「この家を出ていくけれどどうか私のこと忘れないでね」家庭崩壊でついに別居! 父を待つ少女の涙とゲス妄想を撒き散らす”性悪ババア” ~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~
「もう限界だ!帰ってきなさい」家庭崩壊に父の怒り爆発
香炉の灰をぶっかけたあの発作以降、奥さんの容態は回復せず。祈祷も一向に効果がありません。愛想を尽かした髭黒は「世間体が悪い」と、自宅へ戻るのを避けていました。
でも気になるのは子供のこと。髭黒は奥さんとは別棟に子どもたちを集めて、時々様子を見に行っていました。3人のうち、一番上の長女は13歳、長男は10歳、次男が8歳。世話する女房たちがいるからまだいいようなものの、今だったら育児放棄と言われる案件です。
いよいよ完全な家庭崩壊と聞き、奥さんの父・式部卿宮は「もう限界だろう。このまま生活を続ける意味がどこにあるのか。早くこっちに帰ってきなさい」と、息子たち(奥さんの兄弟)に命じて迎えに行かせます。
「子どもたちの将来が心配」母の悲しい別居宣言
奥さんの兄弟たちが牛車を連ねてやって来ました。実家は手狭なのでおつきの女房たちも全員一緒には行けません。「覚悟していたけれど、ついにその日が来た」と、奥さんについていくメンバーは別れを惜しみ、無念の思いで荷物をまとめます。
幸い、奥さんは少し人心地がついたところでした。まだ迷いはありましたが、「このまま夫に完全に捨てられるよりは、自分から実家に帰るほうがいい」と決意。無心に遊んでいる子どもたちを呼んで自分の前に座らせます。
「お母さまはお父さまと別々に暮らすことにしました。これから、お祖父さまの家に行きます。お前たちはまだ幼いのに家族がバラバラになるなんて、本当に悲しいこと。
姫はとにかくお母さまと一緒に。男の子たちは、将来を考えるとお父さまと一緒にいるほうがいいだろうけれど、あまり面倒を見てくださるとは思えない。どっちつかずの暮らしになるでしょうね。
お祖父さまがお元気なうちは人並みに生きていけるでしょうが、源氏の大臣や内大臣(頭の中将)が幅を利かせている世の中だから、目をつけられれば出世するのは難しいわ。だからといって出家して、山ごもりするのも大変だし……」。
男の子たちは髭黒の跡継ぎという立場なので、お父さんについて宮中に上がり、将来の基盤を固めなければいけない。既に長男は童殿上(元服前の子どもが宮中で見習いをする事)をしていて、賢いとよく褒められています。
一方、長女のお姉ちゃんは13歳。今だと中学生ですが、当時では縁談が来てもいい年頃です。今後については未定ですが、玉鬘に夢中の髭黒が年頃の娘の面倒を見るはずもなく、継母に預けるのも心配です。消去法で、とりあえずお母さんと一緒におじいちゃんの家に行くしかなさそうです。
久しぶりに正常になったお母さんがこう言って泣くのを、子どもたちはよくわからないままに悲しく聞いています。子どもたちの乳母も「あんなに優しかった殿が、こんなに冷淡になって」と嘆くのでした。
「最後にお別れを」父を待ち続けた娘の願い
日が暮れて雪が降りそうな曇天です。迎えにきた奥さんの兄弟たちは「天気が荒れそうだから早く」と催促。今日も髭黒は六条院で、帰ってきそうにありません。
長女はお父さん子で、髭黒もこの娘をとても可愛がっていました。「お父さまにお別れも言わずに行ってしまうなんていや!もう、お会い出来なくなるかもしれないのに……」と、ここへきて出立を渋ります。
「どうしてそんなワガママを言うの。お母さまを悲しませないで」と母がなだめるのも聞かず、長女は「だって、お父さまが帰ってくるかもしれないわ。お父さま、帰ってきて、お願い……!」。彼女の願いも空しく、雪が降り出し夜が更けていきます。
ついに長女は観念し、いつも寄りかかっていた座敷の真木の柱を見上げます。(自分のお気に入りのこの柱も、知らない人に取られてしまうんだわ)と思うと切ない気持ちです。それでも涙を拭き拭き紙にメッセージを書き、柱のひび割れに差し込みました。
こうして奥さんと子どもたち、そして限られた女房たちは住み慣れた我が家を後にしました。雪の日の悲しい別れは、明石の上とちい姫の別れのシーンにも出てきましたが、雪の夜の重暗さが悲劇的場面の舞台装置となっています。
諸悪の根源!問題を撒き散らす”正真正銘の性悪ババア”
夫に捨てられて出戻ってきた娘と孫を、両親は悲しみながら出迎えました。特に紫の上をいびってきた正妻は「あなたは源氏の大臣と親戚なのが自慢らしいけど、私にとっては前世からの仇としか思えない」と、キレまくり。
そして冷泉帝の妃にはなったものの、パッとしないもう一人の娘・王女御(おうのにょうご)の事を引き合いに出し「あの子が後宮入りした時も、源氏はこっちに全然味方してくれなかったわ。当時は“まだ須磨時代の恨みが残っているのだろう”とあなたも世間も言うからそう思っていたけど、なんかおかしいと思ってたのよ」。
そうですね。源氏の不遇の折は手のひらを返したように没交渉になり、援助をしなかったどころか、紫の上を「不幸の星の下に生まれた女」とあざ笑ったのはあんただよ。
「それなのにこの期に及んで、自分が手を付けた女を払い下げるために、真面目一途の髭黒をたぶらかすとはね!これも源氏とあの女、紫の上が仕組んだことよ!!」。この人は源氏と玉鬘がデキていて、飽きて捨てる代わりに髭黒に押し付けた、と思ってるらしい。ゲス妄想炸裂。
さすがに宮も妻の暴言を諌めます。「聞き苦しい。天下人の源氏の大臣をそんな風にけなすのはやめなさい。それにしても、源氏の君はかねてからこのような復讐を考えておられたのだろう。賢い方だからな……。しかも目立った報復ではなく、さり気なく上げたり下げたりなさるのだ。
それでも私の50歳の誕生祝いは、新築したての六条院で派手にしてくださった。あれも私を紫の上の父と思うからこそで、まあ、その事を良い思い出と思うしかない」。
玉鬘にゾッコンだった蛍宮も上げたりディスったりしまくってましたが、こうやって人の心をもてあそぶのが源氏流。”さり気なく上げたり下げたり”というのが、攻撃一辺倒のやり方よりずっと怖いですね。
夫の情けない言葉を聞いて正妻は爆発し、いよいよ源氏と紫の上の呪詛の言葉を撒き散らします。”この大北の方ぞ、さがな者なりける”と書かれていますが、とにかくこの人だけは性悪ババアだ、と断定してあるのがすごい。
奥さんはあくまでも物の怪に取り憑かれて異常行動を起こすのですが、この人は物の怪に取り憑かれていないデフォルトの状態でこれというから大変です。
「私のこと忘れないでね」最愛の娘の残したメッセージに涙
奥さんが出ていった話は、六条院の髭黒にも伝わりました。(新婚ホヤホヤの痴話喧嘩でもあるまいし、舅姑が軽率だからこんなことに……)と頭を抱えますが、子どもの心配や世間体もあり、放置はできません。
「ちょっと家の方でトラブルがありましたので、様子を見に戻ります」。そう言って立ち上がる髭黒はおしゃれ着も立派で、玉鬘の夫として決して不釣り合いではない、と説明されます。あの後、新調したのかな?
でも玉鬘は(私のせいで家庭が崩壊したなんて。それもこれも、この人が押しかけてきたからよ……)と滅入るばかり。すべての原因の髭黒が不快で見送りもしてやりません。「勝手に行け!」って感じですね。
自宅に帰った髭黒は、残っていた木工の君たちから詳しい話を聞き、長女が柱に残していったメッセージを開きます。
そこには「今はとて宿かれぬとも馴れ来つる 真木の柱は我を忘るな」。私はこの家を出ていくけれど、大好きだった真木柱はどうか私のことを忘れないでね……。
家庭を顧みぬ父と慣れ親しんだ我が家への別れの言葉として、シンプルながら胸を打つ一首です。まして親ならどんなに切ないでしょう。髭黒もこらえていた涙がこみ上げ、たまらなくなって泣きますが、筆者もこのシーンは毎度泣いてしまいます。この歌から長女は『真木柱の君』と呼ばれます。
妻の実家に迎えに行くも……バラバラになる一家
娘の置き手紙を手に、髭黒は涙ながらに妻の実家に到着。「もし私が本当に不誠実な夫なら、ここまでガマンして生活して来なかった。妻の発作に耐えながら今の今までやってきた私の努力が、どうしてわかってもらえないのか」。突然妻を連れ帰った義父に不満を感じつつも、どうか妻子に会わせて欲しいと願い出ます。
しかし宮は「その必要はない。新しい女に夢中の男と何を話し合うのだ。下手に顔を合わせたらまたみっともない修羅場になろう」と面会を拒絶。髭黒は真木柱にだけでも会いたいのですが、おじいちゃんに止められて出てこられそうではありません。
その代わり、2人の息子には会うことができました。利発な長男は、子どもながらに両親の事情もなんとなく察知している様子。次男は女の子にしたいような可愛さで、お姉ちゃんに似ています。
髭黒は次男の頭をなでながら「会えないお姉ちゃんの代わりに、お前の顔を見ることにしよう」と、息子たちだけをつれて再び自宅へ。「やはりここで暮らしなさい。お父さまも時々会いに来るからね」。父がそう言ってまた六条院へ行ってしまうのを、幼い子どもたちは心細そうに見送ります。親の都合で寂しい、辛い思いをするのは子どもですね……。
「私まで恨まれて」性悪ババアの発言でとばっちり
玉鬘に惚れたばかりに、予想以上の混乱を招いた髭黒。それでも物の怪に取り憑かれた奥さんとの大変な生活と、光り輝く六条院の玉鬘とでは天と地ほども違います。いろいろ後悔はあれども、「やはり玉鬘をゲットした喜びはなにものにも代えがたい!」というのが、彼の本音です。
それ以来、髭黒から妻の実家へ連絡することは一切なくなりました。事実上の離婚です。面会させなかったくせに、髭黒が来ないなら来ないで恨み言を言う性悪ババア。問題発言は拡散し、ついに紫の上の耳にも届きました。絵に描いたような毒親ですね……。
「なんだか私まで恨まれているみたい。辛いこと」。何の関与もしていない紫の上にとっては大迷惑です。源氏も「難しいことだ。こっちだってどうしようもないことなのに。陛下も玉鬘が出仕しなくなってご機嫌斜めだし、蛍宮も……。男女のことは秘密にしていてもバレやすいから、仕方ないがね」。
ろくに恋愛経験のない不器用オジサンが引き起こした家庭崩壊の悲劇。しかしこのままでは収まらず、まだまだ髭黒と玉鬘夫妻の話題が続きます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者:相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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