絶頂期からの転向、まさかの引退。「もう終わった…」しかし、そこからが始まりだった。――初代日本女子プロボクシングバンタム級王者・吉田実代の仕事論

プロボクサーとして、インストラクターとして、そしてシングルマザーとして。三足のわらじを履く女性格闘家がいる。その名は吉田実代。2017年10月6日、新設された日本女子王座のバンタム級タイトルマッチで勝利し、初代日本女子プロボクシングバンタム級王者に輝いた。しかしこれまでの道のりは決して平坦なものではなかった。プロ格闘家の夢は叶えたが、なかなか納得の行く結果が出せない日々。そしてプライベートでは結婚、妊娠、離婚。さまざまな苦難を乗り越え、新たな歴史の1ページを作った戦うシングルマザーの生き様に迫った。前回(第2回)はこちら

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吉田実代(よしだ・みよ)

EBISU K’s BOX所属のプロボクサー。1988年、鹿児島市生まれ。20歳の時、ハワイに格闘技留学。帰国後、キックボクシング、総合格闘技、シュートボクシングなどに参戦し、2014年ボクシングに転向。デビュー戦後に妊娠、結婚。出産のブランクを経て、2016年復帰。2017 10月6日、新設された日本女子王座のバンタム級タイトルマッチで高野人母美と対戦。3-0の判定で勝利、初代日本女子プロボクシングバンタム級王者に輝いた。ボクシングでの戦績は9戦8勝1敗。東洋太平洋スーパーフライ級1位。日本バンタム級チャンピオン。育児、仕事、ボクシングの“三足のわらじ”を履く戦うシングルマザーとして注目を集めている。

立ち技でスター選手に

──総合格闘技に転向してからは2年間で3戦して1勝2敗。その後2011年、23歳の時に池袋BLUEDOGジムに移籍してキックボクシングとシュートボクシング(投げ技も極め技もある格闘技)の立ち技に戻ってますね。それはどうしてですか?

総合は向いてないかもと思ったのと、立って戦う立ち技の方が好きで、試合にも出たかったのですが、マッハ道場は総合格闘技のジムで総合格闘技大会と密に親交があり、私を総合格闘家として育てたかったので、必然的に総合の試合が多くなり、立ち技の試合に出られませんでした。それで、立ち技の試合にも出られるフリー系のBLUEDOGジムに移籍したんです。

──2011年4月に初参戦したシュートボクシングの試合では1Rにダウンを奪って判定勝ちしています。実際に立ち技に戻ってどうでしたか?

やっぱり立ち技の方がやってて楽しかったし、向いてると思いました。

──2013年にはGLADIATOR(キックボクシング)の初代バンタム級王者になっていますね。この時の気持ちは?

正直微妙でした。実は1週間前に対戦相手が当初予定されていた強い相手からアイドルみたいな弱い選手に変わったんです。最後はあっさりハイキックで勝ちました。やるなら強い相手と戦いたいじゃないですか。なのにそういう相手と戦わざるをえなくなって。

だから勝てたのはうれしいのですが心の底から喜べないし、胸を張ってチャンピオンて名乗れないなと。今回のタイトルマッチのベルトとは重みが違います。だから経歴にもキックボクシングのチャンピオンという実績はあまり全面には出していないんですよ。

──立ち技時代は3年間で戦績は14戦10勝4敗と好成績ですね。立ち技時代、一番印象に残っている試合は?

2011年8月に開催された「GIRLS S-CUP2011 立ち技女子最強決定トーナメント」ですね。その1回戦でキックボクシングの東洋女子バンタム級チャンピオンにして、総合格闘技にも出てるすごく強いWINDY智美さんという選手と当たりました。

その時、私は立ち技2戦目で、その智美さんは56戦目。誰が見ても絶対負けると思われてたけど勝っちゃったんですよ。女子格闘技の世界のレジェント、優勝候補といわれてた智美さんに勝ったことでシンデレラガールみたいな感じでメディアに取り上げてもらって、それから格闘技の世界で知名度が一気に上がりました。この一戦でかなり変わりましたね。その後も注目してもらって、勝利を重ね、2013年にはカンボジアで国を挙げて行うビッグイベントに呼ばれて試合をしたりもしました。

また、人気が出てきた頃は年間6、7試合、エキジビションもいれるとほぼ毎月のように試合をしていたので、あまりアルバイトをしなくても格闘技だけで生活できるようになっていました。

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絶頂期でのボクシング転向

──そんな女子格闘技の世界でトップクラスの地位と人気を誇りながらなぜ、2014年にボクシングに転向したのですか? そのまま立ち技の世界にいた方がスターとして扱われていいと思うのですが。

さっきお話したようなマッチメイクでモチベーションが下がって、こういうのがずっと続くのかなと思ったのが最初のきっかけです。

その後、立ち技では対戦相手がなかなか見つからず、試合がない時期が長く続いたんです。それに一度負けた選手にリベンジしたいと思ってもできなかったり、立ち技でやりたいことができなくなりました。当時24、5歳でちょうど選手として一番いい時期だったし、こういう状態のままピークを過ごして終わるのは嫌だなと。

だから12月にカンボジアで大きな試合が決まった時、その試合で勝ったら辞めようと思ったんです。それで勝ったから、もう思い残すことはなくなったな、やりきったなと思えたから立ち技の世界から離れることにしたんです。

──ボクシングに惹かれた理由は?

立ち技の世界は団体が乱立してて同じ階級でもいろんなチャンピオンがいて、いったい誰が最強なのかわかりにくいんですよね。でもボクシングの世界は国内の団体は1つだし、ランキングがはっきり決まっているから強さが明確にわかるからいいなと。

一番大きい理由は、女子プロボクシングの世界で4階級制覇している藤岡奈穂子選手というものすごく強い世界チャンピオンの存在です。立ち技時代に練習でスパーリングさせてもらった時、この人すごく強いな、今まで戦ってきた女子の選手とはレベルが違うと衝撃を受けました。しかも人間としてもすごく尊敬できるんです。この藤岡さんとスパーリングするのが楽しくてしょうがなくなって、この人みたいになりたいなと強く思ったんです。

なので、藤岡さんにボクシング業界のことを聞いたり、私がプロボクサーとして通用するかなどいろいろ相談してたんです。そしたら実代ちゃんなら大丈夫だと思うよと言ってくれたので、ボクシングへの転向を決意したんです。

ボクシングに転向したいと言った時は、当時所属していたジムの会長をはじめ、まわりのみんなはびっくりして「ちょっと待て、なんで今すごくいい時なのにボクシンに転向するんだ、考え直せ」と止められました。でも理由を説明すると「わかった。ボクシングでダメだったらすぐ戻っておいで。シュートボクシングに戻ってこられるようにしとくから」と言ってくれる人もいました。

──ボクシングへ転向を決意した時はどんな気持ちだったのですか?

それまで格闘技をいろいろやってきましたが、格闘家としてボクシングを最後の舞台としてチャンピオンを目指して頑張ろうと思っていました。

ジムは、立ち技時代から会長に教えにもらいに通ってたので、EBISU K’s BOXに移籍しました。

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ボクシングで生きていくことを決意

──実際にボクシングに転向してみてどうでしたか?

めちゃくちゃ難しかったです。立ち技時代もパンチ主体の選手だったので、蹴りがないことには割とすんなり馴染めたんですが、立ち技とは構え方、姿勢、スタンス、重心、距離感、フットワーク、パンチの打ち方など何もかもが違って、全然別物でした。

同じパンチでもキックとボクシングは全然違うんですよ。ボクシングの方がパンチのプロなのでスピードも早いし、質も重みもコンビネーションの打ち方も全然違います。だからむしろ立ち技をやってない方がよかったと思ったくらいです。慣れるのにかなり時間がかかりました。今も気を抜けばつい立ち技時代の癖が出て、アップライトといって上体が浮いてしまうんです。上体が浮くとパンチをもらいやすいのでボクシングは顎を引いて重心を前にして上体はなるべく低くするのが基本です。

──プロボクシングのデビュー戦(2014年5月)では判定で勝ってますね。この時の印象は?

これからボクシングで生きていくんだと思ってたからちょっと緊張しましたね。試合内容はキック時代のアップライトの癖が抜けなくてぽこぽこパンチをもらって、こっちも打っての繰り返しで。キックの選手がボクシングの試合に出てるみたいな感じだったと思います。でも試合自体は楽しかったですよ。

ただ、結果的に勝ちましたが、今後に課題が残る勝利でしたね。このままではそこそこまでは行けるだろうけど、上を目指すのは難しいという感じでした。だから立ち技時代の悪い癖を直して、チャンピオンを目指して頑張ろうと思っていました。

でもその矢先に全部おじゃんになるような、目の前が真っ暗になるようなことが起こりました。妊娠したことがわかったんです。

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引退を決意

──妊娠がわかった時はどういう気持でしたか?

想定外の妊娠だったので、かなりショックでした。格闘家として最後の舞台にボクシングを選び、周囲もすごく期待してくれてチャンピオンを目指して一緒に頑張ろうという矢先の妊娠だったので、最初は「大変なことをしてしまった! どうしよう」と思うと同時に、「すべて終わったな」と目の前が真っ暗になりました。すごく悩みました。

──聞きにくい質問で恐縮ですが、堕ろすことを考えたことはなかったですか?

正直、最初はパニック状態になり、一瞬、そういう考えも頭をよぎりました。でも落ち着いていろいろしっかり考えた時に、やっぱり堕ろすという選択肢はないなと思いました。せっかく授かった命です。今まで妊娠したこともなかったし、当時26、7だったので年齢のことなども考え、これも運命かなと子どもを産もうと決意したんです。

また、仮に堕ろしてしまったとしても、そんなことをしてしまう私にいくらやりたくてもボクシングを続ける資格はないなとも思いました。ボクシングに一所懸命、真剣に取り組んできたつもりだったのですが、甘かった。自分のプロボクサーとしての自覚のなさ、不甲斐なさに自分でもがっかりしました。

それで、子どもを産むという決断をした時、本当は続けたいけれど、ボクシングは引退しようと思ったんです。ボクシングは1人でも全力で必死でやらないと強くなれないのに、出産で最低でも1年はブランクが空いてしまうし、年齢的にももう引退せざるをえないかなと。

私自身の無念さよりも、ジムの会長や応援してくれていた回りの人たちに対する申し訳なさの方が全然大きかったですね。会長も、よし、これからチャンピオン目指して頑張ろうという感じで、すごく気合いが入ってたと思うんですよ。私をチャンピオンにすると言って会長自ら指導してもらっていたので。

でもそんな会長の気持ちを裏切っちゃたから、もうボクシングの世界に戻れないな、格闘技自体に関わっちゃいけないなとすら思いました。

──妊娠を知った会長の反応は?

やっとの思いで「実は妊娠したので結婚します」と報告したら、さすがにすごく驚いていました。でも「おめでとう。幸せになってね」と言ってくれたんです。会長はそういうやさしい人なんです。でも私自身はボクサーとしての人生は終わったなと思っていました。

──出産した時の気持ちは?

これまでの人生で一番と言ってもいいくらいうれしくて、最高に幸せでした。でも出産してますます育児しながらボクシングなんてとてもできないと思いましたね。子どもが生まれたら3年は一緒にいなきゃいけない、そうなると29歳。年齢的にも無理だと。

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復帰するも針のむしろ状態

──でもそこから復帰した理由は?

娘が生まれて5ヶ月ほど経った時、会長に娘の顔を見てもらいたいと思って挨拶に行ったんです。そしたら会長も「よかったね」って祝福してくれました。その時に、妊娠中からずっとボクシングへの未練は抱えていて、もしかしたらいつかできる時が来るかもしれないと思い、ボクシングのプロライセンスだけ更新させていただけませんかと相談しました。あと、妊娠・出産で太ってしまって2、3キロ落としたかったので、またジムに戻って練習させていただけませんかとお願いしたんです。

──会長の反応は?

「いいよ」と許可してくれました。それから週に1、2回ほど、またEBISU K’s BOXに通うようになったんです。

──復帰できてよかったですね。

でも復帰した当初は正直、すごくつらかったんです。ジムに入ってこんにちはと挨拶しても、皆さん冷やかな反応で。今さら何しに戻ってきたのかというのと、復帰してまた問題を起こさないだろうかという冷たい視線をひしひしと感じました。私はかなり扱いづらい存在だったと思います。

でもその対応はすごくよくわかります。私の身勝手な振る舞いですごく応援してくれていた会長はじめジムの皆さんの期待を裏切ったわけなので、無視されても仕方がない。自分でも私みたいな人に対しては同じような対応をすると思います。だからいつも「ごめんなさい」と思いながら練習していました。針のむしろみたいな感じでしたね。

よく知ってるトレーナーだけミットを持ってくれましたが、あとは基本黙々と1人でシャドーやったりサンドバッグ叩いたりしてました。

だからあの時はもうジムに行くのだけでもつらかった。またあの雰囲気の中に行かなきゃいけないのか~って。胃が痛かったです。そのストレスでチック症みたいに顔面が引きつるようになっちゃって。

──そうまでして通ったってことは相当ボクシングがやりたかったってことですよね。

そうですね。やっぱり妊娠してからもボクシングへの未練が捨てきれず、いつかまたボクシングがやりたいとずっと思っていたので。やり残した感がものすごく強かったんです。

会長やジムの皆さんに迷惑をかけたのに、ジムでの練習を許可していただいたので、練習もやらせていただいているという気持ちでした。

それで私がチック症になったのを見た昔からの知り合いの会員さんがかわいそうだなと思ってまた話しかけてくれるようになり、徐々に他の皆さんも受け入れてくれたんです。それでジムに来るのが苦ではなくなり、好きになりました。また居場所ができたような感じですごくうれしかったです。

そうこうしている間に、ジムに復帰してから2、3ヵ月後くらいかな、2015年12月頃に試合のオファーが来たんです。もちろん「やりたいです」って即答しました。それからまた厳しい練習が始まったんです。

出産後、再び念願のボクシングの世界に戻ってこれた吉田さん。しかし本当に大変なのはここからでした――次回は子育てと練習の両立、さらにつらい体験を乗り越えて歴史的タイトルマッチで栄冠をつかむまでの過程を語っていただきます。乞う、ご期待!

文・撮影(試合):山下久猛 撮影:守谷美峰 協力:EBISU K’s BOX

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