「不安なときこそ動くこと」 挑戦し続ける遅咲きのイラストレーター・イケウチリリー

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イケウチリリーさん イケウチリリーさん

自分のやりたいことを仕事にしたい。誰もが持つそんな思いを実現している社会人は、何を考え、何を経験し、目標を叶えてきたんだろう。インタビューを通して「バイトで学んだことがその後のキャリアにどう役立ったか」「人生の岐路に立ったとき、どんなモノサシで自分の道を決めたのか」を聞いてきました。

今回紹介するのは、イラストレーター・イケウチリリーさん(43歳)。コミカルで親しみやすいイラストで子どもたちを笑顔にしています。デビューして数年という遅咲きのクリエイターですが、前職はなんと大工さん。人生を変えた転身と、そこにあった揺るがぬ信念を紐解いていきます。

 

心をつかむイラストを

――どんなイラストを描いてらっしゃいますか。

子ども向けの雑誌や書籍のイラストを描くことが多いですね。似顔絵や地図を描いたり、広告やCDジャケットのイラストなど、いろいろな仕事を頂いています。とくに子ども向けの書籍などでの仕事が多いので、見た瞬間にくすっとくるような楽しい絵であればと願って描いています。小さいころからファンタジーが好きで、よく空想でキャラクターを描いていたので、それも影響しているかもしれません。

――大切にしているポリシーはありますか。

人の心をつかむ絵を描きたいと思っています。先日もイベントで作品を展示していたのですが、お母さんに手を引かれた子どもが通り過ぎたと思ったら、引き返して僕の絵を眺めに来てくれたんです。すごく笑顔になってくれたのを見て、「やった!」と心底思いました。自分が願っていることが形になった瞬間でした。

――作品づくりのために心がけていることは何ですか。

たくさんインプットをすることですね。暇があれば、常に他のイラストレーターさんの作品に触れるようにしています。表現の仕方とか、いまの自分にないものを見つけては「盗んで」います。前職は大工でしたが、職人の世界でも技は教えられるものではなくて見て盗むものでしたから。

 

模索の末に見つけた、イラストレーターという仕事

イケウチリリーさん

――もともとイラストに興味があったそうですね。

確かに昔から絵は好きでした。中学のときには絵描きになりたいと思ったこともありましたが、自分は大工の長男。きっと跡を継ぐんだろうな、夢を見ちゃいけないなと思っていました。工業高校を出て、疑うことなく大工の道に進みました。

――大工から転身されたのはなぜですか。

転機は29歳の時でした。連れ添っていた伴侶と別々の道を歩く決断をしたのです。自分の人生について考え直すきっかけになり、大学進学を決意。卒業後は鳥取を離れて上京しました。「何かを得て鳥取に帰ろう」と思い、貯金をしながら自分の取り組むべき仕事について考えることにしました。リフォーム会社の営業職に始まり、塗装屋や桐たんす屋、魚屋など、さまざまな職にチャレンジしながら模索をしていました。

――イラストレーターになろうと決めた理由は。

埼玉のシェアハウスで暮らしていた6年前、同居人に挿絵を描いてもらいたいと頼まれました。快く引き受けて制作したんですが、仕上がりを見た同居人に言われたんです。「こんなに絵がうまいのに、なんでイラストレーターにならないの?」って。正直、その瞬間までイラストレーターという仕事を知りませんでしたが、「これだ!」と思いました。どうせやるなら死ぬまでできる定年のない仕事をと思っていましたし、これが自分の人生で最後の賭けだと覚悟して、イラストレーターに挑戦することにしました。その後3年間、働きながらイラストの学校に通い、少しずつ仕事をもらえるようになりました。そして2017年に独立。いまはイラストだけで食べています。

 

迷ったら、動く。フリーで生きていくということ。

イケウチリリーさん

――フリーで活動することに不安はありますか。

もちろんあります。とくに駆け出しのころはほとんど仕事が来ず、ダメかもと思いました。でも悩んでいてもしょうがないので、ポートフォリオ(作品集)を持って出版社に売り込みをしました。だいたい断られるんですけど、何人かの編集者の目に留まって仕事が来るようになりました。それがどんどん広がって、独立できるレベルになったんです。世界って案外わからないものです。

――海外でのバイトの経験も自信になっているとか。

じつは24歳の時スキーがしたくなって、鳥取を飛び出してカナダに1年いたことがあるんです(笑)。渡航して数カ月でお金が尽きて、バイトをしようと履歴書をいろんなところに送ったんですが、全く音沙汰なし。待っていてもしょうがないので、建設現場を探して直談判しました。現場監督に自分が大工であることをアピールして、なんとか雇ってもらいました。使う道具も違ったりして日本以上にシビアな面もありましたけど、良い仕事をすれば評価をしてくれるし、楽しかったです。思えば、それが初めて自分の意志で何かに挑戦した経験でしたね。これだけできたのなら、日本では自分一人でもやっていけるという自信はつきました。

――行動することが大事なんですね。

そう思います。不安なときこそ動くことです。誰かに相談するだけでもいいし、やれることはなにかあるはずです。「果報は寝て待て」ではなく、「犬も歩けば棒に当たる」。何かアクションを起こせば、人に出会い、成長して、少しずつ道が開けていくはずです。

――やりたいことや打ち込むことが見つからない場合は?

それならいろいろなことに挑戦したほうがいいと思います。僕もイラストレーターの道にたどりつくまではたくさん模索しました(笑)。そしてもしやりたいことが見えたなら、あきらめないでとことんまでやってみること。おもしろくなる前に止めてしまうのはもったいないです。

 

故郷・鳥取にイラストの力を

――離れたふるさとに思いがあるそうですね。

そうなんです。鳥取ってのんびりした雰囲気ですごく良いところなんですが、今は衰退が止まらない。駅前なんて昔に比べてすごく綺麗に整備されているのに、肝心の人が歩いていないんですね。でも僕にとってはダメな地域ほどかわいい。なんとか良い街にしたいと思っています。できるなら、イラストレーターとして故郷に戻り、僕のできることで何か活性化につなげられればと思っています。理想は、鳥取を「絵描きの県」にすることですね。たくさんのクリエイターが集まって、出会いが生まれる地域になれば良いなと思っています。

 

行動で変わる、未来がある。

大工の長男として生まれ、レールの上を走っていたイケウチさん。24歳で渡ったカナダでのバイト経験をきっかけに、つねに行動に移す人生を歩みます。大学進学、数度の転職を経て、ついに自分の人生を懸けられる仕事に出会いました。悩んでいるときこそアクションを起こしてみることが、未来への道を拓くきっかけを生んでくれるのかもしれません。 ■プロフィール

イケウチリリー

1974年 鳥取県鳥取市生まれ。高校卒業後、代々続く実家の工務店で跡取りとして働く。29歳で大学に入り、卒業後上京。セツ・モードセミナー、渋谷アートスクールを卒業し、イラストレーターに。「活躍する日本のイラストレーター年鑑2016」(シュガー刊)に掲載されるなど、実力を伸ばしている。

(取材・執筆:佐藤史親)

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