「つらい仕事は、むしろ辞めなきゃいけない」“ゆるい多角経営”で都内3店舗、26歳・えらいてんちょうの仕事って?

「起業」と耳にして、多くのビジネスパーソンがまず思い浮かべるのは壮大なビジョンや斬新なビジネスモデルを掲げるスタートアップでしょう。ただもちろん、そうした華々しい存在が全てではありません。何を売るかもはっきり決めないまま地元である東京・豊島区の住宅街で2年前に店をオープン、コストを抑えた“ゆるい”手法ですぐ3店舗まで広げ、さらに結婚を即決して妻子を養う「えらいてんちょう」は26歳。経営するバーには仲間やゲストが詰めかけ、連日盛り上がりをみせています。ユニークな多角経営とそこに至るいきさつ、仕事に託する思いを“てんちょう”に聞きました。f:id:k_kushida:20171208185239j:plain

【プロフィール】

えらいてんちょう(Twitter:https://twitter.com/eraitencho

1990年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。シェアハウスの共同運営などを経て2015年10月、実家に近い豊島区の空き店舗で「リサイクルショップ落穂拾」を開店。その後1年足らずで近隣に学習塾、バー、外国語教室も開き、17年8月には軌道に乗ったリサイクルショップの経営権を知人に売却した。学習指導やバー店主のかたわらで宅地建物取引士の資格を取得し、不動産業への進出も計画中。初対面の2週間後に結婚した妻との間に1児。

“店舗兼居室”からのスタート

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ーーこのリサイクルショップで2年前に事業を始めたそうですが、店の経営は知人に譲ったそうですね。入っていいんですか?

ええ、大丈夫です。私はいま、こことは別に3つの店舗を近くで経営しています。いつもどこかを不在にするので、留守の間は興味を持ってくれた人に「勝手にしていいよ」とお任せしています。こちらからあれこれ管理しない代わりに給与もなく、ときどき“おこづかい”を渡すくらいですが、それでも若い学生など、手を挙げてくれる人が絶えないので助かっています。

ーー現在経営するのは、バーと学習塾と語学教室。それぞれ調子はどうですか。

いまのところ柱になっているのは連日満席の「イベントバー エデン」で、それ以外は赤字(笑)。ただ、全体としてみると経営は成り立っています。学習塾は廃業予定だった教室と受講者をそのまま引き継いで電話番号を変えただけ。居抜き店舗に入居したバーも月3万円のカラオケを入れたほかはトイレの便座と郵便受けを修理したくらいで、ほとんど元手をかけていません。バーで仕込んだ料理が余ったときは自宅に持ち帰ったりもしているので、専業主婦の妻と生後間もない息子の3人で、特に不自由なく暮らせています。

ーー最初に開店したときは、事実上“店に住んでいた”とか。

ええ。始めてみると仕事が長引いて徹夜になることも多く、借りた店舗で寝起きする生活がしばらく続きました。

それまでは実家暮らしだったので、店を始めるのと同時に親元を離れるつもりでいたんです。具体的に何の店をやるか分からないうちから「住むところで仕事もでき、そこからいくらか収入が得られればなんとか生活できるだろう」という計算をしていて、実際予想以上にうまくいきました。

ただ、そういう方法が使えたのは私が男性で当時独身、しかも物件のオーナーが大目に見てくれたおかげです。夜間の店舗に女性1人きりでは、やはり危険。なので単身の男性や子どものいないカップルから相談を受けたときだけ、私と同じやり方で店を開くことを勧めています。

店は「憩いの場」であり「最高の広告」

ーーそもそも、店を開こうと考えたきっかけは何だったのですか。

私は朝が弱く、満員電車が苦手で、しかも頭を下げることが嫌いな性格(笑)。就職活動は最初からしていません。半面、中学時代からトレーディングカードで稼いでいて、商売感覚とフラットな対人関係には自信がありました。

亡くなった父は学生運動家としての過去があり、弁当店を営むかたわら路上生活を送る人に食事を届ける社会活動を実践していました。そういう家庭で育った私も、学生のころは経済学を学びながら生活保護申請に付き添うボランティアをし、卒業後は誰でも受け入れる方針のシェアハウス運営に2年ほど関わっていました。

こうした経験を通じて私が感じていたのは「ビジネスとして成り立たない活動を長く続けるのは難しい」「『誰でもお気軽に』とわざわざ呼びかけるところに人は来ない」「正しいことをストイックにやっても広がらない」ということ。そこで「店を開けば継続的な商売ができるし、楽しそうな店には自然に人が集まるだろう」と考えたのです。

ーーリサイクルショップを振り出しに、短い間でずいぶん業種を広げましたね。

最初は漠然と「便利屋」のような仕事を考えていて、どういう店にするか、はっきり決めていたわけではないのですが、まだ使える冷蔵庫(廃棄処分費用が高額なため、それより安い価格で引き取って転売するビジネスが成り立つ)などを引き取りに行くたびに「部屋を引き払うから、ここにあるものを全部持っていってほしい」と頼まれたんです。

家電や家具、洋服など、持ち帰った荷物がたちまち山のようになり、とりあえず置いておいたら近所の人が買いに来だして、店の中が「憩いの場」みたいになりました。面白がった友達が遊びに来たついでに仕分けも手伝ってくれて、お礼にジュースをおごったりしているうちにリサイクルショップが出来上がりました。

引き取り料のほか、タダで引き取った物も売れたので、それほど儲ける気もなかったのに最初の2カ月で売上は50万円に達しました。想像以上の成果で、すぐに使う先もなかったので、近隣の空き物件をいくつか借りたのが店舗拡大の理由です。バーを借りたので「エデン」ができ、マイナー言語に通じた元大学講師の知人が希望したので、彼が教える語学教室も開きました。

学習塾の経営も、不要品の引き取り依頼を受けたのがきっかけです。塾長の男性に事情を聞くと「郷里に帰らなければならず、やむなく廃業」とのこと。通っている生徒がいて、私自身に塾講師アルバイトの経験もあったので、そっくり引き継ぐことがすぐ決まりました。

ーー不要品処分にはネットオークションやフリマアプリも使えます。リアルの店舗が「憩いの場」になるのは分かりましたが、ビジネスはネットのほうが手っ取り早くないですか。

私もネットオークションの経験があり、今はネットのカーシェアリングサービスでマイカーを貸し出していますが、成果は厳しいです。対面で会話のキャッチボールができ、日々のやる気にあまりムラがなく、突然姿を消したりしない人であればリアルの店舗を経営できるし、本業にするならそのほうがよいと思います。

というのも、ネットでは多くのサービスが無料。取引にしても相場がすぐ分かるため価格競争が激しい“買い手市場”です。それに比べてリアルの店は「何か買ったり頼んだりするときにお金を払う」という習慣がしっかり残っていて、ネットに比べるとビジネスが成り立ちやすいんです。しかも、さほど頑張っていないのに近所の方が「頑張ってるね」と応援してくれて、差し入れまでいただけるメリットもあります(笑)。

以前リサイクルショップに来て家電をまとめ買いしていたベトナム人のビジネスマンからは「日本で働く外国人向けのアパートを増やしたい」という相談を受けていて、いまはそうした不動産の分野へ事業を広げることも真剣に考えています。通りかかった人が気軽に集まってくれて、新しいビジネスのチャンスまでくれるのですから、店という場所にはパワーがある。「店を開けていることは最高の広告」だと思いますね。

つらいことなら、やめていい

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ーー大盛況のバーを手伝う丁寧なスタッフも、おこづかい程度の報酬とのことですが・・・。

経済的な待遇や福利厚生はもちろん大切なので、徐々にきちんとした採用ができるようにしていくつもりです。ただ、それと同時に「私たちより年下の世代は、仕事に求めるものが変わってきている」という印象もあります。

「自分で好きなことをやれる余地がある」「同じような境遇の仲間がいる」「精神的な重圧がない」「なんだか楽しそう」・・・。そういうところに人が集まるのだという感触を持っています。

ーー昨年夏に店主自らバーで婚活パーティーを開き、精神的に会社勤務を続けるのがつらいという女性に初対面。その翌日プロポーズして2週間後に結婚、退職した彼女との間に今春長男が誕生したとブログに綴っています。

「大丈夫か」と突っ込まれそうな多くの事情をブログで書いていますが、私は結婚して子どもがほしかったし、彼女とはお互いに好意があり、結婚生活に望むものも一致していました。

長い交際を経ていても別れる夫婦はいるし、結婚や育児の経済的なハードルは一般に言われるほど高くはない。よく調べれば公的な支援制度が数多くあり、それでもダメなら生活保護を受けられるのがいまの日本です。結婚して子どもがほしい人は、あまり構えすぎず、カジュアルな感覚で決めればよいと思います。

「つらい仕事は我慢しないで今辞める」ということも、すごく大事だと思います。つらいということは体が悲鳴を上げているんだから、むしろ辞めなきゃいけません。その先のことは、辞めた後で考えればいいのです。私の妻はいま家事と育児で忙しく、さらに私の仕事も手伝ってくれています。

ーーこれを読む人の大半は会社などの組織に勤務しています。“てんちょう”とはかなり境遇が異なりますが、何かメッセージがありますか。

組織の中で働いていると、例えば人に頭を下げることからは基本的に逃れられないと思います。それが平気な人は構わないでしょうが、もしつらいと感じているなら、自分を押し殺し続けるよりも早く辞めたほうがいいと思います。

「組織を離れたら食べていけない」というのは幻想。何もかも完璧にしようとせず、多少のトラブルはつきものと割り切れれば、かなり多くの人が店を開いて独立できるはずです。

求人はまだ出せない私たちの店も、食べるものと寝る場所はなんとなくご用意できるので、当分の間あいまいに生きていける環境はあります。生きるのがつらくなったときは、どうぞ遊びに来てください。怪しい仲間たちも待ってますから(笑)。

《参考資料》

ブログ「えらいてんちょうの雑記」

https://eraitencho.blogspot.jp/

WRITING/PHOTO:相馬大輔

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