東京で「暮らす」ことにこだわる必要はない | 佐藤 駿【私のUターン】

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都市部に暮らしながらも、漠然と地方暮らしへの憧れを抱いている人は少なくありません。たとえUターン移住だとしても、高いハードルがいくつも待ち構えているものです。「地方に仕事はあるのか?」「地元の人と馴染めるのか?」。その疑問の答えは、長野県伊那市にUターンし、地元でUI/UXデザイン会社を起業した佐藤駿さんが導いてくれるかもしれません。

「長野は生活の拠点、東京は仕事の拠点」と言う佐藤さんに、Uターンのきっかけや2拠点を行き来する理由、そして地方移住を実現するためのヒントを伺いました。

佐藤 駿(さとう しゅん)

1984年生まれ。長野県出身。都内の専門学校卒業後、設計事務所に入社。現場監督や家具デザインなどに携わる。東日本大震災をきっかけに2012年に地元にUターンし、THE APP BASE株式会社を設立。

震災を機に自分の考える「豊かさ」を求めてUターン

佐藤さんが長野県伊那市にUターン移住したのは2012年。それまでは、東京の設計事務所に籍を置き、建築現場などの現場監督を務めていたそうです。仕事では着々とキャリアを重ね、家に帰れば妻と産まれたばかりの娘が待っている。公私ともに恵まれていた佐藤さんでしたが、2011年の東日本大震災をきっかけに状況は一変しました。

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「震災が起こってすぐ、現場の作業は止まりました。インフラも機能せず、テレビやネットの情報も錯綜している。初めて東京の脆さを目の当たりにして、ここに住んでいていいのだろうかと思いました。東京で暮らし働くことにこだわる必要はないのかもしれないって思ったんです。東京にいれば仕事は尽きないし、ビジネスチャンスもある。けど、僕の夢は大金持ちになることじゃなかった。お金とは別軸の豊かな生活を送りたいと考えました。僕にとっては『家族と過ごす時間を大切にすること』が豊かさだと気がついたんです。結果、家族と少しでも長く過ごせる暮らしを選びました」

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△長野県伊那市は、南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那盆地の北部にある自然に恵まれた街

多くの人に支えられて、経営難を乗り切った

Uターンと同時に起業した佐藤さん。選んだのは建築業とは縁遠いWEBアプリ開発の仕事でした。

「実は東京にいた時から、修正を繰り返せばどんどん自分のイメージに近づいていくWEBのフレキシビリティやスピード感に惹かれていたんです。建築の場合、どこかでミスがあったら一からやり直しです。それに、打算的ですが地方にアプリ開発の企業があったら注目されるはずだと考えたんです。同業他社との差別化を狙っての選択でした。同じ理由で、オフィスにコワーキングスペース『DEN』を併設したところ、長野では初のスペースだったことも話題を呼び、開業当初は地元メディアにもよく取り上げられました」

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△コワーキングスペース『DEN』でのイベントの様子

しかし、起業してたった数ヶ月後には経営が暗礁に乗り上げました。

「チャットアプリを開発したんですが、ぜんぜんお金にならなくて…。いま思えば、そのアプリ自体にユーザーを満足させられるほどの機能が備わっていなかった。アプリ開発の黎明期で開発担当者も手さぐり状態。僕自身も経営者としては完全に未熟でした。しかも、用意していた資本金は100万円です。社員2名に払う給料すらままなりませんでした」

ベンチャーキャピタルから出資を受け、なんとか巻き返しを図ったものの、他の社員との間で仕事に対する意識に齟齬が生まれ、開発チームはあえなく解散。それからは自社開発を控え、WEBサイトのデザインやアプリ開発の受託業務に切り替えたそうです。

「受託案件の営業先として選んだのが、東京でした。資金も底を尽き、もう仕事を選んでいる状況ではなかったので、必死になって色々な案件を受けました」

佐藤さんを起業から現在まで導いてきたのは手助けしてくれる人との出会いがあったからこそ。

「社員がすべて辞めたあとに、新たに加わったチーフデザイナーは、もともと『DEN』の利用者だったんです。彼がいなかったら、ここまでやっていけていたかどうか。コワーキングスペースも、出会いのためのいい入り口になっている。うちに興味をもつ人は、地方にいながらも情報に敏感な人が多いので、話をしているだけでも仕事のアイデアにつながります。出資してくれたベンチャーキャピタルとも、コワーキングスペースのオーナー交流会がきっかけで縁ができたんです」

長野と東京、各拠点の役割を明確にする

現在、隔週で東京を訪れているという佐藤さん。手がける受託案件の9割は東京のクライアントだといいます。取引先を東京だけに委ねている状況に不安はなかったのでしょうか。

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「とくに不安は感じていません。やはり東京に新しい情報が飛び交い、資本が集中する状況はこの先も変わらないでしょう。ただ、自分にとって東京は住む場所ではないんです。だからといって、伊那に留まってのんびり過ごしていると、世の中の流れに取り残されているんじゃないかと不安にもなります。『伊那は生活する拠点、東京はビジネスする拠点』――自分にとってベストなバランスがそれだったんです。

昨年から数ヶ月に一度のペースで福岡にも通っています。福岡はビジネスのためというより情報収集の場。面白い活動をしているUIターン者が多く、例えば廃校を複合型施設にリノベーションしてイベントをしたり、テナントを提供したり、起業の受け皿にもなっています。土地、人材、特産品など、まだ見つかっていないリソースが隠れているのが地方の強み。地元の人は気づいていなくても、東京の人から見たら宝の山に見えるかもしれません」

現在、佐藤さんの手がける仕事の9割は東京からの受託案件ですが、今後、リノベーションやDIYを促進する自社開発「HANDIY(ハンディ)」事業一択にシフトチェンジすることを模索しているそうです。

地方暮らしを叶える道筋を見つけるには

起業当初はつまずいたものの、順調に業績を上げてきた佐藤さん。一方、私生活では商工会の青年部に入ってイベントに関わったり、娘の保育園の保護者会に入ったり、着々と地域に根を張りつつあります。しかし、当初は戸惑いも多かったそうです。

「高校卒業後はずっと東京にいたので、地元とは言っても同級生とは疎遠だし、仕事の話も合いませんでした。移住当初は忙しかったから、せっかくの飲み会の誘いも避けていました。今思えば、合理主義のイヤなやつです(笑)。今やっと、地元の暮らしに目を向ける余裕が出てきた。商工会の活動を通して、地域の文化や行事はどのようにして受け継がれてきたのかもわかってきました。娘が卒園してからもパパ友との関係は続いていますし、地元の人もよく起業相談に来ます」

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△商工会の行事にも積極的に参加。会から要請を受け、現在は理事も務めているそう

佐藤さんのような地方暮らしに憧れる人は少なくありません。移住を実現するためには、まず何からはじめるべきでしょうか。

自分の意見や望みを周囲に発信するのは大事です。普段から口にしていれば、巡り巡って『ちょうど、空き家が見つかったんだけどどうですか?』と声がかかることもありえます。長野県をはじめ、移住支援制度を設けている自治体も少なくありません。移住体験施設などを活用して、田舎暮らしを試してみるのもいいでしょう。そして、一番大事なのは自分にとっての豊かさの基準をはっきりさせること。仕事に重きを置く人は、転職しなくても済む地域を探すか、移住しても今の仕事を続けられる手段を模索してみる。自分の基準をつくって、ゆずれないポイントと妥協できるポイントを明確にすれば、道は拓けていくはずです」

取材・文/名嘉山直哉 写真/コウノユタカ

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