読書好き3人の思わぬ道行き〜乗代雄介『本物の読書家』
『本物の読書家』。このタイトルに心ひかれない読書好きがいるだろうか。とはいえ、(「自分のことを言っている」と考える強者も少なくないだろうと思うが)、私などはこの小説を読んで「本物の」どころか「読書家」とすら言えないと痛感させられることになった。
本書に収録されている2編は、いずれも手強い小説だ。表題作は、老人ホームに入所することになった大叔父・岡崎を送り届けることになった甥の間氷が主人公。岡崎は、川端康成からの手紙を持っているという噂があった。間氷と岡崎、そして常磐線のボックス席に乗り合わせた謎の男・田上の3人による、息詰まるような会話を中心として物語は進んでいく。聞かれてもいないのにお昼ごはんを食べると宣言する田上。突然今日が自分の誕生日であると打ち明ける岡崎。田上の大叔父の誕生日が1919年1月1日だと聞かされてサリンジャーと同じ生年月日ですねと反応する間氷。それを聞いた田上の目の色が変わった。
田上は、サリンジャーの生年月日を自分の大叔父のそれとして答えたのだという。自分の大叔父の生まれた日に興味はないが、ほとんどの作家の生年月日(と享年)なら頭に入っているのだと。それまでは押し出しの強い田上に対して引き気味だった間氷だったけれども、「わたしはこの男を好きになったり信頼したりという芸当はできないまでも、この男が今まで出会ったこともないタイプの興味を引く人間であることは疑わなかった」という感慨を持つ。文学についての豊富な知識の披露、謙遜やお互いへの賛辞など、ふたりでのやりとりが進んでいた中、それまでほぼ口を閉ざしていた岡崎がその場にさらなる驚きをもたらす…。
巻末の「参考・引用文献」も必ずや参照していただきたいのだが、これこそが私に無力感を味わわせた本のリストである(自分自身がこのリストの何割を読破しているかは恥ずかしくて決して明かせない、と感じる人は多いと思いたい)。古今東西の作家たちの名前がずらりとそこに並んでいる。「本物の読書家」は「本物の知識人」でもあると言っていいだろう。読書離れが叫ばれる現代にあって、3人の文学への耽溺ぶりあるいは博覧強記ぶりは、ファンタジーのように美しいものにみえる。甥と大叔父と通りすがりの男の道行きがどのような終わりを迎えたかについては、ぜひお読みになって確かめてみてください。
もう1編の「未熟な同感者」についても同じく、「参考・引用文献」は充実している。こちらは大学の、あまり人気がないゼミが舞台。主人公で語り手の阿佐美、まとめ役のあかり、あかりが熱をあげている野津田、美しく超然とした間村季那に加え、ゼミの准教授である先生が、主要人物だ。緊張感に満ちた彼らの関係性には、現実感があるようなないような。とらえどころのない若者たちがゼミで読み込む作品はサリンジャーというのが、また絶妙である。
著者の乗代雄介氏は、「十七八より」で第58回群像新人賞を受賞。デビューされてまだ2年と少々だ。ジャンル分けに関して厳密な読者は、本書を決してエンタメ小説には分類しないだろうが、読書好きにとっては間違いなくある種の楽しみをもたらす本であるに違いない。
(松井ゆかり)
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