーゴのとった戦法が先輩インターンを利用すること、そしてその相手が、初めから彼に興味津々な美女、というあたりでもう勘のいい読者なら〈運命の女〉プロットの出現を予想するはずだ。そして、そうなる。彼にとっての運命の女・アリスには意外な貌があり、というお決まりの展開になるから「なるほどなるほど、若手にしてはよく先行作を勉強してるじゃん」と出来のいい新入社員を見る係長のような気分になっていると、そこでまたとんでもないことが起きる。134ページからの一幕を読んで、私は正直小説の行く先がどうなるのか、さっぱりわからなくなった。ここまでで全体の三分の一。まだ話はどんどん変化していくからご期待いただきたい。
—-おれがじっさいにきみたちと会うことは、たぶんないだろう。だが、ひねくれた考え方をすれば、おれたちはこれまでずっともてなかった家族だともいえる。
冒頭でラーゴは、自分が『インターンズ・ハンドブック』を書き上げた理由をこう説明する。「おれ」ラーゴと「きみたち」見習い殺し屋は「おれたち」なのだと。
この世に産み落とされてしまった「おれたち」。
自分自身を社会から疎外しようとも、こう生きるしかない「おれたち」。
そこには〈安物雑貨店のドストエフスキー〉と称された犯罪小説作家、ジム・トンプスン作品にも通じるものがある。「きみたち」に語りかけつつラーゴはずっと「おれ」の内奥を見ようとし続けている。そこに見えるものは光と闇のいずれか。あるいは光に瞳を灼かれるか、闇の中に心地よい居場所を見出すか。轟音と共に物語は結末へと向けて落ちていく。
(杉江松恋)
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